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2014年3月

園長の「給田だより」(2014年3月号)

2014/03/01 9:00:00

「傷つきやすい、天使の心」
  ~ 後援会ポストの声に導かれて ~

 「保護者との連携と協調」、私が園長就任時に心に刻んだ抱負の一つです。縁ある方々から「今どきの保護者は大変でしょう…。クレイマーとか、モンスターとか…」とたまに言われますが、私は、「いや、保護者はパートナーであり、サポーターですよ」とお応えしております。どの学校も保護者との関係は重要ですが、特に幼稚園は、保護者との密接な連携なしに運営することはできません。

 保護者と園とをつないでくれる後援会ポスト、当初より私は、次のように考えてきました。

・ポストのご意見は、すべて「幼稚園を良くしたい」という“思い”があってこそのものであること。

・たとえ匿名の一通であっても、その声の背景には、同意見の方が多数おられること。

・できる限り真摯に対応し、お応えできない場合には、その理由を明確に回答すること。

 昨年の秋、立て続けに2通のお手紙をいただきました。何と嬉しいことに、その2通は署名入りだったのです。園を信じてくださればこその投書であること、そして直接お礼できることに、私は歓喜いたしました。詳細は省きますが、1通は「写真業者に対する要望」で、もう1通は「バスの運行が困難な際の“自由登園”を求める」内容でした。後日、葉書ではありましたが、お二方には感謝の気持ちをお伝えすることができました。

 1月23日、後援会役員の方から、後援会ポストに入っていた匿名の方(Pさんと呼ばせていただきます)からのお手紙をいただきました。以下、その全文です。


園長先生

 2014年1月号の「給田だより」を拝読しました。その中で児童精神科医の講演の内容が書かれていましたが、今の時代の父親の子どもとの関わりにずいぶん反しているように感じました。私も妻もお互い仕事をもっているからかもしれませんが、子どもに対してはお互いに愛情を持って役割を分担しています。「父性=厳しさ」と位置づけされている点でずいぶん時代を逆行した思想に思われます。園長先生のお立場から、もう少し現実をみてご判断されてはいかがですか。以上


(太字は、松森による。)

 私は、Pさんからのメッセージを手にして、次のような感想を抱きました。

 まず、後援会ポストに「給田だより」に関するコメントをいただけたこと、特にお父さまからのものであったことを、大変嬉しく思いました。それは、何よりも「給田だより」を読んでいただけている証拠であり、また、お父さま方と「子育て」に関する話し合いができるチャンスを与えていただいた、という思いがしたからです。

 さらに、文面からすると、P家では私が願っている「子育て」が展開していることが垣間見られ、そのこと自体を有り難く思いました。

 しかし、多くのお子さま方を責任もってお預かりする立場にある園長の考え方に、いささかでも疑問を抱かせてしまったとしたら、それは申し訳ないことであり、3月号で改めて私の思いを、保護者の皆さまにお届けすることにいたしました。お伝えしたいポイントは、先のお手紙の太字部分の二箇所です。

 1月号を読み直していただくお手間を省くため、重複を承知の上で、指摘していただいた点に関連する文章を、以下に再掲いたします。(特に関連する部分を、太字にいたしました。)


 「幼稚園のときに」の文字にすぐにピンとくるのは、佐々木正美氏(児童精神科医)の講演で聴いたあるメッセージです。「幼児期に必要なのは母性でしょうか、それとも父性でしょうか?」という問いかけに対し、「バランスがとれていること」という模範回答(?)を用意していた私は、次の瞬間、佐々木氏から衝撃のことばを耳にしました。「幼児期に必要なのは100%母性です。当分の間、父性は必要ありません。父性の出番は、もう少し先になってから」。氏の趣旨は、幼児期には母性によってしっかりと基本的信頼感が培われなくてはならない。そうでないうちに、父性による厳なるルールなどが入り込んできても、それは形式だけに終わってしまうばかりか、かえって害になる、ということであると、私は理解しました。氏の説得力もさることながら、普段子どもたちに触れている身として、すぐに「ガッテン」したのです。

 「ちょっと待った!ならば、幼稚園年代の父親はどうしたらいいのだ」とのクレームが、育メンのパパ、そしてママからも聞こえてきそうです。「ちょっと待った!佐々木氏は、決して父親は必要ない、と言っているのではなく、今は父性は必要ないと言っているだけ」なのです。(話を分かりやすくするために、本稿では「父性=厳しさ」「母性=優しさ」として話を進めます。)本来優しさは誰にも具わっているのですから、父親にも母性はあります。父母が協働してそれぞれの母性を発揮し、子どもたちの心に絶対的安心感(それはやがて「自己肯定感」につながっていく)を育てていくことこそが、保護者にとっての「今でしょ!」なのです。そして、私たち保育に携わる者にとってのメインテーマでもあるのです。


