トピックス

給田だより

園長の「給田だより」(2012年12月号)

2012/12/01 9:00:00

育G(イクジイ)にもできるかな?
~ 絵本の読み聞かせ ~

 学年当初に、私は、「日本一の育G(イクジイ)を目指します」と宣言いたしました。そんな私のマイブーム、それは「絵本の読み聞かせ」です。

 10月下旬、私はある幼稚園を視察いたしました。その園では、長年、「子育て教室」が開かれており、その日のテーマは「読書の秋に~絵本でふれ合いましょう~」というものでした。そこには在園児ばかりでなく、卒園児のお母さんたちも参加し、子どものお気に入りの絵本を紹介したり、絵本をとおしての子どもとの触れ合いを語り合っていました。真剣かつ温かい雰囲気に引き込まれる中、私は絵本の大切さを改めて認識したのです。 

 そんな矢先の11月15日、世田谷区私立幼稚園協会PTA連合会の第47回総会が開かれ、佼成学園幼稚園の保護者約60名の皆さんと、和光大学講師山崎翠先生による「子育てに絵本を~ことばでわが子を抱きしめたい~」という記念講演を拝聴いたしました。

 山崎先生は、三人の子育ての中で、ずっと絵本の読み聞かせを実践してこられた方です。長女さんが嫁ぐ日の前夜、一冊の絵本を持っていくと言ったそうです。「どうして?」と尋ねると、「母さんの声が詰まっているから」…。このエピソードに、私は不覚にも涙してしまいました。たとえ一瞬ではあったにせよ、母子の間で交わされた心と心の温もりを、私なりに感じることができた喜びが、私の涙腺を緩めたのだと思います。

 山崎先生のご講演から、私は二つの「気づき」をいただきました。一つめは、「子どもたちは、絵を読んでいる」ということです。絵本の各ページには、あまり文字は書かれていません。字面を追ってしまいがちな親は、読んだらさっとめくってしまいます。これはNGなのだそうです。なぜならば、絵本はあくまでも「絵」であり、登場する人や動物の表情、背景にある物の位置や色づかいなど、作家が伝えたいものが十分に伝わるよう、頁全体を眺められる時間を子どもに確保してあげることが、とても大切なことだからです。

 二つめは、「子どもが好きな本は、何度も繰り返して読んであげる」ということです。前に読んだ本を持ってくると、「別なのがいいんじゃない?」とつい言ってしまいますが、これもNGとのこと。大人でも本当に好きな本は繰り返し読み、感動した映画は何度も映画館に通うように、「これがいい」と言っておねだりしてくるということは、もう一度その本の面白さ、喜びや悲しみを、お母さんの膝の上で味わいたいという思いからなのです。絵本が子どもにもたらしてくれるものは、知識ではなく「情感」です。専属ナレーターである大好きなお母さんの声によって、人として大切なことがこどもの心に沁みていく。何と素晴らしいことでしょう。

 最近では、癒しを求めて、大人の間でも「絵本」がブームになっているそうです。私も育G(イクジイ)として、「絵本」にチャレンジしてみたくなりました。誰か私に「絵本」を読む機会を与えてくださいませんか?いつでも、どこでも、どなたにでも、聞いてくださるのなら、「ハイ、喜んで!」  

松森憲二拝

園長の「給田だより」(2012年10月号)

2012/10/01 9:00:00

“成長”の軌跡 
~「夏休みを振り返って」を拝読して ~

 園児、ご家族にとっての夏休みを、約半月後ではありましたが、私は有り難く追体験させていただきました。それは、親御さんから寄せられた「夏休みを振り返って」の文章を読ませていただいたからです。いずれの文章も、愛情溢れたタッチで綴られており、ユーモアたっぷり、現実たっぷり、そして成長たっぷりの玉稿ばかりでした。園長として初の読後感は、「どの文章も素晴らしい子育ての資料・教材である」というものでした。中には、イラストやシールなどを活用したものもあり、そのまま幼稚園の先生になってもらいたい、と思わせるような作品(?)もたくさんありました。

 全体をとおして感じるのは、“成長”の二文字が、そこかしこに躍っていることです。水が怖かったのが、シャワーで顔を洗えるようになったり、祖父母の家での一人お泊りが、当初の予定の1泊から、日一日と日を重ね、5泊にまで延びたことや、身内ばかりでなく他人の年下の子に思いやりをかけられるようになったりなど、数々の挑戦と成長の軌跡が見事に描かれています。

 中には、自己主張が強くなったり、親に対して反発するようになったりで、正直なところ大変な夏休みになってしまって…、ということも書かれてありました。でも、その前後に必ず「自我の芽生えなのでしょうが…」との言葉が添えてありました。まさにその通りだと思います。

