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2013年2月

園長の「給田だより」(2013年2月号)

2013/02/01 9:00:00

投げられた ところで起きる ・・・
~ 自分の花を咲かせる ~

 今月もまた、読者である保護者の皆さまのお顔を思い浮かべながら、パソコンに向かえることを、心から有り難く思っております。

 さて、2月号は、私の「座右の銘」について、です。58年間の人生で、多くの珠玉の言葉に励まされてまいりましたので、一つに限定するのは、かなり困難な作業です。

 しかし、あえて絞るならば、「投げられた ところで起きる 小法師(こぼし)かな」という、作者不詳の古歌をあげたいと思います。

 この古歌に出会ったのは、もう20数年前のことです。曹洞宗の著名な尼僧である青山俊董先生から直接いただいたご著書に記されていることばでした。この古歌に触れたとき、脳裏には雷鳴が轟きました。

 小法師とは「底におもりがあり、倒してもすぐ起き上がる、だるま人形」、つまり「起き上がりこぼし」のことなのですが、まず驚いたのは、その「起き上がりこぼし」に、「小さな法師」の文字が充てられていることでした。仏教に多少なりとも浸ってきたつもりだったのですが、認識の甘さを思い知らされました。

 「法師」とは、仏教用語で、「教えを説く人」のことを言い、「小さな法師」とは、私流の解釈によれば、「修行を志した初心の人のこと」と受け取りました。

 そのことにもまして、インパクトを受けたのは、その意味する内容です。

 言うまでもなく、「起き上がりこぼし」は、たとえどんなところへ投げられたとしても、しっかりと重心を保ち、ちゃんと起き上がります。つまり、投げられる場所に文句を言うこともなければ、投げられ方に注文を付けることもありません。どんな場所でも、どんな投げられ方をしても、その場その場で、ちゃんと起き上がるのです。

 その姿勢を、人生に当てはめて言うならば、与えられた条件や環境に文句や不平不満を言わず、なすべき自分自身の使命・役割を果たしていくこと、と言えましょう。

 昨年発刊のベストセラーに、キリスト者である渡辺和子先生の『置かれた場所で咲きなさい』があります。私も5月に購入し、1日で読了しました。そこに述べられていることも、同じような趣旨であったと思います。

 小法師が、コツコツと修行すると、やがては中法師、そして大法師になっていくのでしょうか。私は、その大法師を知っています。

 その方こそ、佼成学園幼稚園創立者の  庭野日敬先生(立正佼成会開祖)です。新潟の寒村に誕生された庭野日敬先生は、一庶民でありながらも、「多くの人々を救いたい、世界に平和をもたらしたい」との志を一生涯持ち続け、大(法)師となられました。1999年ご入寂の先生に対し、佼成学園の現学園長である庭野日鑛先生(立正佼成会会長)は、生前の多大なご業績を讃え、「開祖日敬 一乗大師」のご法号をおくられました。

 「座右の銘」と違って、「尊敬する人は誰?」と問われれば、私は躊躇なく「庭野日敬先生」と答えます。迷い多い日々に四苦八苦しながらも、「先生のようになるのは、無理かな…。でも、先生のようになりたいなあ…」と願う今日この頃です。       

松森憲二拝

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