トピックス

給田だより

園長の「給田だより」(2017年6月号)

2017/06/01 6:35:40

「したい幼児教育、したくない幼児教育」   ~教育の極致は、「今日育」!~

脅育(きょういく)」、それは5月11日の午後、私の造語集『憲辞苑』に新しく仲間入りした熟語です。その新語の誕生は、さらに多くの造語を誕生させる引き金になりました。今号は、それらの経緯、さらには「幼児教育」のあり方についてのお話です。

事の発端は、お迎えのときの駐輪場での一コマでした。ママの手を離れバス駐車場内をウロウロしているA君に、私は「ママと手をつないで、お帰りの支度をしてくださぁ~い」と呼びかけました。すると、A君の様子を見兼ねたBちゃんのママが、少し強めのタッチで「園長先生怖いよ~」と言いました。お母さま同士の信頼関係が前提にあってこそのこととは言え、他人の子どもを叱ることが見られなくなった昨今において、希少価値のある場面に遭遇した、との思いがいたしました。

しかし一方で、「このままスルーはできないな」という思いも湧いてきました。というのも、以前にも似たようなケースが何度かあり、その都度「ほら、園長先生、怒っているよ!」という脅迫(?)めいたアプローチが、子どもたちに対して繰り返されていたことに、強い問題意識を持っていたからです。何の罪もない警察官(おまわりさん)が、知らない間に怖い人にされてしまっている、という例のパターンです。私は、このときとばかりに、すかさず「園長先生は、怖くないよ~」と言いました。すると、私が怒っていないことを百も承知のBちゃんのママは、即座に「(園長先生を)脅しにつかっちゃってごめんなさい」との一言。「以心伝心」を目の当たりにした思いでした。

私は、自身が悪者になることを嫌がっているのではありません。教育的見地から必然性・必要性があるならば、いつでも「怖い人」になる覚悟はできています。しかし、幼年期の素直で柔らかい心に、「誰かに怒られるから~しない」という行動規範を植え付けたくない、というのが私の本意なのです。子ども自らが気づき、良い習慣が身に付くような「自律心や自立心を育てる教育」を追求したいと願っております。Bちゃんのママの一言が、「教育の本質」を呼び起こしてくれました。

「脅育」の誕生は、その後の多くの連想に拍車をかけました。新語群を、「したい幼児教育」と「したくない幼児教育」に大別したのが、以下の二つの表です。「共育」はともかく、その他は見慣れない熟語ばかりです。いずれも読みは「きょういく」です。特に、「したくない幼児教育」は、常に自戒しなければならないと思っております。

☆九つの「したい幼児教育」(順不同)

No

種 類

定 義

①      

共 育

教える人、教えられる人が共に学び合い、成長し合える教育

②      

協 育

教える人、教えられる人の心が互いに通い合い、支え合う教育

③      

響 育

互いの心が響き合う、感動に満ちた教育

④      

興 育

興味や好奇心を大切にし、楽しさを主眼とする教育

⑤      

交 育

人と人との交わりを促し、出会いの喜びを感じられる教育

⑥      

恭 育

人を尊重する心を養い、礼儀正しさを身に付ける教育

⑦      

敬 育

他人への謙虚さや優しさを、人間関係の基礎とする教育

⑧      

鏡 育

 

「人のふり見て我がふり直す」姿勢に徹する教育

⑨      

郷 育

 

ふるさとにいるような安心感を与える教育

★九つの「したくない幼児教育」(順不同)

No

種 類

定 義

①      

脅 育

 

脅迫的な手段により、言うことを聞かせる教育

②      

恐 育

 

損得計算や交換条件によって、恐怖心を抱かせる教育

③      

強 育

権力にものを言わせて、無理強いする教育

④      

競 育

競争心を煽り立てたり、人の弱みに付け入る教育

⑤      

叫 育

 

大きい声を出して威嚇し、人を委縮させる教育

⑥      

狂 育

 

間違った考え方、偏った考え方に基づく教育

⑦      

凶 育

縁起でもないことや不吉な情報で誘導する教育

⑧      

驚 育

人の目を引くことが中心の、本質からかけ離れた教育

⑨      

驕 育

驕り高ぶっていることに気づかない、人を見下すような教育

 ここまで書いてきて、はたと気づきました。“一期一会”“二度とない人生”“一日は一生の縮図”“今でしょ!”などの格言・至言は、どれもこれも「今日育」、すなわち「今日の自分をてる教育」の大切さを物語っているのではないだろうか、と。

また、「今日育」は、「今日生く」(今日を生きる)にも通じます。それを“教育の極致”と表現するのは、いささかオーバーでしょうか。

松森憲二拝

園長の「給田だより」(2017年5月号)

2017/05/01 7:44:14

「私とゴールデンウィーク」  ~“憲”と“みどり”と“こども”の話 ~ 

5月の足音を聞くと、まず思い浮かぶのが「ゴールデンウィーク」。その中心は5月3日~5日の「三連休」。『国民の祝日に関する法律』は、各祝日の趣旨を、以下のとおりとしています。

・5月3日「憲法記念日」
日本国憲法の施行を記念し、国の成長を期する

・5月4日「みどりの日」
自然に親しむとともにその恩恵に感謝し、豊かな心をはぐくむ

・5月5日「こどもの日」
こどもの人格を重んじ、こどもの幸福をはかるとともに、母に感謝する。

上の波線部分は、いずれも現在の私の立ち位置に関連するものであり、私自身、「三連休」との深い因縁を、今感じています。実は、5月は私の誕生月。「松森ワールド」にお付き合いください。

まずは、「憲法記念日」。My name is Kenji Matsumori.命名の際、先に「けんじ」が決まって、後から“憲”と“二”の字があてられた、と聞いています。「憲二」の字を他人に説明する際には、「日本国憲法の“憲”に、漢数字の“二”」と伝えます。そのこともあってか、私は幼い頃から、人一倍「政治」や「法律」関心を持ち、一時は、政治家や法律家を目指していました。しかし、今思うと、「国の成長を期する」の文言が、教育畑一筋を歩んできた私の心に響いています。

次に、「みどりの日」。よくテレビや雑誌で、「今日のラッキーカラーは?」という音声を耳にし、文字も目にします。日々関心をお持ちの方もいらっしゃることでしょうが、私には無縁の世界です。なぜならば、不動のラッキーカラーを私は持っているのです。それは、物心ついてからずうっと大好きな「緑」です。緑が好きな理由を、3年間通っていた幼稚園が「みどり幼稚園」だったから、と幼い頃から思い込んでおりました。広島県三原市のその幼稚園のホームページによれば、どうやら私はその園の2期生だったようです。私にも、確かにそんな時代があったのです。ぜひ、想像してみてください。しかし、あることが契機となり、緑が好きなのは、自然の摂理に導かれたのかもしれない、と思うようになりました。そう思うきっかけとなったのが、13年前、同じ職場の方が私の満50歳を祝って詠んでくださった次の短歌です。

志高く掲げて生き行けり 

若葉の(とき)に生まれし君は 

この歌は図らずも、私が生まれて初めて吸った空気が、若葉の季節の空気だった、ということに気づかせてくれたのです。若葉と言えば、間違いなく「緑」。今では、若葉の季節に生まれたから緑が好きなのだ、と得心しています。つい先頃、園長室の扉横に、真新しいルームプレートが付きました。保護者の有志の方々がプレゼントしてくださったのですが、私の好きな「緑蔭」という熟語をモチーフにしてくださったのではないかと、拝察しております。多くの皆さまに木蔭を提供できる私でありたいと、新たな思いにさせてくださいました。私の身の回りに、新たなラッキーアイテムが増えたのです。心から感謝しております。

