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給田だより

園長の「給田だより」(2018年6月号)

2018/06/01 6:56:02

「お久しぶりです!」   亡母(もうぼ)讃嘆(さんたん)! 乞う、ご容赦! ~ 

 園長に就任以来、『月報』と同時発行してきた「給田だより」、4月号、5月号と休筆を余儀なくされてしまいました。それというのも、3月上旬の入院、4月上旬から中旬にかけては、別の病気での入院・自宅療養と、私にとって不測の事態が重なってしまったからです。「身体のことだから仕方ない」とは思いつつも、毎月続けてきたことを休止せざるを得ない無念さの一方で、改めて健康の貴さ、有難さを実感いたしました。

園への復帰は4月の最終週。子どもたちからは、「本当に心配したんだからね~」「高いお熱大丈夫ですか?お熱ゆっくり直してください」「園長先生、やっと入院終わって、嬉しい!」など、可愛い声が届きました。また、保護者の皆さまからも「お身体大丈夫ですか?」「お大事に!」「ご無理なさらないでください」と、温かいお声掛けをいただきました。もったいなくも、そのことは今も続いております。ご心配をおかけした(している)ことを深くお詫びし、また思いやり溢れるお心遣いに、深く感謝申し上げます。

がむしゃらに無理をしてきたつもりはなかったのですが、今思うと、「少々きつくても、これくらいのことならやり切ってしまおう」という気持ちで、老体に負荷をかけてきたのかもしれません。今は、「無理は禁物!」を自戒の言葉にしています。当面の目標、それは「三つの不足」の解消です。

一つ目が「野菜不足」。入院生活で身に付けたことと言えば、“腹八分目”と“薄味”。健康診断では毎年、医師からの「やせることですね!」というアドバイス。診断直前に多少意識したくらいでは、減量は夢のまた夢。しかし、声を大にして言います。今回は違います!命がかかっているのですから…。我が家の専属栄養士(?)の厳命で、“まず野菜から食べる”の実践。そして私自身も、まるで“主食は野菜!”とばかりに野菜を多く摂(と)るよう努めています。加えて、“空腹感に耐える”修行が効を奏してか、徐々にではありますが、減量への道筋が見えてきました。「リバウンドしちゃった」とならないよう、心中に期するものがある今日この頃です。どうか、腹囲にもご注目ください。

二つ目が「睡眠不足」。起床は従来通りですが、就寝は、疲れが翌日に尾を引かないよう、意識して早寝を心がけるようになりました。同時に、時間の有効な遣い方を工夫し、できるだけストレス(なさそうに見えるかもしれませんが…)を貯めないよう、生活習慣の見直し中です。

三つめが「運動不足」。私にとっては、これが最も高いハードルかもしれません。階段での昇り降りを少し前から心がけてきてはいますが、別な有酸素運動が加われば、さらに効果的なのでしょうね。例えば、ウォーキング。朝は忙しい、夜は疲れてる、休日はゆっくり休みたい…。そんな消極的意識の転換が肝要なのでしょうね。栄養士も兼務している専属トレーナーは、「お父さん、ストレッチ!ストレッチ!」と、私を急(せ)き立てています。

さて、休筆明けの6月号。私事ながら、母のことを書かせていただきます。

平成30年2月25日、満87歳の母が永眠しました(行年89歳)。直接的には、胃がんによる出血性ショック死でしたが、昨年12月15日には脳幹梗塞を発症していました。右半身、特に舌に麻痺が残ったため、話すことも食べることも困難になり、リハビリの甲斐もなく、十分な回復は見込めない状態になりました。水分と栄養分を鼻からのチューブで注入する日々が続く中、主治医からは胃瘻(いろう)を勧められました。しばし悩みましたが、緩和ケアの立場から、ホスピスを検討することになりました。ここならば、という病院が見つかり、2月22日には家族面談を経て、順番待ちを始めた矢先の24日夕方、入院先の脳神経外科病院から、「ホスピスどころではない。血圧が降下してきている。危ない状態です」との連絡。幼稚園にいた私は、家内にすぐに連絡。万が一の時の準備も含めて、取る物も取り敢えず、家内と交代で運転しながら、900㎞離れた四国の松山を目指しました。途中の三重県のパーキングで、携帯に連絡が。「25日午前2時15分、息を引き取られました。安全運転でゆっくりとお越しください」とのことでした。「とうとう来たか」との思いでしたが、三日前に病室で、ひ孫たちの写真を見せながらしばしのひとときを過ごすことができていたので、「死に目に会えなかった…」という念にさいなまれることはありませんでした。病院で母と対面。安らかな寝顔に、家内ともども救われた思いがいたしました。

