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園長の「給田だより」(2016年6月号)

2016/06/01 7:07:04

「生んでいただいた“いのち”!」  ~ゾウの母子の情愛に学びたい!~

冒頭から私事で恐縮ですが、5月は私の母と、私と、私の孫の誕生月で、日付は三日連続の17日(満86歳)、18日(満1歳)、19日(満62歳)です。それに因んで(?)、今号では、「誕生」にまつわる話題を、佼成学園学園長の庭野日鑛(にちこう)先生のご指導の中から、二つお届けいたします。  

 一つ目は、ご著書『こころの(まなこ)を開く』の中の次の(くだり)です。毎月、園で実施する誕生会に臨む上で、私自身の大切な心の指針となっています。

ある人が恩師から「誕生日はいつか」と聞かれて、何年何月何日に生まれました、と答えたそうです。すると、「生まれたのではない。生んでいただきました、と言い直しなさい」と叱られたというのです。人間に生まれた、生んでいただいたということは、じつに私たちの感謝の原点といっていいでしょう。仏さまの教えは帰するところ、万物への感謝ということですから、自分の誕生日に対する考え方一つが、真の感謝の心になるか、感謝を知らない身勝手な心になるかの分岐点ともなるでしょう。(中略)誕生日を「生んでいただいた日」と受けとる心になれば、自分をとりまくことはあれもこれも、すべてがありがたいことばかりになるのです。

例年4月と5月の年長組誕生会では、子どもたちの柔らかい素直な心((しん)(でん))を耕すことができたら、と願いながら、「あいうえお作文」を用いて、「こ・う・せ・い」の「う」は「生んでいただいた」の「う」だよ、とお話ししています。

二つ目は、学園長先生が折あるごとにご紹介くださる『お誕生日』という詩。作者は、日本を代表する教育者として有名な東井(とうい)義雄(よしお)先生です。

誕生日おめでとう

お父さんお母さんから

いのちをひきついで

おじいさんおばあさんから

いのちをひきついで

その前のおじいさんおばあさんから

その前のその前のご先祖さまから

いのちをひきついで

何億年も昔からの

いのちをひきついで

あたらしいいのち

この世への誕生

おめでとう、おめでとう

思い起こせば一年前、長男の嫁からの第一報で、私は「じいじ」になりました。ではなく、ならせていただきました。一年間にわたる悲喜こもごもの日々が、有り難い(有ることが難しい)という思いを、より一層深くしてくれています。

ところで、話は変わりますが、今年の子どもフェスティバル(人形劇)の演目の一つは、「ぞうのはなはなぜながい」でした。ストーリーは、ぜひお子さまからお聞きください。得意になって、話してくれることでしょう。ただし、予断なくしっかりと耳を傾けてあげてくださいね。

奇しくも今年のゴールデンウィークに、自宅の断捨離(「いつかはきっと役に立つに違いない…」で溜めこんでいた諸資料の整理)をしておりましたところ、ある切り抜きを見つけました。平成26年2月28日に104歳で亡くなったある詩人を偲ぶ内容でした。その詩人とは、まど・みちおさん。たくさんの童謡を残しておられますが、中でも有名なのが、お馴染みのぞうさん』です。

ぞうさんぞうさん おはながながいのね

そうよ かあさんもながいのよ

誰もが知っているこの歌に、実は深い意味が込められている、というのです。その記事には、<子ゾウは『おはながながいのね』と言われて、ばかにされたとは思わず、ほめられたかのように喜んでいる。みんな違っていることは、すばらしいことだ>とのコメントが紹介されています。また、孫引きながら、別の資料によれば、まどさんは、次のように語ってもいるそうです。

<このゾウが、このように答えることができたのはなぜかといえば、それはこのゾウがかねがね、ゾウとして生かされていることをすばらしきことだと思い、幸せに思い、ありがたがっているからです。誇りに思っているからです。ほんとうに、この世にゾウがゾウとして生かされていることの、なんとすばらしいことでしょう。>

うーん、なるほど深イイですねぇ。子ゾウには、母ゾウからのたっぷりの愛情で「自己肯定感」が具わっているのでしょうね。だからこそ、二番の歌詞が、以下のように続くのでしょう。

ぞうさんぞうさん だれがすきなの

あのね かあさんがすきなのよ 

子どもたちと一緒に何気なく口ずさんでいる童謡の中に、親子のあり方の重要な示唆があり、ゾウの母子の温かい交流をイメージしながら、手本にしなければ、と強く感じています。

現場からは、以上です。いや、かけがえのない日々を過ごしておられる、子育て現場の皆さまに、謹んでお届けいたします。     

松森憲二拝

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