余談ですが、先ほど述べた「ラッキーカラー」、皆さんはどのようにお考えですか?私は、「好きな色こそがラッキーカラー」という説を、かなり信じています。好きな色は自分の心をウキウキさせてくれます。心がウキウキしていると、物事はうまく運んでいく。つまり、ラッキーなことが次々に起こってくる、というわけです。決して損はありません。騙されたと思って、意識してみてください。何か良いことが、きっと起こるはずです。

最後は、「こどもの日」。私自身、深い(えにし)によって、母の子としてこの世に生を()け、有難いことに、二人の男の子にも恵まれました。それはそれとして、何よりも現在、世田谷区給田の地で、可愛い天使たちの育成に携わらせていただいているという事実が、私に「子どもの世界に生きよ」との天命を示してくれているのです。

ところで、佼成学園高等学校のアメリカンフットボール部が「日本一」になったことは既報のとおりですが、嬉しいことに佼成学園女子高等学校でも、「日本一」の慶事がございました。3月29日、ハンドボール部が、「ジャパネット杯平成28年度第40回全国高等学校ハンドボール選抜大会」で、3年ぶり3回目の全国制覇を果たしたのです。その優勝報告会が、4月15日、立正佼成会大聖堂で行われ、歓喜の瞬間に立ち会うことができました。特に、優勝監督の石川浩和教頭によるスピーチは“インパクト&コンパクト”、聴く人の心を大きく揺さぶる感動的なスピーチでした。

男子校の日本一、女子校の日本一、とくれば、あとは幼稚園の「日本一」です。平成26年度、佼成学園の創立60周年の際、私は「日本一の幼稚園になります!」との宣言をいたしました。その思いは、いささかも変わってはおりません。先の短歌にある「志高く」。今私の目指すべきことは、園の関係者のすべてが、「“佼成は日本一!”という自覚に立つ」ことに他なりません。 

松森憲二拝

園長の「給田だより」(2017年4月号)

2017/04/11 6:43:05

「幼児教育の“一丁目一番地”とは?」  ~「生きぬく力」を育てたい! ~

新年度のスタートです。ご進級、ご入園、おめでとうございます。園長就任6年目となる今年度、幼稚園流の(こよみ)で言えば、2回目の年長さんということになります。「3年前はどんなだったろう?」と、我が身を振り返ってみると、さぞかしヨチヨチ歩きをしていたに違いありません。2回目の年長となる今年こそは、着実に歩みを進めていきたいと、決意を新たにしております。よく政治の世界では、「この政策こそが“一丁目一番地”」という表現を耳にします。それは、「最優先課題」ということを意味しているようです。私自身の「幼児教育の“一丁目一番地”」は、既に『給田だより』2016年7・8号で述べたもう一つの「五育」、すなわち稚育(ちいく)」「得育(とくいく)」「耐育(たいいく)」「触育(しょくいく)」「目育(もくいく)です。どれも『()辞苑』(私の「造語集」のこと)にある熟語ですので、皆さまには馴染みが薄いことでしょう。しかしそれらは、私なりの保育理念と実践を集約したものであり、『給田だより』に初出して以来、私の教育的信念は、さらに強くなっていることは間違いありません。今号では、その後に得た知識や体験を加筆し、またご家庭での「子育て」にも役立つことを念頭に置きながら、「年度初めの所信」にしたいと思います。(なお、ホームページからアクセスし、『給田だより』2016年7・8号もお読みいただければ幸いです。)

まず「稚育」です。「稚」は、「おさない、わかい、いとけない」などを意味していますので、「稚育」とは、「子どもらしさを育てること」です。一応、そのように定義はしたものの、私の中では、「育てる」という表現は適切ではないかもしれない、という思いもございます。と言うのも、子どもは本来無邪気な特質をもっているのですから、「子どもらしさをそのまま伸ばす」あるいは「子どもらしさを邪魔しない」「子どもらしさを傷つけない」等の表現の方が、ベターかもしれません。

「稚育」に臨む大人にとっての心構えは、「共感する」ことであり、「共遊する(良い意味での「遊び心」で接する)」ことです。子どもの成長に伴って、さまざまなことを教え込まなければならないと焦るあまり、大人の価値観を押し付けたり、大人の枠組みを当てはめようとすると、本来具わっている純粋無垢な「子どもらしさ」を損ねてしまいかねません。そのことを示唆してくれるのが、幼児教育のバイブルともされるアメリカの海洋生物学者レイチェル・カーソンの著書『センス・オブ・ワンダー』です。要点を以下に引用します。

〇 子どもたちの世界は、いつも生き生きとして新鮮で美しく、驚きと感動に満ち溢れています。残念なことに、私たちの多くは大人になるまえに澄み切った洞察力や、美しいもの、畏敬すべきものへの直感力をにぶらせ、あるときはまったく失ってしまいます。もしもわたしが、すべての子どもの成長を見守る善良な妖精に話しかける力をもっているとしたら、世界中の子どもに、生涯消えることのない「センス・オブ・ワンダー=神秘さや不思議さに目を見はる感性」を授けてほしいとたのむでしょう。この感性は、やがて大人になるとやってくる倦怠と幻滅、わたしたちが自然という力の源泉から遠ざかること、つまらない人工的なものに夢中になることなどに対する、かわらぬ解毒剤になるのです。

○ わたしたちは、子どもにとっても、どのようにして子どもを教育すべきか頭を悩ませている親にとっても、「知る」ことは「感じる」ことの半分も重要ではないと固く信じています。子どもたちがであう事実のひとつひとつが、やがて知識や知恵を生み出す種子だとしたら、さまざまな情緒やゆたかな感受性は、この種子をはぐくむ肥沃な土壌です。幼い子ども時代は、この土壌を耕すときです。

私は、上の「センス・オブ・ワンダー」こそが「稚」ではないか、と思っています。決して焦ることはないのです。年を追って育ちつつある子どもの感性を、ともに感じ、ともに温め、ともに遊べる私たちでありたいと思います。ときには、子どものウソに目くじらを立てることなく、寄り添ってあげることも大切です。幼児のウソは、概して悪意のあるものではなく、ファンタジーやメルヘンの世界に遊んでいることも多いのですから。

二番目の「得育」は、「得意分野を伸ばすこと」です。これには、二つの段階があります。

第一は、「子どもの得意なものを発見すること」です。乳幼児の成長が目覚ましいことは、今さら言うまでもありません。初めの頃は、子どもができるようになった小さな一つひとつのことに感動を覚えます。しかし、子どもが成長するにつれて、その感動は知らず知らずのうちに薄れていきます。日々変化(成長)が起こっているにもかかわらず、それらは日常的な「当たり前」のことになってしまうからです。その一方で、多少言葉が通じるようになったことをよいことに、子どもへの願望や要求が大きくなってきます。この頃に起こるのが、「母親の声変わり」という現象です。優しいママの声は、いつしか冷たく厳しい声に変わっていきます。言わば、「猫の声が虎の声になる」のです。猫なで声での「やめなさい!」「早くしなさい!」を、あまり聞いたことがありません。ママの大きな変化に多くの子どもたちは戸惑い、ときには傷ついているという現実を、皆さんはご存じでしょうか。識者は、ママの無自覚による「言葉による暴力」が過激化すれば、虐待の一種である「心理的虐待」にもなり得る、と指摘しています。

「何が、子どもの得意なものかを、いつどうやって判断したらよいかわからない」という方もいらっしゃることでしょう。そのことを見極める簡単な方法、それは子どもの顔つき、目つきを見ることです。「得意気な顔」という表現のごとく、子どもたちはその都度サインを送ってくれています。大人がしっかりとアンテナを張って、よく観察し、上手くキャッチする感性さえあれば、見えてくるものなのです。とは言え、子どもの興味や関心は日々刻々と変化していくのが常です。その変化を受容する寛容さだけは、持ち続けたいものですね。

