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園長の「給田だより」(2016年10月号)

2016/10/08 8:40:17

「初心忘るべからず!」   ~「給田だより」通算50号に寄せて ~

11×4+6=50、この式はいったい何でしょうか?…いきなりの解答では面白みを欠きますが、「給田だより」の通算発行号数の計算式です。平成24年4月の園長就任以来、「給田だより」を毎月の「月報」と同時に発行しています。例年7・8月は合併号ですので、1年間で11号。4年分で44号ですから、今年の6号目が通算50号目に当たり、それが今号の10月号というわけです。

毎月の原稿作成においては、人知れぬ苦労(?)を味わっておりますが、限られた文字数の中で、思いと表現が一致できた時の快感は、何とも言えません。加えて、大きな喜びを運んでくれるのが、読んでくださった方からの「読みました。考えさせられました」などのお声です。皆さまの支えあってこその50号、感謝の気持ちでいっぱいです。  

在任期間4年半という中途半端な立ち位置ではありますが、「保護者の皆さまと心を通い合わせたい」との願いで始めた「給田だより」の節目を迎え、“原点回帰”の思いが湧いてまいりました。

園長就任の直前、佼成学園本部への書類提出をとおして、私は自らの信条や抱負を表明する機会を得ました。いわば、私の“初心”です。(以下の文は、本邦初公開の秘密文書です!)

私は、約20年間にわたる専門学校生との関わりをとおして、親子関係の重要性、特に幼少年期におけるコミュニケーションのあり方が、子どもの人生をいかに左右するかについて、深く認識する機会に恵まれました。今回いただいたご縁は、幼年期における発達課題に応じた保育のあり方や、家族関係の中での子どもの存在の大きさについて改めて学ばせていただく絶好の機会であり、一人ひとりの園児たちがより輝き、たくましい人生を歩んでいく上での基礎づくりに貢献できればありがたい、と切に願っております。もちろんそのためには、保護者、教職員との連携や協調が不可欠であることは言うまでもありません。十分に意思の疎通を図りながら、佼成学園に託された 「法華経精神に基づき、豊かな宗教的情操を培う」という使命達成のために、精進してまいります。

4年半を経た今も、変わらぬ理想を抱き、それを少しでも具現化しようとしている自分自身がいることに、喜びを感じています。今日までの道のりには、いくつものターニングポイントがありました。いや、私の心境からすれば、ジャンピングポイントと言うべきかもしれません。中でも、特にインパクトが強かったのが、初年度である 平成24年度の運動会で、ある年配の方がおっしゃってくださった「園長先生、天使に囲まれた素晴らしいお仕事ですね!」という言葉です。毎日出会う子どもたちは、まさに天使そのもの。いつしか私は、彼ら彼女らの(とりこ)になってしまっていました。心洗われるような出会いは数知れず。天使たちは、私の目の前だけではなくあちこちで、無垢な世界(イノセントワールド)を繰り広げてくれています。例えば、こんな嬉しいことも…。

7月19日の終業式の朝、玄関で私は、バスを降りてきた年中組のT君が差し出してくれた「園長先生へ」というお手紙を受け取りました。「何だろう?」と思い、ドキドキしながら開封してみると、T君のお母さまの優しいタッチの文字が連なっていました。

先日、とても感心したこと、嬉しく思えたことがありましたので、お手紙を書かせていただきます。先日、私の祖父が亡くなり、息子にとって初めてのお葬式となりました。親として、人の死というものどうとらえるのか、少々不安なことも ありました。しかし息子から、「おおじぃじは、仏さまの所へ行くのかな?仏さまは優しいから よかったね」と、毎朝、幼稚園で歌っている『おまいり』のことを思い出して話しているようでした。葬儀中もしっかりと合掌し、「南無妙法蓮華経」を参列した方々と一緒に唱え、とても感心しました。合掌し、足を揃え、背筋を伸ばす姿に、周りの方々からたくさんのお褒めの言葉をいただきました。これはすべて、幼稚園でのご指導のおかげです。親としても、我が子に教えてもらう気持ちになりました。本当にありがとうございます。これからもどうぞよろしくお願いいたします。

「初心」とは、「初めに思い立った心」のことですが、もう一つ「学び初めであること」という大切な意味があります。世阿弥の『花鏡』にある「初心忘るべからず」に示された、“物事を始めたころの謙虚で真剣な気持ちを忘れない”を肝に据え、今後とも「給田だより」が、皆さまのお役に立てますよう、研鑽を重ねてまいります。

ご叱正は、いつでもご遠慮なく! 

松森憲二拝

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