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2014年2月

園長の「給田だより」(2014年2月号)

2014/02/01 9:00:00

「夜が明けると朝が来る!」
  ~ のぼる太陽を拝みながら ~

(大変遅ればせながら)皆さま、あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いいたします。

 子どもたちとの触れ合いの中で、園長としてぜひとも、と願っていることの一つが、各クラスごとの「1学期に一度のランチタイム」です。今年度は、1・2学期と続けることができましたので、3学期も年明けから楽しみにしています。

 ランチタイムの「いただきます」のご挨拶のあと、子どもたちはどんな動きをするか、ご存じでしょうか?お弁当の中身を示して、「園長先生見て!」と大合唱が始まります。一人ひとりのお弁当を眺めながら、私は、「おいしそうだねぇ」と応えます。決して社交辞令ではありません。本当に食べたくなるようなお弁当のオンパレードなのです。卵焼き・ウインナー系男子(?)の私にとっては、むしろ目の毒かもしれません。「一口食べたい」なんて衝動にかられていることを、気づかれないよう必死です。中には育メンパパの手作り弁当もあるかもしれませんが、大半はママが作ってくれた美味しいお弁当。“お弁当自慢はママ自慢”だということを、私は知っています。私にとってのランチタイムは、母子の情愛を実感させてくれる至福のひとときなのです。

 さて、ここでクイズです。ママが作ってくれるお弁当、中身はそれぞれであっても共通の栄養素(ビタミン)が含まれています。それは何でしょう?  ~Thinking time~

 正解は…、「ビタミンI(愛)」です。

 人の身体は、その人が食べたものによってつくられます。精神も同様です。ママの作ってくれる愛情たっぷりのお弁当が、子どもたちの健全な身体と精神を育てるのです。子どもたちには、ママのお弁当の味をいつまでも忘れないで、と願わずにはいられません。

 ところで、この原稿の締切日である1月17日の朝、こんな出会いがありました。年中組のAちゃん、いつものようにバスから降りて私の前に立ち、「園長先生、おはようございます」の一言。ところが、すぐに立ち去りません。その後の言葉、「あけましておめでとうございます」。一瞬「?」。何日か続いているので、彼女にとっては、どうしても言いたい言葉なのでしょう。躾が徹底されているのか、あるいは、本人にとってよほど心地良い言葉なのかと思いつつ、私は心の中で「気の済むまで言っていいんだよ」とつぶやいていました。と同時に、こんな考えも浮かんできました。「待てよ。その言葉は、毎朝言っても別におかしくはないのではないか。だって、夜が明けて朝はやってくるのだから…」と。

 玄関でのお迎えの後、園長室で、立正佼成会会長で佼成学園学園長である庭野日鑛先生のご著書『こころの眼(まなこ)を開く』を手に取り、次の一文を見つけました。

 朝、目が覚めたら生かされていた!という、その喜びと感謝をこめて、家族や隣人に「おはようございます!」と笑顔で挨拶するとき、その日一日を明るく生きていく第一歩が、そこに印されることでしょう。

 「喜びに満ちた状態」を、「めでたい」というのですから、夜が明けて朝が来て、そのことに喜びがあるのならば、毎朝、「あけまして おめでとう」と言っても不思議なことではないのだ、というのが私の結論です。ただし、その前に「新年」さえつけなければ…。

 こんなことを書くと、園長は大丈夫かと、心配の声が聞こえてきそうです。どうか、ご安心ください。“毎朝「おめでとう」と言おう”を提唱するつもりなど毛頭ありません。あくまでも、気持ちの問題を言っているのです。

 毎日毎日、子どもたちの純真な心に触れていると、いわゆる世間の常識から乖離(かいり)してしまいそうな気もいたします。しかし、私はむしろ積極的に、純真の海に浸り続けることを望んでいます。

 今年一年、その海からのぼる太陽の光を拝みながら、感謝の気持ちを忘れず、おめでたい日々を過ごしたいと願っております。佼成の子どもたち一人ひとりが太陽であることは、言うまでもありません。  

松森憲二拝

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