「得育」の第二段階は、言うまでもなく「褒めること」です。褒めることは、植物への「水やり」にも似ています。得意なこと(=種)を見つけたら、しっかりと褒めていく(=水やり)ことが大切です。ただし、水のやり過ぎがいけないように、焦る気持ちは禁物。また、子どもは、本気で褒めているかどうかを見透かしていますので、形ばかりの褒め言葉が逆効果にならないよう、くれぐれも注意しなければなりません。伸びようとする心に、ブレーキをかけてしまうことになりますから。

三番目は、「耐育」「忍耐力を育てること」です。レジリエンス(「逆境力」)という言葉を、以前ご紹介しましたが、その前提には、「我慢」がなければなりません。「我慢」と言うと、マイナスイメージが先行してしまいます。しかし、人間の資質として不可欠なものの一つですから、積極的に受け止めたいと思います。この資質を育てるには、何と言っても「待つ」ことが大切です。そして、できたこと、努力したことを「嬉しい!」と喜んであげることです。いま私の脳裏には、同じ「待つ」でも、「期待」ではなく、「「喜待(きたい)」という二文字の新語が、プカプカと浮かんでいます。「喜んで待つ」「待つことを喜ぶ」、その少しのゆとりが、我慢する心を大きく育てていくのです。 

四番目の「触育」とは、「スキンシップによって安心感を育てること」です。具体的な行動としては、親子にとってはとてもポピュラーな、ギュウとタッチです。「乳児は肌を離さず、幼児は手を離さず、少年は目を離さず、青年は心を離さず」の格言は、年代ごとの触れ合い方を見事に言い当てています。乳幼児期のギュウとタッチは、子どもたちにとっての最大のエネルギー源です。自作の川柳「子どもらはギュウとタッチで前を向く」は、実際の場面がモチーフとなっています。

五番目は「目育」で、「目を見ながら互いの存在を認め合い心を通わせること」です。日頃私は、子どもたちに次のような朝の挨拶を勧めています。

① 最初に、相手の目を見ましょう。

②「おはようございます」と言いましょう。

③ お辞儀をしましょう。

④ もう一度、相手の目を見ましょう。

この一連の挨拶のステップで、最も大切なのは、④であり、できれば「ニッコリ」できると最高です。余談ながら、剣道や弓道、茶道に「(ざん)(しん)」という言葉があるようですが、いずれも「次に起こるどんな変化にも直ちに対応できる心構えや、身構えが大切」という教えを含んでいます。その言葉からの連想で、最近『()辞苑』に加わったのが、「残目(ざんもく)」という熟語です。それは、「挨拶のあと、優しい眼差しでアイコンタクトをすること」という意味です。一瞬のアイコンタクトが、相手の人との信頼関係を確かなものにしてくれる、という体験を、皆さまは幾度となくなさっているのではないでしょうか。幼児期にこの姿勢・態度を身につけておくことは、今後、複雑な人間関係の荒波をたくましく乗り越えていく上での「鬼に金棒」、いや「天使の羽」(?)になることでしょう。

もう一つの「五育」がもたらす最大の効用は、子どもたちが「生きぬく力」を身につけること。その力によって、子どもたちは自分自身を幸せに導いていきます。「子どもらしさを見つけ、たくさん褒めて、決して焦らず、スキンシップに努め、しっかり目を見つめていくこと」は、いかにもシンプルで、いとも簡単にできそうに思われますが、いざ実践となると、よほどの心構えがないと上手くいきません。「提唱者」としては、その名に恥じないよう、そして何よりも、子どもたちとの触れ合いに感謝の念を抱きつつ、日々精進させていただくことを、固くお誓いいたします!

松森憲二拝

園長の「給田だより」(2017年3月号)

2017/03/03 6:56:40

「“一期(いちご)一役(いちやく)”ということ」  ~お役は続くよいつまでも~ 

人には、「一生涯のうちでたった一回の役割を担うこと」があります。私のプライベート辞書(造語集『(けん)()(えん)』?)では、それを一期(いちご)一役(いちやく)と表記しております。茶会の心得である「一期一会(いちごいちえ)」(『広辞苑』によれば、「生涯にただ一度まみえること。一生に一度限りであること」の意)が下敷きになっていることは、言うまでもありません。

約1か月前の1月18日、私はその「一期一役」の緊張感と向き合っておりました。その日は、公益社団法人世田谷区私立幼稚園協会(略称「世私幼」)並びに世田谷区主催の永年勤続教職員表彰式・表彰祝賀会が、区民会館で行われる日。佼成学園幼稚園の教員が、表彰者代表の謝辞を述べることになったため、その代表者の勤務園の園長が祝賀会の「乾杯の発声」を行うという慣行により、その役目が私に回ってきたのです。立場上何度も経験している役とは言え、世私幼という公の場では初めてのこと。園長としての残余期間や教職員の勤続年数等を勘案すると、恐らくはこの先二度とない話。「乾杯の発声」は、短ければ短いほど歓迎されるのですから、通り一遍の挨拶でお茶を濁すこともできます。しかし、私はこの機会をわざわざ、「園長5周年のメモリアルスピーチ」にしてしまったのです。(どこからも、そんな依頼はありませんでしたが…。)「たかが乾杯、されど乾杯」です。私の緊張は、間違いなく「八合目以上」には達していたはずです。  

いよいよ名前が紹介され、会場内壇上のマイクの前に立ちます。世田谷区長をはじめ来賓の諸兄姉、各園長、教職員の皆さまの衆目が集まります。「静」の一文字を脳裏に浮かべる、という秘伝のルーティーンを経て、おもむろに話を始めます。

職業に貴賤のないことは、百も承知しております。しかし私は、恥ずかしながら、園長に就任し初めて幼児教育に携わるようになった5年前の春まで、人間形成の基盤を作る幼児教育が、これほどまでに貴いお仕事であるということを、深く認識しておりませんでした。

天使のような子どもたちとの関わりによって、私自身が心豊かな人生を過ごさせていただけていることに、日々感謝の思いでいっぱいでございます。

子どもたちの成長過程の中で、将来、「僕の故郷は世田谷、私の思い出の地は世田谷」と言ってもらえるような「楽しい園づくり」という創造活動こそが、私たちに課せられた誇り高い使命ではないでしょうか。一曲お聴きください。(ハーモニカで『ふるさと♪』を演奏)

本日、永年勤続の表彰をお受けになった皆さまのさらなるご活躍と、世私幼加盟園がそれぞれの特色を発揮しながらますます発展していくことを祈念し、乾杯をさせていただきたいと存じます。「おめでとうございます!」とご唱和ください。「おめでとうございます!」(乾杯)

皆さま、ありがとうございました。

周囲の反応を一つひとつ気にはしていませんでしたが、帰り際にある保育用品関連業者の方から、「ハーモニカ、今日一番の拍手が起きていましたね」と言われました。楽器交じりという物珍しさがあったにせよ、それなりのインパクトがあったとしたら、まずはひと安心。しかし、それ以上に特筆すべきは、短いメッセージの中に、今日(こんにち)只今(ただいま)の感謝の気持ちを素直に表現することができた、という満足感でした。(これを、『憲辞苑』では、「自画じぃさん」と言います。女性の場合は…?)

