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2013年12月

園長の「給田だより」(2013年12月号)

2013/12/01 9:00:00

「R君が教えてくれたこと」
  ~“素直さ”に関する一考察~

 1月15日、世私幼のPTA大会がありました。佼成学園幼稚園からは60名を超えるお母さま方がご出席くださいました。同大会での私にとってのハイライト、それは第一部の最後に発表されたPTA連合会による「大会宣言」でした。共感をもって、その前半部分を転記いたします。

大 会 宣 言

「将来の宝」と言われる子どもたちが、幼児期において適正な環境のもとで、温かい愛情で見守られ、「安心して」「明るく」「楽しく」「有意義」な幼稚園時代を過ごしていけることを、私たち保護者は願っております。

子どもが育つとは、「人」としての生き方を身につけていくことです。つまり、自分のことが自分で出来る、他者との間で良好な関係が持てる、感情や情緒面が安定し思いやりが育まれ、自身を律していく力が備わり、貢献しようとする心が育っていくことなどです。

幼児期は、人格形成の土台、まさに人間性が培われていく代えがたい時であり、日々の生活や経験から健全な育ちが保証されていくべき大事な時期といえます。

私たち保護者は、「子育て」の意義とその充実感を実感しながら、家庭でのしつけ、親子の絆を大切にした子育てに努力しています。(後略)

 (※下線は、松森による。)

 身につける「人」としての生き方、あるいは培われるべき人間性とは、一体何でしょうか?いろいろ考えられる中で、あえて一つに絞るとすれば、私は「素直さ」だと信じています。

 ある朝、年少組のR君が玄関にやってきました。いつものように私の前に立って、「園長先生お早うございます」と言うのか、と思いきや…。何も聞こえてきません。彼の口は開かれていませんでしたので、私は右耳に手を添えるポーズをとって、「聞こえないよ」と言いました。こうした場合によくあるのは、いけないと思って、「お早うございます」と言い直してくるパターンです。ところが、R君は違いました。すぐに返ってきたのは、「言ってないよ」という言葉でした。私は一瞬、あっけにとられてしまいました。しかし、すぐに「そりゃ、そうだ」と気を取り直したのです。

 挨拶できることは、もちろん大切なことです。トレーニングとして、その場で挨拶を促すことの意義は大きいと思います。ただし、このR君とのやり取りに限って言えば、指摘して挨拶させることが果たして得策なのか、疑問です。挨拶の言葉が出なかったのには、きっと何らかの事情があったのでしょう。ですから、私の「聞こえないよ」という問いかけに対する彼の「言ってないよ」という回答は、彼にとってはごく自然の応答なのです。R君の素直な反応、それは、私の中にある「相手に要求する心」を見透かした、きれいな「一本勝ち」です。まさに「参った!」という心境でした。しかし、その時感じた何とも言えないすがすがしさは、今も私の心に残っています。子どもたちとの触れ合いの中に、この感覚を大事にしていこう、とその時思いました。

 ところで、「素直な心を育てよう」とよく耳にしますが、素直さに関して言えば、果たしてその表現は適切なものなのでしょうか?「子どもたちがもともと具えている素直な心を、徒に傷つけない」、換言すれば「今あるものを壊してはならない」「ありのままを受容する」ことに留意すべきなのではないかと、私は思っています。

 大人はつい「上から目線」で、子どもに対し「あれをしなさい、これをしなさい」と口出しします。もちろん期待を込めてのことであり、一概に否定されるものではありません。しかし、できないときの「どうしてできないの?」という言葉は、子どもに相当なプレッシャーをかけ、ストレスを与えているはずです。(もし、子どもにストレスなんて、という考えの方がおられるとしたら、それはとんでもない認識不足です。子どもにだってストレスはあるのです。)さらに追い打ちをかけるように「何でできないの!」が繰り返されていくと、子どもの心に芽生えるのは、「自己嫌悪感」「関係拒否感」「気力喪失感」という「心の痛み」です。

 素直さは、手を加えるものではなく、そっと見守っていくものである。私からのメッセージ、  素直に受け取っていただけますか? 

松森憲二拝

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