トピックス

園長の「給田だより」(2015年5月号)

2015/05/01 8:51:34

「○○したがる子どもたち!」 ~ 遊んで泣いて、育ちゆく ~

5月5日は「こどもの日」。「国民の祝日に関する法律」によれば、「こどもの人格を重んじ、こどもの幸福をはかるとともに、母に感謝する」と意義づけられています。「初ジイジ」へのカウントダウンが進んでいる身でありながら、「父」が登場しないことにいささかの寂しさを覚え、つい「父への感謝は?」と突っ込みを入れたくなります。しかし、“出産”“育児”という一連の大事業を担っているのが母親なのですから、やむを得ない、いや当然のことと言えるかもしれません。

5月の「給田だより」は、その祝日に因んで、「子どもとは?」についての私流の考察です。

まずは、「子どもとは、遊びたがるもの」です。「子どもの仕事は遊び」、このことに異論を挟む人は少ないと思います。しかし、現実の世界では、「遊び欠乏症」の子どもたちが多くなってきているのではないでしょうか。「佼成の園庭で、思いっ切り遊ばせてあげたい!」は、本園を志望してくださる保護者の大半の願いです。広い園庭、そして教師たちは、その期待を決して裏切りません。

子どもは「遊び」を楽しみながら、さまざまなことを学んでいきます。その「遊び」につきものであり、そして大きな学びをもたらすものが「喧嘩」です。「喧嘩」を奨励するつもりは毛頭ありません。しかし「喧嘩」を忌避するのも、考えものです。子どもは「喧嘩」によって、人間の心の機微、人間関係の大切さ、コミュニケーションの取り方、仲直りの仕方、などを学びます。私が申し上げたいのは、お察しどおり、「喧嘩」をも学びの機会にしていこう、ということです。たまに親たちが間に入って、仲直りに手を貸すことがありますが、何ともったいないことでしょう。子ども同士で仲直りするチャンスを取り上げてしまうことは、慎まなければならないと思います。3歳児と言えども、立派に喧嘩相手との折り合いを付けることのできる子を、私はたくさん知っています。

「遊ぶことは、学ぶこと」です。幼児期の遊びは、人生の大切な基礎工事。少々のトラブルは、将来への投資と覚悟して、しばらくの間お付き合いください。また、親が子どもと一緒に遊べる期間も、それほど長くはありません。遠からず、親など相手にしてくれない日が、必ずやってきます。「いつ遊ぶの?」「今でしょ!」(古いですか?)

次に、「子どもとは、泣きたがるもの」です。泣く子を前に「どうしたらいいの?」ということは、よくある話。切なくなった親は、嘆声や叱声、時には怒声…。子を持つ親ならば、身に覚えのあることだと思います。「泣くことも子どもの仕事」、乳児の頃ならば、「お腹がすいているのかな?」「おむつが汚れているのかな?」「眠いのかな?」と子どもの気持ちを推し測っていた新米ママさんも、子どもが言葉を発するようになってからは、言葉で、そして感情で言って聞かせるようになってしまいがちです。しかし、精神的に一歩も二歩も先んじているはず(?)の大人は、ある「大事なこと」を忘れてはなりません。それは、感情表現の一つである「泣く」ことは、子どもにとっては、意思表示の大切な手段でもある、ということです。

大人だって、内面の心の動きを表現することは、とても難しいことです。ましてや、言語表現が未発達な子どもが、その意思を伝える手段に困ったとき、出生以来有効だった「泣く」ことに活路を見出すのは、自然の流れというものでしょう。子どもは、「泣く」ことによって、大人に「何か」を訴えかけているのです。何だかすっきりしない思いを、「泣く」ことで表現しているのです。このことを、大人は理解してあげたいものです。気持ちを汲み取ってもらうどころか、「泣いて親の言うことを聞かない子は、ダメな子」という接し方をされれば、子どもの心の残るのは、ただのストレスです。「泣くことは、話すこと」です。子どもの心に寄り添い、ぜひ耳を傾けてあげてください。

その際に威力を発揮するのが、「自己肯定感を育む“三つの魔法の言葉”」と私が名付けている、「どうしたの?」「どうして?」「どうしたいの?」というキーワードです。優しく淡々と問いかけ、返ってきた言葉と気持ちを、「そうなんだぁ…」と口に出し、温かく受容してあげてください。くれぐれも感情的な詰問は、「ダメよ~ダメダメ!」。(これも古いですか?)百害あって一利なし、です。

子どもの「○○したがるシリーズ」には、続きがあります。「騒ぎたがる」「不安がる」「褒められたがる」「甘えたがる」などの各項目につきましては、また改めて別の機会に…。

書きたがる、初老の園長でした。 

松森憲二拝

« 藤棚! | メイン | 今日の園庭! »