学校法人佼成学園の学園長である庭野日鑛(にちこう)先生(立正佼成会会長)は、年頭の式典の中で、「一期一会」の言葉を取り上げられ、「私たちが使える時間は、今この瞬間しかない。そこに気づくことが大切です」と述べられています。今この瞬間に、自分の果たすべき役割を自覚するならば、その心構えを「一期一役」というのだと思います。

私たちは日頃、ご指名を受けて、あるいは不本意ながらも、何かの「お役」を務めなければならないことがあります。もしかしたらそれは、「一生に一回」のことかもしれないのです。仮にそうであるならば、愚痴やため息で向き合うのではなく、「これが私のステージ!」と切り替えて、積極的に臨みたいものです。音のない「喝采の拍手」が、自身の心を温かく包んでくれることでしょう。

転じて、日常の私生活に目を移せば、日々の暮らしは、多くの「お役」の積み重ね。私ならば、夫の役、父の役、(しゅうと)の役、じぃじの役…。そして、幸いにして還暦を過ぎてもなお、息子の役…。

「線路は続くよどこまでも🎵」の子どもたちの歌声が、『憲辞苑』の語彙(ごい)を増やしてくれました。人は、自らの役割を意識して生きていく限り、「お役は続くよいつまでも」なんですね。

松森憲二拝

園長の「給田だより」(2017年2月号)

2017/02/07 15:20:43

「スポーツ三題(ばなし) 」  ~駅伝・アメフト・サッカー~

私の新年は、例年どおり、箱根駅伝で幕が開き、青山学院大学(以下「青学」と略します)の三連覇を見届けました。三連覇と同時の三冠(出雲・全日本大学・箱根)は史上初とのことで、その快挙に大感激いたしました。私はすぐある人に「三連覇&三冠、おめでとうございます!」とメール。送信先は、青学の陸上競技部部長(国際政治経済学部教授)の内山義英氏。長年の知人である内山氏は、原(すすむ)監督の陰に隠れ表立って登場することはありませんが、現在の栄光を支えてきた人物の一人であると信じています。というのも、35年ほど前、私はある養成機関に籍を置き、氏とともに寮生活をしていたことがあります。氏は数年間、その寮から大学・大学院に通った経験の持ち主ですから、青学の強さの一つである「寮生活の意義」を熟知している人物に違いないと、当たりをつけているのです。翌朝、「有難うございました。昨日もハラハラドキドキでしたが、選手達が頑張ってくれました」との返信メールが届きました。

ところで、青学が箱根駅伝のゴールテープを切った日の11日前(12月23日)、大阪の金鳥スタジアムでは、アメリカンフットボール・全国高校選手権決勝「クリスマスボウル」が行われました。関東初代表の佼成学園高等学校が、二連覇中の強豪関西学院高等部に27‐17で勝利し、見事初出場・初優勝を遂げたのです。24日には、一般各紙にも取り上げられました。以下は、その抜粋です。

11月の公式戦中に倒れ、亡くなった関西学院の選手のため、佼成学園はその選手の背番号「40」のシールを贈り、両校はヘルメットに貼って戦った。両校は数年ごとに合同練習を行っており、「我々は関西学院にお世話になって強くなった。何かをしないといけないと思った」と小林監督は話す。昨年は秋の都大会で初戦敗退し、新チームはすぐに練習を始めた。「負けた日からこのチームは始まった」と市川主将。「今、アメフトが出来ることに感謝しながら全力でやりきった」。ひたむきで謙虚な監督や選手たちが、創部42年目で新たな歴史を作った。(以上、『読売新聞(朝刊)』)

佼成学園の小林監督は「武内君がウチの生徒だったら、自分の子どもだったら、と考えました」。対戦が決まった日からずっと、練習の最初に西を向いて黙禱(もくとう)。武内君の背番号40の小さなシールをつくり、「お互い ヘルメットにつけて戦いましょう」と関学にも120枚送っていた。(以上、『朝日新聞(朝刊)』)

因みに、上記の小林(孝至)監督は、佼成学園幼稚園卒園児の保護者。私にとっては、中高6年間、佼成のアメフトでお世話になった長男の恩師でもあります。初優勝は、決して他人事ではありません。1月15日、立正佼成会大聖堂で行われた「優勝報告会」で、私はOBの保護者の一人として、日本一になった生徒たちの雄姿に、思わず目頭を熱くしてしまいました。その際に関係者から耳にした、心温まる話をいくつか…。

一つ目。関西学院では、「天国の友と共に」三連覇を目指そうと、喪章をつける話が出たそうです。しかし、佼成学園にプレッシャーを与えてはいけないのでやめようとなった矢先に、佼成学園からの申し出。ライバル同士が互いを思いやる、素晴らしいエピソードではありませんか。これこそ、スポーツマンシップ(かがみ)だと思います。

二つ目は、佼成の戦いぶりに関して。最終盤を20‐17の3点リードで迎えた佼成学園。相手方のタッチダウンが決まれば6点、さらにキックが決まれば1点が入り、たちまち逆転というギリギリの展開です。アメフトでは、残り時間が少ないときには、攻撃側は戦いを避けてわざと時間を消費するという戦法もあるのです。しかし、佼成学園は、逆転されるかもしないというリスクを冒してまでも、プレーの続行を選択しました。すると、残り16秒でさらにタッチダウンを奪い、最終的には27‐17で勝ち切ったのです。「勝てばそれでいい」というのではなく、あくまでもフェアプレーを貫いた姿勢に、相手方からも賞賛の声が…。

優勝報告会からの帰宅途中、カワイ体育教室の田代洋三所長からのメール。「カワイのサッカー 大会で、年長組Aチームが優勝。関東大会へ出場します」とのこと。関東大会のない5月の大会で優勝していただけに、期待はしていましたが、実際に頂点に立ったのですから、大いに称賛に値することだと思います。子どもたちはもちろんのこと、応援に駆け付けられた保護者の皆さまの大歓声と大ジャンプが、目に浮かびます。2月18日の千葉県での関東大会、健闘を祈っています。

今月号は、何やらスポーツ記事に終始してしまいました。3年後の東京オリンピック・パラリンピックの風が、もう既に佼成学園幼稚園にも吹き始めているのかもしれませんね。心と身体の準備をしておかなければ…。ってどんな?

松森憲二拝

園長の「給田だより」(2017年1月号)

2017/01/10 8:04:54

「ランキング1位は、“信じ合えること”!」  ~平成28年12月までを振り返って~

平成28年度は、まだ3か月残っていますが、4月から12月までの間、私の周辺で起こった(極めてローカルな)嬉しい出来事“ベスト5!”を、ランキング形式でお届けいたします。

まずは第5位。“佼成学園幼稚園前に横断歩道できる!”。園長就任以来、「幼稚園前になぜ横断歩道がないのだろう?何とかならないものか」と願っていただけに、11月下旬に、白ペンキ鮮やかな横断歩道を見たときには、とても嬉しく、そして安堵の念が湧いてきました。横断歩道ができたことで、園児や保護者を危険から守ることができ、さらには園児・保護者・保育者の安全意識を高めることができるからです。いわば、“園”という車に“横断歩道”という名のシートベルトが着装されたようなものです。ただし、それも活用されなければ意味のないことです。 

続いて第4位。“ママさんバレーボール、34年ぶり二度目の二連覇達成!”。昭和56・57年以来の快挙で、通算優勝回数は7回となり、S幼稚園に次ぐ第2位にランクアップ。(来年は、佼成初の三連覇かな?)部員確保から始まり、メンバー間で切磋琢磨しながらのチーム作りは、決して平坦な道のりではありません。そのことを思うたびに、私の脳裏には、ゆずのあの曲が鳴り響きます。「いくつもの日々を越えて辿り着いた今がある♪」

