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園長の「給田だより」(2018年11月号)

2018/11/02 12:31:46

「“正しい言葉遣い”、身につけば財産! 」  ~「赤ペン先生」からのカミングアウト!~

今さらながら、私は、前勤務先の芳澍女学院情報国際専門学校で、開校準備を皮切りに、約23年間、さまざまな業務に携わらせていただきました。すべてのことが今に活きていることに間違いはないのですが、とりわけ現職の血肉になっていると感じるのが、「就職指導」と各種の「資格試験対策」です。履歴書・エントリーシートの添削や模擬面接では、学生一人ひとりとの心の琴線に触れる向き合い方を学びました。秘書技能、ビジネス文書、サービス接遇、漢字など、ビジネス関連検定の資格取得に当たっては、合格の喜びや不合格の無念さを、彼女たちとともに味わってきました。あちこちからの要請に応じて、「社会人マナー講座」の講師として現場に立ったことも、今となれば得難い経験です。それらの蓄積もあってか、幼稚園に異動した当初から、身の回りのさまざまな文書表現や言葉遣いに無関心ではいられませんでした。歓迎されたかどうかは甚だ微妙(?)ですが、文書チェックに精を出す私に、ついたあだ名が「赤ペン先生」。また、子どもの言葉遣いについては、「将来のために良い言語習慣を!」との思いから、気になる点がいくつか目に、いや耳につきました。 

しかし、しばらくして私は、貴重な情報に直接触れ、“佼成プライド”の一つとして、ある信念を抱くようになりました。それは、「佼成卒園児の言葉遣いは素晴らしい」ということです。情報源が近隣小学校の先生方だっただけに、園長として大いにインスパイア(鼓舞(こぶ))されました。

ところが…、です。最近、そのプライドを崩されてしまいそうな事例がいくつか私の耳に…。保育中にいけないことをして注意された年少男児が、担任を威嚇(いかく)するように「お前、ぶっとばすからな!」「許さないからな」と言ったという報告。お迎えに来てくれたおばあさんを、「お前!」呼ばわりする年長男児。園長室前の通路に鳴り響く声に、背筋が寒くなる思いがいたしました。あえて誰かは確認しませんでしたが、きっと、虫の居所が悪かったのでしょう。園児の大半が、各家庭におけるしつけ(家庭教育)の成果で、人前で良い言葉遣いができていることを、私は承知しています。上の二人の男児も、決して例外ではないはずです。しかし、子ども自身にとっての異常事態のとき(例えば、叱られたとき、嫌なことがあったとき)に、子どもなりの理性にブレーキが利(き)かなくなり、つい日常の“負の言葉遣い”が表面化してしまうのも、一面の真理です。めったにないことだからと言って、そのままシカトはできません。ここぞという場面では、確(しか)と(!)「正しい」「丁寧な」言葉遣いのお手本を示してまいります。とはいえ、普段の子どもたちのおしゃべりに、いつもピリピリしているわけではありませんので、念のため。

人間関係において、言葉遣いは「諸刃(もろは)の剣(つるぎ)」です。子どもたちにとって、良い言葉遣いを身につけられるかどうかは、将来の人生を良くも悪くもすることでしょう。いつもお伝えしているように、「言葉は心を養う」のですから、言葉遣いに磨きをかけることは、人間性を培うことに通じるのです。思えば、悪態をついた二人の男児が、私に大切なことを再認識させてくれたのですね。

ピンポンパンポーン⤴⤴ここで、お詫びと訂正を。「赤ペン先生」としては、あるまじき失態です。10月号の最後の段落で、「私の取り柄と言えば、“オープンマインド”(これって、「自我じぃさん」第2弾!?)。」と書きました。11行前の「自画じぃさん」を受けての第2弾ですから、そこも「自画じぃさん」であるべきです。入力ミスに気づいたのは、配付用の印刷が終わった直後のこと。後の祭りです。文脈から「何か変?」と思われた方も、きっと多かったのではないでしょうか。行数・文字数合わせという最終工程と、迫りくる印刷期限への焦る気持ちでチェックが甘くなり、図らずも「我(が)」が出て(?)しまいました。「知らず知らずのうちに我を張ってはいないか?」、「周囲との調和はとれているか?」ということを内省する チャンスにいたします。(「我」を「画」に訂正した10月号は、ホームページにアップロード済みです。)

皆さまのエールのお陰さまで、今やライフワークとなった「給田だより」。“心の架け橋”の〈結び目(tie(タイ))〉に育て〈たい〉、と願っております。

11月号の校閲(こうえつ)は、大丈夫かなぁ…?

松森憲二拝

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