 少し気の早い話かもしれませんが、親の言いなりのままで大きくなってしまったら、むしろその方が心配です。私は決して、親に反発することを奨励しているのではありません。「自我の芽生え」を上手に育てていただきたいのです。大切なのは、親子のコミュニケーションです。双方向のコミュニケーションが円滑にできることによって、子どもも親も、ともに成長できるのではないでしょうか。

 取り上げたいエピソードは数知れずあるのですが、その中の一つ、年少組のS君の話。旅行先で大きな大仏さまを見上げた時、なんと幼稚園で歌う「おまいりの歌」を大声で歌ったそうです。もちろん親御さんたちは、微笑ましく見てくださっていたと思います。入園してわずか4か月、よくそこまで生活習慣化(?)してくれたなあ、と感心した次第です。

 あちこちのアミューズメントパークの名称が文中に登場し、ご家族で楽しんでおられる様子に触れさせていただくと、私は本気で行ってみたくなりました。「年甲斐もなく」と言われそうですが、保護者ライターの皆ざまの、生き生きとした表現の副産物だと思います。

 10月7日には、2学期最大のイベントである「運動会」を迎えます。「佼成学園幼稚園の運動会はすごい」との声をあちこちで耳にしてきただけに、楽しみにしていました。園庭では連日、各学年とも本気モードの練習が繰り広げられています。各自の金メダルに向けて、活躍してくれることを願っています。

 最後に一言、「佼成学園幼稚園の運動会は、本当にすごいですよ」。

松森憲二拝

園長の「給田だより」(2012年9月号)

2012/09/01 9:00:00

 私の佼成学園幼稚園初の夏休みは、“ロンドンオリンピック三昧”でした。多くのアスリートたちの口から発せられる「努力」、「最後まであきらめない」、「仲間との絆」、「支えてくれた周囲への感謝」などの珠玉の言葉は、私の心をわしづかみにしたのです。

 ところで、タイトルの「朝期発見」は、ヤンキー先生として有名な義家弘介氏(現参議院議員)が、大津でのいじめ事件に関して出演したテレビ番組で、締めの言葉のキーワードとして用いたものでした。義家氏の発言は、概ね次のような趣旨でした。

「朝」という字を分解すると、十月十日になる。それは、もちろん母親が胎内で尊い命を育む期間のこと。大切に命を育んできただからこそ、朝の一瞬の子供の様子で、心の様子、心の変化が読み取れるはず。起きてくる様子、食事をしている姿から、親ならば何かピンと来るはずだ。そのことを大切にしてほしい。

 義家氏は、子どものこと、とりわけ子どもの思いをキャッチするには、朝一番の触れ合いが大切、ということを言いたかったのだと、私は理解しました。

 皆さまのご家庭ではいかがでしょうか?なにせ慌しい朝のこと、いちいち構っていられないという方も(わずかでしょうが)おられるかもしれません。でも、子どもたちは無意識に、口で語ることなく(つまり、ボディランゲージで)、心のSOSを発信しているかもしれないのです。それをキャッチできるのは、最も身近にいる親御さん、とりわけお母さんではないでしょうか。

 現実にその場で、子どもの思いを聞き出したり話し合ったり、ということはできないかもしれません。でも、親だからこそできることは必ずあるはずです。「何かを抱えているに違いない」との思いで、子どもを「ギュッと抱きしめる」ことなら、5秒もあれば十分です。子どもは感性の塊なのですから、不安で一杯の心に、「大丈夫。いつでも〇○ちゃんの味方だよ」という思いは、ストレートに伝わっていくはずです。(このようにして培われた安心感こそ、子どもの自己肯定感の基盤である、と多くの識者は語っています。)

 私の場合、二人の息子が幼年期の時に、どれだけのことができていたかを顧みてみると、慙愧の念に堪えません。彼らが中学生になった頃になってやっと、子どもの心に寄り添っていくことの重要性を、多少なりとも感じ取れた、という有様ですから、偉そうなことを言えないのです。しかし、こんな私だからこそ、声を大にしてお伝えしたいのです。「今、この時期の触れ合いを大切に!」と。

 どうか毎朝の何気ない触れ合いを、くれぐれも大切になさってください。そして、ピンと感じられたことを、何らかの方法で担任にお伝えください。たとえ即解決とはいかなくても、保育に携わる私たちにとっても大切な宝物(園児たち)の、一瞬一瞬の心の動きにそっと寄り添うことは、私たちの使命であり、喜びでもあるのですから…。