次は第3位。“トークライブ「給田だより」が始まり、「○○の微笑み」が静かなブームに!”。紙面の「給田だより」とは違うトークライブのメリット、それは、かなりの刺激と緊張感が漂う中で、聴衆の視線や息遣いを肌で感じられることです。私自身が学んできたことや体験が主な内容なのですが、ゲストスピーカーの専門教科担当者による「専門教科のツボ」や、ベテラン保育者による「子育てのワンポイントアドバイス」は、保護者の皆さまに“目から(うろこ)が落ちる“情報を提供できたようです。トークライブ後に届いたご感想は、私自身の大きな(かて)になりました。11月号でご紹介した「○○の微笑み」が、各家庭で少しでもお役に立っているならば、望外の喜びです。

さらに第2位。“「な~んのお話ししようかな?」普及の予感!”。子どもたちの前で話をするとき、「な~んのお話ししようかな?」と言うと、すかさず「園長先生、ご自由に!」と応えてくれます。このフレーズを使い始めて約1年、最近では前に出るたびに、子どもたちの「言って~」という声なき声が聞こえてきます。驚いたことに、先日、年長組表現活動参観の際、あるお父さまが「な~んのお話ししようかな?」でコメントを始められました。私は、不覚にも一瞬、「どこかで聞いたフレーズだなあ」と思ってしまいました。保護者にも普及し始めた(?)ことを、嬉しく感じています。楽しい掛け合いをとおして、子どもたちに身に付けてほしいことは、言うまでもなく「人の話を聴く心構えを作る」ことです。若干の課題は、「ごじゆうに」を面白がって「園長先生50人」とか、「園長先生52(歳)」と言う子がいることです。その都度、「園長先生は一人だよ」や「園長先生は62だよ」と伝えているのですが…。子どもたちなりの「言葉遊び」なのですね。

いよいよ第1位。“「園長先生、大好き!」のコール拡がる!”。事の発端は、バス待ちする子どもたちが私へのアピール合戦を始めたことでした。「ずうっと大好き!」「寝てるときも大好き!」「お休みのときも大好き!」と、次第にエスカレート。今では複数のバスで、かなりの拡がりを見せるようになり、中には「おはようございます」を言う前に、「大好き!」と言ってくる年少さんもいるほどです。私は必ず、嬉しさを表に出すことを意識して、「ありがとう!」や「イェーイ!」(アクション付き)で応えることにしています。

もっとも、「園長先生、大好き!」と言われて、私はただ浮かれているわけではありません。幼稚園にいる唯一のおじいさん(Who?)を、何とか喜ばせようと思案してくれている子どもたちの行為を、「他人の喜びを自分の喜びとする」行いと位置づけています。加えて、子どもたちの言葉は、「大人との間にある“信じ合える関係”を前提に、大人を信頼している気持ちの表れそのものである」と受け止めています。子どもたちからの「信じているよ」のメッセージに対し、「信じてもいいんだよ」の思いを伝えていくこと、それが「安全基地」の隊長(園長)としての最大使命です。引き続き、子どもたちに「(眼差しの)安心ビ~~~ム」を注いでまいります。ターゲットは、『九百の瞳』です。

上の話を耳にした、組織運営の経験豊富な女性のお話し。「自分の思いを素直に表現できるお子さまは、きっと温かいご家庭で育てられているのでしょうね」。即、私の応え。「御意(ぎょい)

松森憲二拝

園長の「給田だより」(2016年12月号)

2016/12/01 8:09:23

「ママたちの幼稚園ライフ」  ~せっかくだもの、楽しまなくっちゃ!~ 

子どもたちの成長を心から願っておられるのが、保護者の皆さま。その期待と負託にお応えすべく、私たち保育者は、日々、幼児教育に専心努力いたしております。幼児教育における保護者の存在、それは、決して他の教育機関の追随を許さないほど重要なものであり、保護者自身の「幼稚園ライフ」の充実・喜びは、子どもたちの成長に深く関わっている、と私は認識しております。特に、子どもたちとの緊密かつ濃密な時間を過ごすママたちの「幼稚園ライフ」の有用性は、強調してもし過ぎることはない、という確信が、園長としての行動の基盤となっています。

私の言う「幼稚園ライフ」とは、「子どもが幼稚園に通うことを(えにし)として展開する諸活動やあらゆる日常生活のこと」を意味しています。ママが「幼稚園ライフ」で充実感を味わっていると、子どもの心は喜びで満たされます。そうなると、子どもは安心して幼稚園生活に向き合うことができ、その中から多くのことを吸収していきます。

ママたちの「幼稚園ライフ」には、どんなものがあるでしょうか?まずは、ママ友。クラスやバス停での人間関係の良し悪しが「幼稚園ライフ」を左右することは、日々痛感しておられることでしょう。子どもたちのお手本になれるような、素敵なお友だちづくりができたらいいですね。

次は、後援会活動。三役・クラス理事という呼称のせいか、「特別な人がするお仕事」のように受け止められがちですが、初めはどなたも不安を持っておられるようです。しかし、実際に経験された方々は、「自分にできることでお役に立つことができ、むしろ楽しかった」、「とても充実していた。先生や子どもたちと触れ合う機会が多くあり、有り難い一年間だった」と、異口同音におっしゃっています。幼稚園行事を支え、クラスの融和を図るために献身的な努力をしてくださっている皆さま方のボランティア精神に、いつも頭の下がる思いがしています。

私は、できるだけ保護者の皆さまとの接点をつなぎ、「幼稚園ライフ」の喜びをともに分かち合いたいとの願いから、いくつかのアイデアを具現化してきました。その一つが、今年度で4年目の園運営協議会(通称 WITH(ウイズ)です。毎回、私がお尋ねしたいテーマを設定し、メンバーの皆さまにさまざまな角度からご意見をいただき、多くのご示唆を頂戴してまいりました。最近のテーマは、今号と同じ「ママたちの幼稚園ライフ」でした。WITHは、子育ての喜びや不安を率直に語り合い共感し合える場にもなっており、笑顔でお帰りになる皆さまに、私自身が癒されております。

また、昨年までの学年別園長懇談会。ネーミングが敷居を高くしたきらいもあったようです。今年からトークライブ「給田だより」にリメークし、お陰さまで参加者が増えました。お手紙やメールでのご感想に、その都度、新鮮な発見と感動をいただいております。前号に登場の「○○の微笑み」は、“瓢箪から駒”の副産物です。

つい先日の誕生会、ギタリストの石成正人(まさと)さんとコラボしてくださった石成裕子(ゆうこ)さんは、「幼稚園生活でのいい経験になりました」と語っておられます。「主人に『歌ってみない?』と言われ、娘も『いいんじゃない』とのことでしたので…。娘はちょっぴり恥ずかしかったようですが、お友だちから『すごいね』と言われ、嬉しそうでした。」(ご家族の良い記念になりますように!)

後援会活動の一環であるママさんバレーも、「幼稚園ライフ」の一つでしょう。以下は、先日配付した『せしよう』(世田谷区私立幼稚園PTA連合会発行)の中の記事、「第49回バレーボール大会」の抜粋です。

家事や育児をしつつ練習を重ねられた選手の皆様の気迫あふれるプレーは、応援団の熱気と共に会場を揺るがしました。決勝戦は佼成学園幼稚園対芦花幼稚園。接戦の末、佼成学園幼稚園が優勝し連覇を達成されました。おめでとうございます。

“接戦の末”とわずか4文字のみの表現ですが、実は、1セットを先取された後の2セット目、あと1点取られたら負け、つまりマッチポイントを握られてからの大逆転!という、薄氷を踏む展開だったのです。例年、園長というよりは部長という意識でベンチ入りしている私ですが、今年はそれが叶わず、後日DVDで観戦。結果は百も承知しているにもかかわらず、手に汗握りながら、ハラハラドキドキ。後で聞くと、部員たちはさほどの心境ではなかったとのこと。「びっくりぽん!」&「あっぱれ!」でした。

『せしよう』の配付直後、スポーツキャスターMさん(?)がヒロインたちに独占取材を敢行。今年6月まで主将だった本田()()()さんと、7月から新主将になった品川千尋(ちひろ)さんです。お二人の生の声が届きました。

M 改めて記事を見ていかがですか?

