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2012年11月

園長の「給田だより」(2012年11月号)

2012/11/01 9:00:00

“実りの秋”に想う 
~「私のカミングアウト!?」 ~

 10月は、活動的な1か月となりました。雨天のため2日間にわたった運動会、学年ごとの秋の遠足など、どの行事を取り上げても、子どもたちの笑顔満載の“思い出のアルバム”ができあがりました。陰に陽にお力添えをくださいましたご家族の皆さまに、心より感謝申し上げます。

 “実りの秋”に向けての11月号は、かねてより「いつかは」と思っていたことを、意を決して書かせていただきます。私のカミングアウトです。

 毎朝の登園時、私は園舎の玄関先で、子どもたちと「おはようございます」の挨拶を交わします。「園長先生、おはようございます」と言ってくれる子どもたちの中に、時々、私に対して「仏さま、おはようございます」と言う子がいます。一瞬、ハッとして、「園長先生…」と言い直すのですが、私の方は、言い直しを求める気は毛頭ありません。なぜなら、その挨拶は必ずしも間違ってはいない(?)と思っているからです。

 園長は変なことを言い出した、とどうか思わないでください。私は、子どもたちが純真な心で思わず発する「仏さま」と言う言葉の奥に、仏さまの教えの尊い実践行が秘められている、と感じています。

 仏さまの教えを突き詰めていけば、「一切衆生悉有仏性」(「いっさいしゅじょう・しつうぶっしょう」と読み、「いのちあるものはすべて、仏さまと同じ性質を具えている」という意味)という言葉に集約されます。仏さまの教えの目指すものは、すべての存在は互いに仏として合掌礼拝し合い、そうすることによって、平和境(平和な世界)を実現することなのです。  

 子どもたちの朝の挨拶から、そこまで話を広げるのはいささか大袈裟、と言われるかもしれません。しかし、私は子どもたちの何気ない一言の中に、仏の子としての健気な姿を見ているつもりです。

 この原稿を書きながら、テレビ番組の『情熱大陸』にも何度か登場している小児外科医Y氏(長年ミャンマーで、地域医療に従事している方)から、直接伺った話を思い出しました。概ね、こんな話だったと思います。

 Y氏が、多分10代のころ、ある方から「お前に関わってくれる誰かの姿をとおして、仏さまはいつもお前を見守り導いてくれている」と言われました。Y氏は、「誰がその人なのですか?」と尋ねると、「お前にはわからないだろうな」との答え。突き放されたような思いがしましたが、気を取り直して、「どうしたらわかるのですか?」と再び質問しました。その方は、「誰がその人かわからないのなら、すべての人を仏さまと思って接していけば間違いない(反面教師を含めて)」と諭されたというのです。Y氏は、その言葉に得心し、爾来「すべての人を仏さまと思って」人と接している、とのことでした。

子どもたちが誰かに向かって、つい「仏さま」と言ってしまったとき、私は、内心「いいぞ、それでいいのだ!」とほくそ笑んでいることを、紙面をお借りして、告白させていただきました。        

松森憲二拝

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