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園長の「給田だより」(2015年12月号)

2015/12/01 9:12:39

(ぶん)(ひと)なり」  ~佼成からの「“いのち”のお手紙」~

幼稚園から保護者の皆さまにお出しする文書を、総称して「お手紙」と呼ぶのが慣習となっておりますが、その「お手紙」に関して、今年度になっていくつかの保護者の声が、私の耳元に届くようになりました。例えば、「幼稚園からの手紙が多過ぎる」、「どうでもよいことばかりが書かれている」、「わかりやすくないので読む気がしない」等々。ある保育雑誌で、「幼稚園からの文書はそのまま ゴミ箱へという保護者がいる」との信じ難い記事を目にしたことがありましたが、まさか佼成でそんなことは…、と思いつつ、背筋の寒くなる思いがいたしました。文書責任者でもある園長として、保護者の皆さまにそんな発言をさせてしまう責任を痛感する一方で、とても残念な気持ちが湧き起こってきました。というのも、私自身「お手紙」に関しては、強い思い入れがあるからです。

平成24年4月の園長就任以来、佼成学園幼稚園をより良くするためにと、微力ながら努めてまいりましたが、そのために意識してきたことの一つが、「文書にいのち(・・・)を吹き込む」というテーマです。園発行の文書に「?」を抱くようになったのは、園長に就任して間もなくのことでした。「ビジネスライクに徹している」と言えばそれまでですが、30年近く、学生たちとともに、仏教精神に基づくホスピタリティーマインドを学んできた私は、 「できれば、より丁寧な文書を発行したい。その役割を果たすことこそ、私の使命である」と感じてしまったのです。早速、手当たり次第に、発行文書の見直しに着手。その結果ついたあだ名が、「赤ペン先生!」(褒められているニュアンスで ないところが、若干微妙なのですが…。)

 ところで、一口に「お手紙」と言っても、発行目的により、いくつかに分類することができます。

 第一に、「通知文・連絡文」。行事ごとの詳細に関するお知らせはもちろんのこと、月間予定に 関する『月報』などがあげられるでしょう。

 第二に、「案内文・報告文」。学期ごとの『カリキュラム』、園の活動を“見える化”するための 『園だより』などが、それに含まれます。

 第三に、「所感文・挨拶文」。私自身のそのときどきの心境を記した『給田だより』や、園の活動に即して、保護者の皆さまにお願いやお礼を申し述べる『園長通信』が相当します。これらは、   言わば“園長の所信表明”(?)ですが、私の考えを率直にお伝えすることで、保護者の皆さまとの コミュニケーションをより円滑に図ることができるのではないか、と考えております。

 便宜上、上のような分類はできるものの、それは、必ずしも厳密なものではありません。発行  回数を必要以上に増やさないために、お伝えすべきことを直近の「お手紙」でお知らせしているというのが、実際の「お手紙」事情です。従って、一回の「お手紙」に、複数の目的が含まれていることもしばしばございます。保護者の皆さまには、文書名だけで内容を即断することなく、必ずすべての「お手紙」に目をとおしてくださいますよう、お願いいたします。(例えば、学期ごとの『カリキュラム』には、学期中の保育内容が明記されていますが、その保育の充実の一端を担っていただくために、「家庭の協力」という欄を設けております。重要事項が記載されていながら、十分に伝わっていないことが、一つの課題となっております。)

 冒頭の批判への弁明をお許しいただくならば、 「お手紙」は、保護者の皆さまにお伝えすべき  ことを、タイミングを見計らいながら発行いたしております。どの「お手紙」も、保育活動の主役である園児たちが困らないように、園児たちを 戸惑わせることのないようにとの願いを込めて、 保護者の皆さまにお届けしているつもりでございます。その気持ちを、どうかお汲み取りください。

 「お手紙」に限らず、「文書」と言えば、私の脳裏にある言葉が浮かんでまいります。フランスの博物学者ビュフォンの「(ぶん)(ひと)なり(=文章はそれを書いた人柄を表わすものであるということ)」です。保護者の皆さまとの“心の架け橋”となる「お手紙」をお届けすることは、私自身、どれだけ保護者の立場を考え、どれだけ思いやりが込められているかが試される、「自分磨きの修行」と心得ております。今日もまた「“いのち”のお手紙」をお受け取りください。

松森憲二拝                            

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