本田 夢のようです。 

品川 その瞬間のことは、無我夢中でよく覚えていません。本当だったんだなあ、と思います。

M 優勝できた勝因は?

本田 仏さまの力、としか言いようがありません(笑)。皆さんの応援と祈りによって、勝たせていただけたのだと思います。

品川 佼成は際立った選手が少ないチーム。全員の総合力で勝てたのだと思います。

M 二連覇目の主将として、プレッシャーは?

本田 もちろんありました。一年前の練習ノートには、一年後のために、「いろいろありましたが、お陰さまで二連覇させていただきました」と予め書き留めておき、自分を奮い立たせてきました。二連覇できて、ほっとています。

M 大会後、他園の園長先生方の間では、「佼成学園のキャプテンはすごかった。自チームだけでなく、相手チームにも笑顔を振りまいていたねぇ」と大評判でしたが…。

品川 私たちのチーム内では“不気味な笑顔”と呼んでいます(笑)。最終日は、力に差のない4チームでの戦いでしたので、勝敗を分けた大きな要因が、その笑顔だったと思います。

本田 自チームには「大丈夫!」という安心感のメッセージに。相手チームには余裕を見せることでプレッシャーをかけることに。自分の持ち味を、精一杯発揮することができました。

M そもそも、お二人の入部動機は?

本田 メンバーの人数が足りず大変、とのことでしたので、少しは役に立てるかな、という気持ちと、運動が大好きなのでリフレッシュできるかも、との思いで入部しました。 

品川 中・高とバレーボールをやっていましたが、大人になってからはチャンスがありませんでした。入園前に手渡されたチラシを見て、「ああ、バレーができるんだ」と思いました。

M バレー部に入って、ご自身に何か変化は?

本田 どちらかと言うと平和主義者で、人間関係においても回避型、受け身的な性格なのですが、目標を立てて、自分の意見も出しながら、周囲を動かしていかなければならない立場になって、コミュニケーションのあり方を学べました。自分を知り相手を知ることで視野も広くなり、成長する機会をたくさんいただけました。 

品川 子どもが入園する前は、特に趣味もなく単調な生活を過ごしていましたが、バレー  ボールができるようになってからは、周囲の景色に色がついた、といった心境になりました。とにかく楽しくなったんです。また、大先輩ママとの触れ合いで、子育ての不安が解消できたり、バレーボールを中心とする生活で、日常生活にメリハリがつきました。例えば、明日は練習日だから、今日のうちに家事をしっかりやっておかなくっちゃ、といった具合に…。 

M 最後に、来年度は50回大会。佼成としては、初の3連覇がかかります。ぜひ、意気込みを!

品川 死に物狂いでボールに食らいついて、3連覇したいです!支えてくださる方々への 恩返しは、何と言っても結果を出すことですから。その目標に向かって、いま抱えている  切実な課題が、部員の確保です。

本田 子どもの体調その他の理由で、全員が練習に揃わないということもあります。9人制ですから、最低でも12.3人のメンバーが必要です。現状では足りません。試合では、15人までベンチ入りすることができます。

品川 バレーボール経験の有無は問いません。興味のある方がいらっしゃいましたら、まずは気軽に見学に来ていただけると嬉しいです。

伝統ある佼成のママさんバレー、仲間づくりの良きモデルとして、一層の活躍を期待しています。   

今年5月頃に、あるサークルの発足を耳にしており、先日やっと、見学に行ってくることができました。私を迎え入れてくれたのは、ママさんたちの笑顔と心地よいハーモニー。喜びの輪を目の当たりにして、新たな息吹を実感しました。

園児数の多い佼成学園幼稚園だからこそ、保護者お一人おひとりの喜びや充実感は大きな(かたまり)となって、明るく・優しく・温かく、子どもたちの成長に栄養分を与えてくださっています。

明治初期の文献に、「幼稚園ハ(中略)学齢未満ノ輭弱(なんじゃく)ナル稚児を保育スルノ楽園ナリ」とあります。『しい幼稚♪』は、佼成学園入園式のオリジナルソング。子どもたちはもちろんママたちも、楽しい「幼稚園ライフ」を過ごすことが、“人生の楽園”を味わうことになるのです。「エンジョイ!佼成学園幼稚園!」をお望みの方の“よろず相談”、いつでも承ります。園を楽しめば、楽園は自ずから現前(げんぜん)するのです。

松森憲二拝

園長の「給田だより」(2016年11月号)

2016/11/01 6:13:31

“微笑み”が気づかせてくれたこと」  ~あるママの実践レポートより~

私なりの「子育て支援策」の一つが、今年度スタートした“トークライブ「給田だより」”です。7月から10月まで3回の実施し、毎回30名ほどの保護者の皆さまがご参加くださいました。リピーター、とりわけ皆勤賞(?)は14名でした。

各回の初参加者にお渡ししてきたのが、私の手書きによる「○○の微笑み」です。例えば、   参加者が花子さんならば、「花子の微笑み」です。ストックしてあった写真配付用の台紙に、サインペンで書いたものなのですが、トークライブに  ご参加くださる方へのせめてものお礼、そして 「良き親子関係でありますように」との願いを 込めた「○○の微笑み」(以下、「微笑み」と略します)が、どうやらお母さま方に、ひいては子どもたちの役に立っているようなのです。(これって、「霊験あらたか」って言うのかな!?)

1回目のトークライブの中で、私はお母さま方に、次のような問いかけをいたしました。「皆さん、最近声変わりをなさった方はいらっしゃいませんか?お心当たりの方は、お手をおあげください」。園長はいったい何を言っているのだろう、という空気で、「…」。続けて私は、「皆さんは、お子さんが今よりも小さい頃、“○○ちゃ~ん”と優しく  語りかけておられたことでしょう。でも、ある程度言葉でのコミュニケーションが通じるようになる3歳ころから、子どもに対する話し方がかなり変化してきているのではありませんか?特に言うことをきかないとき、怒鳴ったりしていませんか?実は、子どもたちは、あの優しいお母さんはどこに行ってしまったの?と、ギャップに  戸惑っているのです」と話しました。そして、再度尋ねたのです。「最近声変わりした方?」今度は、多くのママたちから手があがりました。きっと、誰にも身に覚えがあることだったのでしょう。お母さま方に、母性の象徴である「笑顔」を意識していただくことを願い、メールでの申し込みのお名前を予め書き入れたものが、「微笑み」だったのです。(安心してください、非売品です。)  

10月12日、年少児のあるお母さまから、次のメールをいただきました。この方は、1回目(7月8日)のトークライブの後、「微笑み」を部屋に貼り、怒らないでいた日には金色のシールを一枚貼るという宿題を、自らに課しておられたのです。

