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2014年1月

園長の「給田だより」(2014年1月号)

2014/01/01 9:00:00

「真の“マチガイ”のために!」
  ~母性は性を超えて ~

 当然のことながら、職業柄「幼稚園」という文字に敏感になっている私は、壮年向け雑誌『ダーナ』(佼成出版社刊)の「リーダーとは、幼稚園のときに教わったことをやりとげる人」というタイトルに目を奪われました。以下、佐々木常夫氏(東レ経営研究所特別顧問)の掲載文の一部です。

 私は東レの若手社員に、「礼儀正しさ一本でリーダーになれる」と言ってきました。リーダーというのは、幼稚園のときに教えてもらったことがきちんとできる人です。

 「人に会ったらきちんとあいさつする」「みんなと仲よく遊ぶ」「仲間はずれをつくらない」「うそはつかない」「間違ったことをしたら勇気をもってごめんなさいと言う」――。

 でも、こういうことを愚直なまでにできる社会人はなかなかいません。

 この文章を読み、「我が意を得たり」の思いが高揚してきました。幼稚園年代は人生の基盤づくり、とよく言われますが、ビジネス界のオピニオンリーダーが、幼稚園の果たす役割の重要性を証明してくれたのですから、嬉しくないはずはありません。「幼稚園のときに」というのは、「幼稚園で」「幼稚園時代に家庭で」の両方を意味しているはずです。子どもたちを未来に送り出す保護者、保育者の責任の重さを、改めて認識いたしました。  

 「幼稚園のときに」の文字にすぐにピンとくるのは、佐々木正美氏(児童精神科医)の講演で聴いたあるメッセージです。「幼児期に必要なのは母性でしょうか、それとも父性でしょうか?」という問いかけに対し、「バランスがとれていること」という模範回答(?)を用意していた私は、次の瞬間、佐々木氏から衝撃のことばを耳にしました。「幼児期に必要なのは100%母性です。当分の間、父性は必要ありません。父性の出番は、もう少し先になってから」。氏の趣旨は、幼児期には母性によってしっかりと基本的信頼感が培われなくてはならない。そうでないうちに、父性による厳なるルールなどが入り込んできても、それは形式だけに終わってしまうばかりか、かえって害になる、ということであると、私は理解しました。氏の説得力もさることながら、普段子どもたちに触れている身として、すぐに「ガッテン」したのです。

 「ちょっと待った!ならば、幼稚園年代の父親はどうしたらいいのだ」とのクレームが、育メンのパパ、そしてママからも聞こえてきそうです。「ちょっと待った!佐々木氏は、決して父親は必要ない、と言っているのではなく、今は父性は必要ないと言っているだけ」なのです。(話を分かりやすくするために、本稿では「父性=厳しさ」「母性=優しさ」として話を進めます。)本来優しさは誰にも具わっているのですから、父親にも母性はあります。父母が協働してそれぞれの母性を発揮し、子どもたちの心に絶対的安心感(それはやがて「自己肯定感」につながっていく)を育てていくことこそが、保護者にとっての「今でしょ!」なのです。そして、私たち保育に携わる者にとってのメインテーマでもあるのです。

 「児童虐待なんて全く無縁だ」とお考えの方がほとんどのことでしょう。身体的虐待、性的虐待、ネグレクト、心理的虐待の4種類の「虐待」の中でも、私が特に問題意識をもっているのは、心理的虐待の典型例である「言葉による暴力」です。

 絶対的力関係が存在する親子関係。言う側は案外気がつかないものですが、言われる側の精神的圧迫感、ダメージは相当のことでしょう。例えば、間違いを正すために、きつく言ってそれで収まったと喜んでいるのは親の側であって、弱者である子どもの側には、大きなストレスが心の奥深くに潜んでいってしまうという危険性があることを、我々大人は心しておかなければなりません。   

 問題行動をとる青少年の多くが、3歳~10歳の時期に「親から愛されなかった」という思いでいた、という事実をご存知でしょうか。子どもの心には、厳しい言葉と怖い表情しか残っていないのですから、無理もありません。後になっていくら「愛していた」と叫んだところで、後の祭りです。お父さんお母さん、お願いですから、厳しさはもう少し先に待ってもらえませんか。さもないと、取り返しのつかない「間違い」を犯してしまうことになります。近い将来、父性の出番がやってきたとき、きっと「待ち甲斐」があったと思うはずです。二つのマチガイには、雲泥の差が…。

 子どもたちの心の叫びの代弁者として、少し脅迫じみてしまったかもしれません。ゴメンナサイ。でも…、本当のことですから…。  

松森憲二拝

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