松森憲二 拝

園長の「給田だより」(平成24年7・8月号)

2012/07/01 9:00:00

「父の日」、そして「お盆まつり」に思う  ~ 家族の絆 ~

 6月17日の父の日、『読売新聞』朝刊の「編集手帳」に、「こどもの日母の日仲良く近いのに父の日ばかり1ケ月も先」という歌が紹介されていました。初めにその歌を読んだとき、私は、母子からやや離れている父親の存在の悲哀を面白おかしく歌っている、と受け止めてしまいましたが、筆者の意図はそうではなく、「きょうこの日の位置に、母子からあえて距離を置きつつ、しかめっ面で見守っているような昔気質の家長を思う」とのコメントを添えていました。多少、時代を遡らなければならないかもしれませんが、威厳のある父親の存在に、改めて思いを馳せました。

 ところで、幼稚園では、学年ごとに趣向を凝らし、「お父さんを喜ばせたい、びっくりさせたい」との思いで、「父の日のプレゼント」の製作に取り組みました。以下にご紹介するのは、それにまつわるいくつかのエピソードです。

 年少組のM君は、父の日を前に、風邪をひいてしまい、金、土曜日にお休みをしました。せっかく作ってあったプレゼントを父の日に間に合うようにしたほうがよいか、を担任がお尋ねすると、お父様がそのプレゼントを幼稚園に取りに来られたそうです。18日の朝、お母さまから届いたお手紙には、次のように書かれてありました。

 「先日は、父の日のプレゼントの件で、お気遣いいただき、ありがとうございました。お陰様で、主人は大感激!!滅多に感情を表さない主人が、キャッキャと喜んでいました。どうもありがとうございました。」いつも穏やかな表情で園までお送りくださるM君のお父様、さぞかし喜ばれたことだろうと、M君、そしてお父様お母様のお顔を思い浮かべました。

 年長組のあるクラスでは、父の日のプレゼントを見て、「お母さんも欲しい」と言われた子が数人いたそうです。「何かしてあげたの?」という担任の質問に、異口同音に「かたたたき!かたもみ!」と答えたそうです。「父の日」が、今年2回目の「母の日」(?)にもなった微笑ましい出来事だと思いました。

 他にも、「昨日、お寿司屋さんに、プレゼントしたお箸入れを持って行ってくれて、使ってくれた」(R君)、「今日、朝、ペンを入れて、仕事に持って行ってくれた」(S君)、「“作ってくれて嬉しいよ”と言ってくれた」(Mちゃん)、「鉛筆入れて使ってたよ」(Rちゃん)など、子どもたちからもらった喜びのレポートです。

 「お父さん(お母さん)に喜んでもらいたい」という思いは、将来の「誰かのためになる」「誰かの役に立つ」「誰かに尽くす」「何かに貢献する」という心に通じる、人生の初期段階での大切な種まきだと思います。幼稚園での取り組みが、そんな機縁になってくれるとすれば、こんな嬉しいことはありません。いやむしろ、そうでなくてはならないと、強く願っています。

 さて、7月7日は、幼稚園恒例の「お盆まつり」です。園児たちは、本番に向けて、お父さん、お母さん、お祖父さん、お祖母さん、家族の皆さんに見ていただき、そして「少しでも喜んでもらいたい」との思いで、連日踊りの練習に一生懸命です。当日は、きっと多くの目に見えないご先祖さま方も広い園庭にお集まりくださり、有縁の子供たちの姿に目を細めながら、大きな拍子をくださるに違いないと信じています。

 幼稚園での様々な行事は、決して一朝一夕にできあがるものではありません。本人の努力と仲間との協力によって、園児たちは一歩一歩、着実に成長してくれています。願わくは、そのことが、家族の絆をさらに深めることにつながってほしい、と念じてやみません。

松森憲二 拝

園長の「給田だより」(平成24年6月号)

2012/06/01 9:00:00

触児に関する五つの戒め ~ お・い・あ・く・ま ~

 

 堀田庄三さん(旧住友銀行頭取)による新入社員向けの「人間力をつける」という話に、「おいあくま」という言葉があることはよく知られています。「怒るな」「威張るな」「焦るな」「腐るな」「負けるな」という五つの訓示の頭文字を並べたものです。

 一方、「あおいくま」という言葉も耳にします。五つの内容は同じなのですが、「焦るな」が最初に来て、順番が違っています。最近では、ものまねタレントのコロッケさんが、『母さんの「あおいくま」』という書名で出版をしたようです。いずれにせよ、人生における教訓として、多くの人々に重用されています。

