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2017年11月

園長の「給田だより」(2017年11月号)

2017/11/01 6:34:19

「“小さな決心”と“大きな感動”」  ~いろいろあるね、涙の理由(わけ)って~

前号(秋季特別号)を配付する日の朝、園長室のパソコンに、一通のメールが届いていました。送り主は、「夏休みを振り返って」の文章を、秋季特別号に掲載させていただいた年中女児のお母さまでした。

いつも楽しく読ませていただいている「給田だより」に私の気づきを載せていただけるとのこと、身に余る思いです。以前の「給田だより」で、あるママさんの言葉に私自身が救われたように、こんな私の“気づき”でも誰かの胸に届き、ほんの少しでもお役に立てることがあれば、という思いです。

実は夏休みの間は、私自身なかなか気持ちの余裕が持てずにいました。そして、子どもたちがあまり笑っていないことに気付き、「あぁそれって、私が笑ってないからじゃないか」と立ち止まる時がありました。お恥ずかしい話ですが、普段から娘に「お母さんはいつも怒っている」と言われることが多く、その度に勝手に「自分はダメな母親」と言われているような気がして。変えられない自分自身を、嫌になることもありました。そんな時、「お母さん、いつもおこってばかりでごめんね」と娘に伝えると、「でもお母さん、朝はいつも笑っているよ」という言葉が。驚きとともに、「大丈夫だよ」って言ってもらえたような気持になり、自然と涙が出ました。なんだか、胸に突っかかっていたものが取れたような気持ちになって、「あぁ、決して良いお母さんにはなれないかもしれないけど、子どもに“大好き”と思ってもらえる母親になりたい」という気持ちになりました。だから笑おう。明日も笑おう。そのために頑張ろう、と。そんなことがあって、実は書いたものでした(苦笑)。こんな私の小さな決心ですが、園長先生に聞いてほしくて、つい恥を忍んで書かせていただきました。今後ともよろしくお願いします。

お母さまの思いに心打たれた私は、すぐさま返信メールを。同時に、メールにあった「小さな決心」という言葉から、「小さい勇気をこそ」という詩を思い浮かべていました。仏さまの教えを基として、長年にわたり教育実践に努められた東井義雄先生(1912-1991)が、子どもたちに寄せられたものです。私自身、この詩に何度励まされ勇気づけられたかわかりません。少し長いですが、引用いたします。

(出典:『東井義雄「いのち」の教え』佼成出版社刊)

 

小さい勇気をこそ          

 

人生の大嵐がやってきたとき

それがへっちゃらでのりこえられるような

大きい勇気もほしいにはほしいが

わたしは 小さい勇気こそほしい

わたしのたいせつな仕事を後回しにさせ

忘れさせようとする 小さい悪魔が

テレビのスリルドラマや漫画に化けて

わたしを誘惑するとき

すぐそれがやっつけられるくらいの

小さい勇気でいいから

わたしは それがほしい

もう五分くらい寝ていたっていいじゃないか

けさは寒いんだよと

あたたかい寝床の中にひそみこんで

わたしにささやきかける小さい悪魔を

すぐ やっつけてしまえるくらいの

小さい勇気こそ ほしい

明日があるじゃないか 明日やればいいじゃないか

今夜はもう寝ろよと

机の下からささやきかける小さい悪魔を

すぐ やっつけてしまえるくらいの

小さい勇気こそ ほしい

紙くずが落ちているのを見つけたときは

気がつかなかったというふりをして

さっさと行っちまえよ

かぜひきの鼻紙かもしれないよ

不潔じゃないかと呼びかける小さい悪魔を

すぐ やっつけてしまえるくらいの

小さい勇気こそ わたしはほしい

どんな苦難ものりきれる

大きい勇気もほしいにはほしいが

毎日 小出しにして使える

小さい勇気でいいから

それが わたしは たくさんほしい

それに そういう小さい勇気を軽べつしていては

いざというときの大きい勇気も

つかめないのではないだろうか

 

必ずしも順風満帆とはいかない長い人生、大きな嵐やさまざまな苦難はつきものです。しかし、実際には、“瞬時の選択の蓄積”こそが人生なのではないでしょうか。瞬時に自分自身を導くもの、それが「小さい勇気」だと思います。言うまでもなく、幼稚園は人間形成の基盤を担う教育機関です。男女とも平均寿命が80歳を超し、いずれも世界第二位の長寿国である日本。人生のスケールからすれば、3歳~6歳はごく早い時期に相当し、「基盤」という表現がぴったりきます。しかし、このわずか3年間が、その後の人生のどの時期よりも重要であるということを、我々はどれほど認識しているでしょうか。「脳の配線」に焦点を当ててみると、人間以外の動物は、生まれた時点である程度の配線はできあがっているそうです。しかし、人間はそうではなく、生まれてからの環境や教育によって、脳の配線は組まれてゆくのです。資料を繙(ひもと)くと、何と「人間の脳の配線工事は、6歳までに90%ができあがる」というではありませんか。その数字の持つ重みに、我々大人は襟(えり)を正さなければならないと思います。基本的信頼感を基とした触れ合いによって、子どもたちの「小さい勇気」は育っていきます。それはあたかも、生き抜いていくための「耐震工事」が施されるかのように…。

