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園長の「給田だより」(2015年1月号)

2015/01/09 11:27:57

「六つの“エン”を大切に!」     ~もうワンランク上の園長となるために!~

 皆さま、明けましておめでとうございます。平成26年度も、今日(1月9日)の始業式を含め、余すところ70日、登園日は終業式を含めて53日となりました。昔から、「1月は行く、2月は逃げる、3月は去る」と言われているように、3学期の3か月間は、あっという間に過ぎていってしまいます。一日一日に課せられた意義をかみしめながら、日々を大切に過ごしてまいりたいと思います。

さて、昨年末に、『あんふぁん』川柳大賞の佳作入選についてお伝えいたしましたが、実は 応募したのは一作のみではなく、他にもいくつか投稿いたしました。その中の(落選した)一句が、 「おやじギャグ 寒がられても また一つ」というものでした。私は、世間で言う「おやじギャグ」、とりわけ「ダジャレ」を「類語学研究」と呼んで、ライフワーク(?)の一つとしています。「たかがダジャレ、されどダジャレ」です。同音異義語に対する理解と洞察力、瞬間的なインスピレーションをとらえる感性と発語のタイミングなど、突き詰めれば突き詰めるほど、結構奥が深いものなのです。言語理解導入の一環として、幼児教育に 「ダジャレ」を推奨している学者がいることを、皆さまはご存じでしょうか。

そんな私の新年早々の「給田だより」、かねてより園長として考えてきたことを披歴させていただくことにいたしました。まるで所信表明演説のようですが、年頭に当たっての決意です。しばし、お付き合いください。

一つ目のエンは、「これも何かのご縁ですから」でおなじみの「縁」です。仏教では、「縁」は最も根本的な教えとされ、一般的な表現をするならば「出会い」ということになるでしょう。人の成長には、何かとの出会いが不可欠です。出会いの質が高ければ高いほど、人は自他ともに幸せになることができます。WIN-WINの関係に、心を砕いてまいります。

二つ目のエンは、「円」です。「円」と言っても、お金のことではありません。「円満」の「円」を意味しています。園児や保護者の皆さまとの触れ合いをとおして、「円満な人格」をめざします。

三つ目のエンは、「宴」です。「行事」とご理解ください。多くの人々の集いには、個々の出会いでは得られないさまざまなメリットがあります。特に、園で行われる大きな行事は、園児を大きく成長させる貴重な機縁となっていることは、既にご理解くださっているとおりです。その陰には、保護者の皆さまの願いやご支援があることを忘れてはなりません。それらのことを踏まえて、行事の目的達成に、誠心誠意取り組んでまいります。

四つ目のエンは、「演」です。その文字からの私のイメージは、「パフォーマンス」、そして「表現」です。子どもたちの「生きぬく力」の源泉となる表現力を引き出すためには、保育に携わる者の「言葉磨き」が求められます。一言が、人を活かすためのメスになるのか、人を傷つけるためのドスになるのかは、本当に紙一重なのですから、子どもたちへの「声かけ」に心を配っていかなければなりません。しかし、それ以上に意識すべきことは、子どもたちの成長を心底から願って語りかけることだと、認識しております。

五つ目のエンは、「援」です。園児・保護者・教職員を一体とする“チーム佼成”のリーダーと  して、身の周りの人たちのために尽くし、互いに「協力」し合える関係を構築してまいります。

六つ目のエンは、「炎」です。「情熱」と置き換えることができると思います。第三者から見れば、些細なこと、あるいは面倒なことと思われることであっても、園児や保護者の笑顔につながるものであるならば、情熱を燃やし努めてまいります。

ところで、「情熱」という熟語は、私にとって切っても切り離せないキーワードとなっているのですが、それには、ある曰く因縁がございます。学生時代、「雄弁会」というサークル(一般的には「弁論部」と呼ばれる)に所属した私は、先輩たちに倣って、人生初めての名刺を作りました。 「ありきたりのものは嫌だ」との思いから、「情熱と実践(Passion & Practice)」というキャッチコピー入りの名刺を作成いたしました。当時私は、「“情熱と実践”、“P & P ”の松森憲二です」と挨拶していたことを、今でも憶えております。以来40年余、そのコピーは私自身を、時には叱咤激励し、時には慰め続けてくれています。

そろそろスペースがなくなってきました。今月は、この辺で、エ~ンジャナイカイ…。 

お後がよろしいようで…。   

 松森憲二拝

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