 ところで、冒頭タイトルの「触児」とは、私の造語で、「園児との触れ合い」を意味します。多少仏教を意識して、「そくじ」と読むことにいたします。つまり、「触児に関する戒め」とは、私自身が「園児たちと触れ合う時の心構え」とご理解ください。ただし、松森版「おいあくま」は、「く」と「ま」が上のものとは違っています。

 自分自身に改めて言い聞かせるつもりで、一つひとつご説明いたします。

 1.       「お」…怒らない

 自分の意に反する事態に遭遇するとき、つい人間は怒ってしまいます。怒って物事が解決するなら、いくらでも怒りますが、怒るとかえって物事をこじらせるだけです。特に子どもなどは、いきなり怒られたり、その度合いがひど過ぎると、委縮して内面の気持ちを表現しなくなります。それでは何にもなりません。そこで、三つの魔法の言葉が登場します。それは、「どうしたの?」「どうして?」「どうしたいの?」です。じっと待っていれば、必ず口を開き、心を打ち明けてくれるはずです。「待つ」ことができるかどうか、なのです。ただし、危ないことをしているときや、人間として間違っていることをしているときには、話は別です。

 2.       「い」…威張らない

 こちらの意図するように物事が運ばないとき、つい上から相手を言い含めようとする心が動きます。たとえ、一時的に思いが通ったとしても、何故かこちらには、虚しさという結果が残ります。一方相手には、反発心や、どうせ言ったって仕方がないという心が芽生え、無視(いわゆる「シカト」)の姿勢を育ててしまいます。「押しつけ」という言葉がありますが、大切な「躾(しつけ)」とは、似て非なるものです。「自分から」という気持ちをいかに起こさせるかは、こちら側の課題なのです。

 3.       「あ」…焦らない

 願いが強ければ強いほど、目の前のことがうまくいかなくと、イライラとともに結果をすぐに求めてしまいます。こちらが焦れば、相手はせっかちになったり、あるいは依存傾向が強まり、いわゆる「マニュアル人間」(自主性のない人間)が育ちかねません。

 次の文は、佼成学園学園長である庭野日鑛先生のご長女庭野光祥さまのエッセイからの抜粋です。光祥さまの長女さんが、まだ小学校に入りたての頃の「漢字」に関するエピソードをとおしてのコメントです。

 娘がこれからの数年間で学ぶことは、大人になったらみんな出来るようになることばかり。親である 私が目先の結果に一喜一憂して、やる気や可能性をつぶすような言葉をかけてはいけない。子どもが壁にぶつかった時、乗り越えるような言葉を今かけること。それが親の役目なんだ。改めてそう思いました。   

 4.       「く」…比べない

 日常会話の中で、特に誰かと比べるつもりはなくても、言葉の端々に他と比較するニュアンスが出てきます。「一切の悩みは比較より生じる」という言葉もあります。兄弟姉妹との比較、隣近所との比較、「百害あって一利なし」です。比べられて嫌な思いをたくさんしてきているにも関わらず、いざとなると「わかっちゃいるけどやめられない」のが、人間の常です。言われた側は自信を無くし、卑屈な心になってしまいます。

 5.「ま」…迷わない

 「迷わない」とは、「子供の良さを信じて疑わない」ことです。この「ま」が最も大切な項目かもしれません。子どもは本当に純粋で、無邪気です。そうであるがゆえに、こちらからすると、つい勝手な行動をしているように見えてしまいます。こちらの思いと違うと、わかっているはずの「本来の良さ」が途端に見えなくなってしまいます。表面的には、たとえどんな姿を見せようとも、本来具わっているその子の特性、良さを信じていきたいと思います。「信じられている」という思いが相手に伝わった時、それは先月お伝えした「触食(そくじき)」となり、人間関係における「安心感」や「信頼感」を養っていく因(もと)になると信じます。

 

松森憲二 拝

園長の「給田だより」(平成24年5月号)

2012/05/01 9:00:00

人間の食べ物 ~「四食(しじき)」の教え~

 

 入園式、始業式と、目まぐるしく始まった4月も、あっという間に過ぎてしまいました。新米園長の私は、園児の皆さんのお迎え・お見送りをとおして、毎日、さまざまな温かい触れ合いを頂戴しております。園児の元気のよい「おはようございます」の挨拶、そして保護者の皆さんからの温かい眼差しとにこやかな微笑みに支えられての1か月であった、と言っても過言ではありません。心から感謝申し上げます。(決して社交辞令ではありませんので、念のため。)

 4月下旬からは、お弁当が始まりました。お母さま(中にはお父さまもいらっしゃるかも?)の「ビタミン愛」たっぷりのお弁当に舌鼓を打ちながら、園児たちは心身共にすくすくと成長していくに違いありません。

