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園長の「給田だより」(2015年9月号)

2015/09/03 9:56:59

「園の風は、優しく、そして仲良く!」 ~ お手本にならなきゃね! ~

今日の一日元気よく 正しい良い子になりましょう

今日の一日元気よく みんな仲良く遊びましょう

佼成学園幼稚園の園児、そして保育者が毎日唱えている「やくそく」です。皆さまもご存じのとおり、佼成の「宝物」とも言うべき大切な言葉です。子どもたちに合わせた表現ですが、その真精神は、子どもたちの育成に関わる大人たちにとっても、口にし、身に行い、心に留めるべき「指針」である、と私は思っております。

ところで、佼成学園幼稚園の理念・方針に賛同し、愛しい我が子を送り出してくださっている保護者の皆さまにとって、この言葉はどのような意味をもっているでしょうか?なぜこのようなことを書くのかと言えば、佼成学園幼稚園の園長に就任して4年目、今年ほど「“佼成”とは一体何なのだろう?」と、深く考えさせられたことはないからです。というのも、時折私の耳に入ってくる信じ難い情報に、私自身の心は揺さぶられています。その情報とは…。

「佼成の保護者同士なのに、バス停で挨拶 しても無視された」、「クラスのさまざまな連絡をしても、ママ友との繋がりを極端に避ける 人がいる」…等々。保護者間の協調も、「保育の質」を高める大切な要素の一つであると固く信じている私には、大変残念でなりません。保護者間のぎくしゃくした話を聞く度に、「これが“佼成”と言えるのだろうか?」という疑問が、私の脳裏に浮かびます。疑問というよりは、むしろ困惑、あるいは苦悩という表現の方が、私の心情に近いかもしれません。「“佼成”の目指すもの」との違和感を感じてしまうのです。

では一体、「“佼成”の目指すもの」とは何でしょうか?私は、その答えを、「佼成」という園名に求めたいと思います。「名は体を表す」と言いますから…。

「佼成」という熟語は、一般的にはあまり馴染みのないものでしょう。しかし、その意味は、「人と人との交わりをとおして人格完成を目指す」というとても“深イイ”ものなのです。年長組園長懇談会で披露した『紙芝居開祖さま』(園の創立者庭野日敬先生のご生涯の物語)の中に、「佼成」とは、「人を尊び、喜ばれる人間になれるよう、みんなで学びあうという意味です」との説明がありました。表現の仕方はさまざまであっても、「人と人とのより良き交わりこそが人生である」ということを示唆していると、私は受け止めています。その精神を生かしつつ、幼児に相応しく表現したものが、冒頭の「やくそく」に他なりません。

「佼成」の「三種の神器」と言えば、広い園庭・室内温水プール・きれいな園舎が定番ですが、これらは「目に見える佼成」。私が強調したいのは、「目に見えない佼成」の大切さです。 「目に見えない」ものとは、人々が生み出す雰囲気(=空気)のことです。「空気が動くと風になる」と言いますが、小・中学校に「校風」、会社に「社風」があるように、幼稚園には「園風」があり、子どもたちはその園風によって育まれていくのです。

園長である私の使命は、園児一人ひとりが、他の人とのコミュニケーションをとおして交流を深め、互いに学び合い、他の人の思いがわかるような人間を育てること、にあります。その使命の遂行には、絶対的な必要条件があります。それは、子どもたちを取り巻く大人たち自身が、「佼成」に相応しい空気を作りだしていくことです。子どもたちは、私たち大人が醸し出す空気をも吸い込みながら日々の生活を送っているのです。保育者と保護者の責任は、決して軽いものではありません。

大人である私たち保育者同士、保護者同士、保育者と保護者との交流がより良く保たれていることによって、子どもたちの「やくそく」は実のあるものになるのです。 

いよいよ、充実の2学期の始まりです。可愛い子どもたちのためにも、保護者と保育者とが手を携えて、いつでもどこでも、「佼成」という誇るべき良き風を子どもたちに注いでいけますよう、皆さまのお力添えをお願いいたします。

今日の一日機嫌よく 優しい大人になりましょう

今日の一日機嫌よく みんな仲良く過ごしましょう(大人版の「やくそく」です。) 

松森憲二拝

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