先日の運動会、子どもたちの素晴らしい努力の積み重ねで大成功でしたね!園長先生の仰ったとおり、「どうしてそんなに可愛いんですか?」という言葉がぴったりでした。子どもたちが諦めずに頑張れるように、素敵な衣装や道具、先生方のサポートに本当に感謝しています。スーパーに買い物に行くときにも、「金メダルをつけていく!」と疲れた顔も見せずにキラキラしていました。ありがとうございました。
 さて、園長先生から7月8日にいただいた私の宿題、どうなったかご報告したいと思います。いただいてから、最初は全くできず、私には怒らないなんて無理だ…と思っていました。8月中は、ただのインテリアになっていました。シールを貼れないことが、だんだん苦痛になりました。ニコニコしてるなんて、無理だ…と思い、しばらく忘れることにしました。忘れていたら、ある日、ふと気づきました。私、子どもに対しても自分に対しても、完璧を求めすぎて怒りまでのボーダーラインを下げているんじゃないのかな?また、自分にも、微笑みが一日中できないとシールが貼れない、とハードルを上げすぎてしまっていたのかもしれない。別に、丸一日怒らないようにしなくてはいけないわけじゃない、とハッとしました。子どもに求めすぎていたことを、できなくてもいいや!と思うようにし、自分に対しても、一日振り返って「うん、今日は子供と楽しく話ができた」と少しでも思えたら今日は大成功だな、と考えるようにしました。結果より経過を、子どもにも自分にも当てはめました。そうすると、今までは怒りたくなって6秒待つなんて無理!と思っていたのに、怒ることすら忘れることも出てきました。ああ、こんな私にもちょっとだけアンガーコントロールができたかもしれない。そして、私の怒りの原因は、自分にも子どもにも完璧を求めすぎていたんだ、と思えるようになりました。もちろん、今でも怒ることはあります。でも、気持ちの切り替えが早くできるようになった気がします。そんな私を、子どもが言うには、「まだ金メダルじゃないけど、ママがんばってる」だそうです!嬉しい。金メダルを貰えるのは、成人した時かな?結婚した時かな?前回(9月9日)の素敵なお母さまのお話に出てきた「社会にお返しする」、そこまで頑張れそうです。
 「微笑み」をいただいてから96日、私のシールはその半分にも満たない41枚。満開ではありませんが、お花畑の丘くらいにはなったかなと思います。その写真を送ります。少なくてお見せできないと思っていましたが、これが私の頑張っている過程です。自分のためにも、しっかり記録に残しておきたいと思います。13日(3回目)、楽しみにしています!よろしくお願いします。

パソコンを立ち上げるや否やこのメールを読み、直ぐに以下のように返信いたしました。

今朝登園して一番に、嬉しいメールを読ませていただきました。そして、「微笑み」との素敵なスリーショット写真(親子での写真だったので…)、私の宝物になりました。今晩、家内に見てもらおうと思っています
 いつも饒舌な私が、いま何と表現してよいかわからないほどの感激に浸っています。この後、じっくり読ませていただきます。ただこの瞬間にお伝えしたいことは、「96分の41」の確率の高さです。何と4割2分7厘!野球でいうなら、文句なしの首位打者、しかも前人未到の4割台です!第3回目のトークライブは、絶対、○○さまの出番、ぜひ皆さまにご紹介したいのですが、いかがでしょうか?今回のテーマ(「アンガーマネジメントから始めよう!」)に“どストライク”な内容で、何とかお許しいただきたいと強く願っております。もちろん匿名です。ご安心ください。お許しいただけない場合は、涙を呑んで  諦めますが…。お忙しい中恐縮ですが、OKのご返事をお待ちしております。

間もなく返ってきたのが、次のメールです。

お返事ありがとうございます。園長先生からのメールを拝読して、初めて涙が出ました。人から認めて貰えるってなんて嬉しいんだろう、と私も朝から何とも言えず満ち足りた気分です。結論から申し上げますと、匿名でなら…。ただ、私は、前回の素晴らしいお母さまのような人間ではありません。毎日反省、一生懸命頑張りすぎて自分を苦しめてしまうような、本当に素敵なお母さまとはほど遠い人間です。でも、いつも子供たちのことを考えるところだけは素晴らしいお母さまたちと変わらないと思っています。思いつくまま 書きましたので、園長先生の方でまとめてくださると有難いです。お忙しいのに、お手数をおかけいたしますが、よろしくお願いいたします。

手を加える余地などなかったので、そのまま ご紹介いたしました。もちろん匿名で。すると、トークライブ後の夕方、このようなメールが…。

今日のトークライブ、ドキドキしながら参加しておりました。園長先生が読んでくださると、私の情けない体験談がとても心に響いて、自分のことなのに不覚にも涙が溢れてきました…。最初、自分の話に感動したのかと思いましたがそうではなく、トークライブを通じて自分に気づきを与えてくださった園長先生に感謝の気持ちがこみ上げてきたからでした。子育てに行き詰まってもがくように申し込んだ第1回から、少しでも前進できたのは、園長先生からのプレゼントがあったから。それをきっかけに来た道を進んだり戻ったりしながら、今日まで這い上がることができました。苦しかった、本当に苦しかったです。でも、少し前に進むと、周りの景色が変わるように、考え方や感じることが変わってくるものだなあと今は思っています。これからも子育てのどん底に行くことはあると思います。だけど完璧や正解を求めすぎず、言いすぎず、思いつめすぎず、「微笑み」と共に少しずつ前進できるといいなと思います (あえて前進するよう頑張りますとは言いません。振り返ったら進んでいた、くらいの気持ちで)。
 そして、トークライブを通じて何か気づきたいんだと思っておられる保護者の方が多く、少し安心しました。そういう環境に恵まれた幼稚園と関わることができて、本当に有難いです。下の子も必ずお世話になって、〇年間もこのような時間をみなさんと共有できたら、どんなに幸せだろうと思います。来年度も、お忙しいとは思いますが、お時間の許す限りこのような機会を作ってくださると嬉しいです。本当にありがとうございました。これからも、またいつか宿題のご報告ができたらいいなと思います。

私は、「子育てに行き詰まってもがくように申し込んだ」、「苦しかった、本当に苦しかった」という悲痛な声に触れて、「ああ、そうだったのか、それほどまでに…。でも、少しはお役に立てているとしたら有り難い」との思いを強くしています。

先に「霊験あらたか」と冗談ぽく表現しましたが、お(ふだ)(?)としての「微笑み」に大した価値はありません。「お母さまが今の心境になられたのは、ご自身の深い自己洞察と真摯で素直な実践とで、「微笑み」に生命(いのち)を注がれたからなのですよ」と、私は声を大にして叫びたい!  

松森憲二拝 

園長の「給田だより」(2016年10月号)

2016/10/08 8:40:17

「初心忘るべからず!」   ~「給田だより」通算50号に寄せて ~

11×4+6=50、この式はいったい何でしょうか?…いきなりの解答では面白みを欠きますが、「給田だより」の通算発行号数の計算式です。平成24年4月の園長就任以来、「給田だより」を毎月の「月報」と同時に発行しています。例年7・8月は合併号ですので、1年間で11号。4年分で44号ですから、今年の6号目が通算50号目に当たり、それが今号の10月号というわけです。

毎月の原稿作成においては、人知れぬ苦労(?)を味わっておりますが、限られた文字数の中で、思いと表現が一致できた時の快感は、何とも言えません。加えて、大きな喜びを運んでくれるのが、読んでくださった方からの「読みました。考えさせられました」などのお声です。皆さまの支えあってこその50号、感謝の気持ちでいっぱいです。  

在任期間4年半という中途半端な立ち位置ではありますが、「保護者の皆さまと心を通い合わせたい」との願いで始めた「給田だより」の節目を迎え、“原点回帰”の思いが湧いてまいりました。

園長就任の直前、佼成学園本部への書類提出をとおして、私は自らの信条や抱負を表明する機会を得ました。いわば、私の“初心”です。(以下の文は、本邦初公開の秘密文書です!)