 

運動会も無事に終わり、数日経った日の出勤時、たまにお目にかかるご近所の年配の女性に「おはようございます」と挨拶すると、「おはようございます。お天気でよかったですね」との声が即座に返ってきました。運動会のことだということは、すぐにわかりました。気にかけてくださっていたことが胸に沁み、有難さに包まれて園長室に入りました。

ところで、皆さまは、運動会を迎える時期になると、「園長先生は雨男か?」ということがどこかでささやかれているのをご存じでしょうか。私自身、雨男であるという自覚は、全くありません。ただ人の口に上るには、それなりに思い当たる節がなくはありません。それは、さかのぼること5年前の秋…。  

園長就任1年目の運動会は、前代未聞、空前絶後の「二日またぎの運動会」になりました。朝からの雨も、「開始予定時刻には、上がる」との予報でしたので、それを信じて運動会を開始。しかし、雨はいっこうに止む気配もなく、むしろひどくなるばかり。子どもたちをそのまま濡らせるわけにもいかず、玉入れが終わった段階で、一時中断。しかし、その後の回復も見込まれなかったため、結局は「翌日に、その続きから再開する」との判断をいたしました。子どもたちに冷たい思いをさせてしまったことに、園長としての責任を痛感しました。しかしその一方で、二つの大きな救いが私を待ってくれていました。    

一つ目は、雨で順延となった当日の「明日を楽しみにしています」との声。そして、好天で実施できた翌日、帰り際の「二日も運動会を楽しむことができました」との言葉です。物事を善意に受け止める保護者がいてくださることの有難さを、ひしひしと感じました。二つ目は、札幌から来られていたある園児のご親戚が、翌日言ってくださった「園長先生、天使に囲まれた素晴らしいお仕事ですね!」の一言です。純粋無垢な子どもたちに囲まれている現実に、改めて目を開かせてくださいました。やや落ち込んでいたもやもや気分は、一気に吹き飛んでしまいました。新米園長の大きなターニングポイントになったことは、言うまでもありません。

閑話休題、先ほどの「園長先生は雨男か?」について。次の表は、今年も含めて過去6年間の通知表(?)です。6戦3勝3敗で、順延率50%の確率、皆さまの判定はいかに?少し、微妙かも…。

年度

2012

2013

2014

2015

2016

2017

実施

×

×

※ 〇=予定通り ×=一日順延 ▲=二日間実施

 二代目求道(ぐどう)を名乗る私に、川柳の創作意欲を駆り立ててくれるビッグイベントの一つが、運動会です。今年のプログラム挨拶文のタイトルは、「人となる 姿嬉しい 運動会」でした。共感していただけたでしょうか?因みに、昨年の挨拶文の締めは「佼成の 強み輝く 運動会」でした。2013年11月と2014年11月の「給田だより」では、いくつか「運動会川柳」を発表しています。2017年の運動会を振り返るに当たり、今年も川柳で。ただし、半数は、過去の句の使い回しです。思いは同じということで、ご容赦を。

「保護者リレー 長→中→少は 神の業(わざ)」

リメイクした保護者リレー。この句は3年前のものですが、筋書きのないドラマのフィナーレは3年前と同じ、年長組・年中組・年少組の順。粋な結果に、思わずびっくり!そして、なぜか納得?

「飛行機で じいじとばあば やってくる」

4年前の句を念頭に、進行の合間を縫っての突撃インタビュー。「遠方からのお客さま」コーナー(?)に応じてくださったおじいさまは、「札幌から」とのこと。きっと飛行機でお越しなのでしょうね。突然のマイクにも関わらず、お孫さんの名前を言ってくださったときの笑顔が、何とも嬉しそうで…。似た境遇の“じいじ”としては、ガッテン!ガッテン!

「おおかみが 子ぶたを抱いて ニッコニコ」

年少組の親子フォークダンス。おおかみの鼻に抵抗のあるママも、ちらほら…。SNS対策は大丈夫?

「玉入れの 番狂わせに 弾け跳ぶ」

年中組看板種目の玉入れ。練習通りの結果にならないのが、本番の醍醐味です。勝っても負けても、結果発表時の跳び上がりようは、素直さ・純真さそのもの。その気持ち、いつまでも忘れないで…。

「組体操 他人(ひと)の子なのに 泣けてくる」

3年前の句です。年長組の組体操、毎年漂うあの緊張感。入場曲が流れた途端、観衆のハートは鷲づかみにされたのでは。アッパレ!の出来映えでした。

「真剣さ みなぎるリレー 声枯らす」

年長組のリレー。見たこともない真剣な形相で、必死に前を向いて走る子どもたち。誰しもが魂をゆすぶられたことでしょう。観衆の絶叫と涙、これこそが“佼成、秋の風物詩”に他なりません。

今年も大きな感動で閉幕した「給田オリンピック」、本物の五輪に引けを取るものではありませんでしたね。キッズアスリートたちに、大感謝!

松森憲二拝

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