 ところで、人間の体は、何によってできるのでしょうか?それは「食べ物」によってできるのです。至極当然のことのようですが、改めて考えさせられるテーマだと思います。食物を選択する力を養うことが、いわゆる「食育」の根幹と学びました。「何を食べるか?」によって、人間の体は良くも悪くも作られていくのです。

 さて、ある時私は、仏さまの教えの中に、「四食(しじき)」という教えがあることを知りました。「四つの食」とは、次のとおりで、普通の食べ物よりも広い考え方を示しています。

  1.段食(だんじき)=一般に言う「食べ物」

  2.触食(そくじき)=身体で触れることで「心身の働きを養うもの」

  3.思食(しじき)=「人間を生かすもの」

  4.識食(しきじき)=「生きようとする意識・力」

 上にも述べたように、人間が生きていく上で、1の「段食」が大切であることは言うまでもありません。栄養のバランスを考えながら、好き嫌いなく摂取することが求められます。

 2の「触食」は、例えば、たとえばスキンシップなどのことです。心の栄養にとって最も根底となる「安心感」をもたらしてくれます。特に、人間と人間の信頼関係の基礎を形成する幼児期には、絶対不可欠な「食べ物」と言えましょう。

 3の「思食」は、希望や夢のことを指しており、順風満帆なときばかりでなく、人生につきものの困難な状況を乗り越えるときなど、それらは大きな力を発揮します。

 4の「識食」は、やや抽象的ですが、生きている実感・自己肯定感などがそれにあたると思います。生きること自体、あるいは生命(いのち)そのものの存在意義を支えるものとして、決して疎かにしてはならないものだと思います。

 こうしてみると、一人の人間が真に意義ある人生を送っていくためには、「目に見える食べ物」だけではなく、「目には見えない食べ物」をも大切にしていかなくてはならないことがわかります。

 私は、佼成学園幼稚園の園児の皆さんに、直接的に「段食」を提供することはできません。しかし、できるならば、いや、ぜひとも、保護者の皆さまとご一緒に、2~4の「触食」「思食」「識食」を提供できる私でありたいと熱望しております。毎朝、園児たちと挨拶を交わすとき、そんなことを心に秘めながら、玄関に立っております。

 今月も昨月に引き続き、「笑顔でニコッとあいさつ」を実践してまいります。

 

松森憲二 拝

園長の「給田だより」(平成24年4月号)

2012/04/01 9:00:00

 初めまして。本年4月より、佼成学園幼稚園の園長に就任いたしました松森憲二と申します。よろしくお願いいたします。

 園長としての最初のお仕事は、4月6日、温知学舎世田谷区立烏山小学校にお招きいただき出席したことです。佼成学園幼稚園から24名が入学し、全入学生85名中の約3割を占めていたことも驚きでしたが、それ以上に度肝を抜かれたのは、来賓の中でも最初に佼成学園幼稚園長の名前が読み上げられたことでした。予期せぬことに、急に緊張感が高まりましたが、本園の果たす役割の重要性を、改めて認識することができました。

 今月8日は、降誕会‐花まつり(お釈迦さまのお誕生日)です。お釈迦さまがお生まれになって、右手で天を、左手で地を指さして、「天上天下唯我独尊」とおっしゃったというエピソードは有名です。生まれてすぐの赤ちゃんが、そんなことを言うなんて、もちろん信じられることではありません。また、すべての人を救いたいと修行され悟りを得られたお釈迦さまが、自分だけが尊くて、他のものは尊くない、とおっしゃるはずもありません。ならば、その言い伝えは、何を物語っているのでしょうか。

 それは、「だれもがみんなかけがえのないいのちをもって、この世に生まれてきた、つまり、みんな尊い存在である」ということを、象徴的に表している、と教えていただいています。その教えは、仏さまの教えの最も根本のものであると言ってよいでしょう。この世に存在するものはみんな尊い、易しく言い換えれば、「ダメな子は一人もいない」ということです。

 私たち佼成学園幼稚園の教職員は、一人ひとりの園児に対し、仏さまの教えの根本精神を基として、一人ひとりの園児に接し、その成長を見守っていくことを心掛けてまいります。どうぞよろしくお願いいたします。

 最後に、今月の私自身の目標をご紹介します。烏山小学校校長の宮田利幸先生が、新入学の児童たちに、小学校で大切にすることの一つとしてお話しされていた「笑顔でニコッとあいさつをしましょう」です。「ニコッと」というところがとても気に入りました。ちゃんと私が実践できているかどうか、園児のみなさん、保護者のみなさん、毎日チェックをお願いいたします。