私は、約20年間にわたる専門学校生との関わりをとおして、親子関係の重要性、特に幼少年期におけるコミュニケーションのあり方が、子どもの人生をいかに左右するかについて、深く認識する機会に恵まれました。今回いただいたご縁は、幼年期における発達課題に応じた保育のあり方や、家族関係の中での子どもの存在の大きさについて改めて学ばせていただく絶好の機会であり、一人ひとりの園児たちがより輝き、たくましい人生を歩んでいく上での基礎づくりに貢献できればありがたい、と切に願っております。もちろんそのためには、保護者、教職員との連携や協調が不可欠であることは言うまでもありません。十分に意思の疎通を図りながら、佼成学園に託された 「法華経精神に基づき、豊かな宗教的情操を培う」という使命達成のために、精進してまいります。

4年半を経た今も、変わらぬ理想を抱き、それを少しでも具現化しようとしている自分自身がいることに、喜びを感じています。今日までの道のりには、いくつものターニングポイントがありました。いや、私の心境からすれば、ジャンピングポイントと言うべきかもしれません。中でも、特にインパクトが強かったのが、初年度である 平成24年度の運動会で、ある年配の方がおっしゃってくださった「園長先生、天使に囲まれた素晴らしいお仕事ですね!」という言葉です。毎日出会う子どもたちは、まさに天使そのもの。いつしか私は、彼ら彼女らの(とりこ)になってしまっていました。心洗われるような出会いは数知れず。天使たちは、私の目の前だけではなくあちこちで、無垢な世界(イノセントワールド)を繰り広げてくれています。例えば、こんな嬉しいことも…。

7月19日の終業式の朝、玄関で私は、バスを降りてきた年中組のT君が差し出してくれた「園長先生へ」というお手紙を受け取りました。「何だろう?」と思い、ドキドキしながら開封してみると、T君のお母さまの優しいタッチの文字が連なっていました。

先日、とても感心したこと、嬉しく思えたことがありましたので、お手紙を書かせていただきます。先日、私の祖父が亡くなり、息子にとって初めてのお葬式となりました。親として、人の死というものどうとらえるのか、少々不安なことも ありました。しかし息子から、「おおじぃじは、仏さまの所へ行くのかな?仏さまは優しいから よかったね」と、毎朝、幼稚園で歌っている『おまいり』のことを思い出して話しているようでした。葬儀中もしっかりと合掌し、「南無妙法蓮華経」を参列した方々と一緒に唱え、とても感心しました。合掌し、足を揃え、背筋を伸ばす姿に、周りの方々からたくさんのお褒めの言葉をいただきました。これはすべて、幼稚園でのご指導のおかげです。親としても、我が子に教えてもらう気持ちになりました。本当にありがとうございます。これからもどうぞよろしくお願いいたします。

「初心」とは、「初めに思い立った心」のことですが、もう一つ「学び初めであること」という大切な意味があります。世阿弥の『花鏡』にある「初心忘るべからず」に示された、“物事を始めたころの謙虚で真剣な気持ちを忘れない”を肝に据え、今後とも「給田だより」が、皆さまのお役に立てますよう、研鑽を重ねてまいります。

ご叱正は、いつでもご遠慮なく! 

松森憲二拝

園長の「給田だより」(2016年9月号)

2016/09/01 8:02:27

「五輪に学ぶ“子育ての秘訣”」   ~一人ひとりがゴールドメダリスト!~

保育者にとっての夏休みは、園外研修のハイシーズンでもあります。私も、夏休みに入った早々に、東京家庭教育研究所主催の「家庭教育公開講座」を受講いたしました。講師の締めのメッセージは、「4Aを大切に」というものでした。四つのAとは、Accept(受け入れる)・Adapt(合わせる)・Admire(褒める)・Appreciate(感謝する)の頭文字です。日頃、子育てにおけるキーワードとして意識していたものだけに、直ぐにガッテンいたしました。まず、子どもの存在や意見を受け入れ、子どもの目線に合わせ、子どもを褒め、子どもに感謝することは、言うは易く行うは難いことかもしれません。しかし、何と言っても“子育ての王道”であるに違いはありません。  

ところで、今年の夏休みのトピックスは、やはりリオデジャネイロオリンピックでしたね。4年前のロンドンオリンピックのインパクトが大きかっただけに、今大会へも期待を寄せていました。ところが、実際には私の予想をはるかに超える 中身の濃さで、連日のテレビ観戦による寝不足が続く状態でした。日本選手の活躍は、私が言うまでもなく、とても素晴らしいものでした。加えて、その背景を彩るヒーロー・ヒロインの誕生物語は、心動かされるものばかりでした。選手自身の血のにじむような努力、師弟間の信頼関係、そして選手と家族との関わりなど、どれもこれもが感動の涙です。そんな中、目に留まったのが「五輪選手の育て方」(8月18日、読売新聞朝刊)という記事です。(「育て方」という文字に敏感に反応してしまうのは、職業病かもしれませんね。)そのリード文は、次のように綴られています。

日本選手のメダルラッシュが続くリオデジャネイロ五輪。努力を重ね、世界で活躍する選手たちは子供時代、どんな育てられ方をしたのか―。読売新聞が106人のオリンピアンの親たちに、子育てで心がけたことなどを聞き取り調査した結果、目立った意見は「自主性を尊重し、褒めてやる気を起こさせる」だった。

その記事は、三つの小見出しによる記事と、各選手の親のコメントから構成されています。

一つ目の小見出しは、「心がけたこと」で、家庭教育で心がけたことについては、「やりたいことをやらせる」「嫌々させず、自主性に任せる」など、子供の気持ちを尊重するという意見が36人で目立った、としています。競泳の江原騎士(ないと)選手の母・洋美さんは、「あいさつの徹底。幼稚園の頃、コーチに教わったことを家で反復練習させた」とのこと。園児たちに「あいさつ」を呼びかけている私としては、まさに我が意を得たり、という思いになったことは言うまでもありません。面白く思ったのが、「背を伸ばすため」という記述です。バドミントンの奥原希望(のぞみ)選手の父・圭永さんは「背を伸ばすため、午後10時には就寝させた」と述べ、競泳の小関也朱篤選手の父・勝さん、母・琴さんは「背が伸びるように牛乳を欠かさず飲ませ、帰省時には好物の卵焼きなどをたくさん食べさせた」とありました。

二番目は、「避けたこと」で、あえてしなかったことでは、「強制しない」「親の考えを押しつけない」などの意見が36人と最多で、子供の気持ちを尊重する傾向がこの質問でも見て取れた、としています。卓球の丹羽孝希選手の母・美加さんは、「夫婦で叱ってプレッシャーをかけたり、しつこく追いつめたりせず、逃げ道を残すように心がけた」とあり、体操の白井健三選手の父・勝晃さんは、「勝てなかった大会の賞状はリビングに貼らず、過大な期待をかけなかった」とのことです。

三番目が、「やる気アップ法」で、やる気を起こさせる方法については、「褒める」15人、「応援する」7人、「目標を作る」5人などさまざまだった、としています。マラソンの福士加代子選手の父・正幸さんは、「本人の意見を尊重し、自分で決めたことに対して細かいことを言わなかった」、アーチェリーの古川高晴選手の父・勝也さんは 「本人が興味を持ってやりたくなるように、“こうしたら楽しいよ”など、前向きな言葉をかけた」そうです。

子どもの能力開発においては、「素質7割・環境3割」と言われます。親のDNAが影響することはさることながら、後天的要素、すなわち「保護者や保育者のかかわり方」という人的環境が物を言うことを忘れてはなりません。その根本が、冒頭に述べたAccept(受け入れる)なのです。

さて、幼稚園では、年に一度の“給田オリンピック”の準備がスタートします。一人ひとりがゴールドメダリスト!プロセスこそを大切に、子どもたちの成長を見守ってまいります。保護者の皆さまからのエールが支えです。

松森憲二拝