  まず、一点め。私の書いた文章によって、現代のお父さまが、かつてのガンコ親父的なイメージで子どもに接している、あるいは接すべきであるというメッセージとなって伝わっているとすれば、それはひとえに私の表現力の稚拙さであり、誓って私の本意ではありません。

 僭越ながら、佐々木氏は、臨床医としての豊富な経験の中から、問題行動が見られる子ともの事例研究の成果として、上の文章中の趣旨を述べられたのではないでしょうか。あくまでも憶測の域を出ませんが…。蛇足ながら、佐々木氏は、決して父親・母親と言っているわけではいるわけではありませんので、念のため。

 私自身も、現代のお父さま方が厳しさ一辺倒で子育てしておられるとは全く思っておりません。園の行事にご参加くださるお父さま方の様子からも、 Pさんのように、愛情を持って子どもに接しておられるお父さま方がたくさんいらっしゃることをよく承知しております。

 そうであるならば、「園長は、なぜ父性のことを取り上げたのか?」と疑問を抱かれることでしょう。実は、1月号の原稿を書く直前、私は、あるお子さんの教育(保育)方針について、そのご両親とお話しする機会がありました。お父さまは、その子を  かなり厳しく躾けておられるように見受けられましたので、私は「褒めてあげること、優しく接してあげること」の大切さをお伝えし、そのような触れ合いを家庭でもしていただけるようお願いいたしました。そんな矢先だっただけに、私の問題意識は、  父親(母親も含めて)による厳しい躾のあり方に向いていたのです。数少ないケースとは言え、私は、佐々木氏の説に倣い、幼児期の親子のあり方に一つの警鐘を鳴らしたかったのです。

 余談ですが、前任校で出会ったMは、情緒に不安を抱えた女子学生でした。幼いころからご両親に厳しく育てられたようで、本人の話によると、お母さんが寝静まってから、お母さんの布団に潜り込み、お母さんの背中から抱きついていた、という話を聞いたことがあります。きっと優しさに飢えていたのでしょう。「子育て」について考えるとき、いつもその子のことが、脳裏に浮かびます。

 二点めについてですが、1月号で私は、肝心なことを簡略に表現してしまったことを反省しています。しかし、その意味している内容については、時代を超えて変わらないもの、と思っています。

 以下は、菅原裕子氏『お父さんだからできる子どもの心のコーチング』(PHP文庫)からの引用です。

「母性」は母親という意味ではなく、母なるものに象徴される温かさ、やさしく包みこんで安心感を与えてくれるもの、甘えを受け入れ依存させてくれる存在を意味します。

「父性」は、父親という意味ではなく、父なるものに象徴される存在です。

甘えを断ち切り、世間において一人の人間として、自立して暮らすために必要なことを伝える存在です。社会の規範や倫理的なもの、つまり人として何がよくて何が悪いかを教えるものです。

愛情いっぱいに育てるべきか、厳しく育てるべきかという議論がありますが、子育てにおいてそのどちらかというのはナンセンスです。

一人の人を育てるためには、愛情いっぱいの母性と、悪いことは悪いと言う厳しい父性の両方があって初めて、バランスのとれた人格を育てることができるのです。

 上にもあるとおり、子育てに「母性」と「父性」は車の両輪のようなものです。厳しさに象徴される「父性」を欠いてしまうと、社会性の乏しい人間に育ってしまいます。ただし、その「父性」が真に発揮される時期は幼児期ではなく、もう少し先(と言っても、あっという間にその時はやってきますが…)のことなのです。子どもの様子を見ていて、「今厳しく躾けなければとんでもないことになってしまう」とお考えの方がおられるとしたら、しばらく待ってあげてください。決して見逃すことをお勧めしているのではありません。厳しくではなく、優しく諭してあげてほしいだけなのです。

 親子間のコミュニケーションが難しくなる思春期こそ、まさに「父性」の出番です。優しさに包まれた幼児期を過ごした子どもは、幼児期に培われた親子の信頼関係に裏づけられて、人生の一大危機を上手に乗り越えていくことができます。

 最後に、Pさんへ。今の私の率直な思いを書かせていただきました。よろしければ、またお便りください。お待ちいたしております。   

松森憲二拝

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