すぐに日程を決め、通夜、葬儀・告別式の準備。ホスピスの話題の頃から、私なりに覚悟はできて

いましたので、それほど慌てふためくこともなく、むしろ母との最期をしみじみと味わう貴重な時間となりました。永眠した日の夜は、同じ部屋に布団を敷いて、家内と三人の夜を過ごしました。母の隣で寝床に就くというのは、何年ぶりのことだったでしょう。15歳から下宿生活を始め、それ以来、親とはほぼ別居という私にとって、会葬の方々からの「安代さんはおしゃれで、よく帽子をかぶっていらっしゃいましたね」や「お母さまはお花が大好きでしたね」などの思い出話は、母を偲ぶ縁(よすが)となりました。27日に荼毘(だび)に付し、その後の数日間は諸手続きに奔走。狭山市の自宅に戻ったのは、3月3日の夜のことでした。さみしいのは勿論のことですが、長男夫婦や孫たちと一緒に、穏やかな気持ち、そして感謝の心で母を見送ることができたことに、安堵感を感じていました。

3月5日、卒園式のリハーサルを終え、学期末に向けてラストスパートという6日の昼食後、私は今までに味わったことのないむかつき、ふらつきを感じていました。園長室を飛び出して、職員室にいた先生たちに「めまいというのは、どんなものなんでしょう?」と質問。「これは大変!」とばかりに、黒岩教頭は園児用簡易ベッドを園長室に運び込み、横になるよう勧めてくれました。終礼時になっても回復しませんでしたので、「この際は、救急車で」と羽田事務長が119番通報してくれました。定期健診のデータのある佼成病院に予め連絡していたこともあり、救急車は杉並区の佼成病院に急行してくれました。さすが救急車です。あっという間に到着し、すぐにMRI検査。一時は「一過性虚血」との診断でしたが、最終的には「脳幹梗塞」。12月15日に母が入院した際の病名と同じです。となると、やはり遺伝か、と悲観的に結びつけてしまいがちですが、その病名を聴いたときの私は全く違っていました。瞬間的に脳裏に浮かんだ言葉は、「母が守ってくれた!」でした。誤解を恐れずに表現するならば、嬉しくさえ思ったのです。どこからそんな感情が湧いてくるのかわからないまま、時は過ぎていきました。

新年度初日の4月2日、上の疑問を解決してくれるフレーズが、京王線の電車の中で、突然泉の如く湧き上がってきました。それは、「代われるものなら、代わってやりたい」です。痛さや熱で苦しんでいるわが子を前に、世の多くの親が「代われるものなら、代わってやりたい」という気持ちになる、という話はよく耳にすることです。特に母親は、お腹を痛めて産んだ分、その思いに駆られることが多いのではないでしょうか。

医師でもない私に病気のことを語る資格はありませんが、「脳幹梗塞」も生活習慣病の一つ。発症自体は突然のことであっても、病気自体は時間をかけて、見えない形で進行していたはずです。ここから先は、不思議の世界のカテゴリー。信じる信じないは、お任せいたします。母は、3か月前から、一人息子の身に起こる「脳幹梗塞」の負の部分を背負ってくれていたのではないか、と私は思ったのです。母は、「代わってくれていた」のです。私自身の後遺症と言えば、左手足にほんのわずかのしびれ(のようなもの)を感じる程度。少し根を詰めて疲れを感じると、その度合いも多少強くなりますが、手足の動きに全く支障はありません。私は母のお陰で命を救われ、重度の障害を免れた、と信じています。命を懸けて一人息子を守ってくれた母の慈愛に、心から感謝しています。

5月13日は母の日。知人の弁護士が主宰する「第2回 日本の母を讃える講演と歌の集い」に参加いたしました。事前の案内文に、“母に関する歌の斉唱”というプログラムがあり、その中の『無縁坂』の三文字に目が留まり、出席の返事を出しました。『無縁坂』は、1975年に、さだまさしの作詞・作曲、グレープの曲としてリリースされました。年配の男性からは根強い支持があるようで、私のカラオケ第一選択曲でもあります。子育てを坂道になぞらえた歌詞が私の心を捉え、前述の母の通夜、葬儀・告別式でも、母への思慕・讃嘆の思いでBGMとして流しました。この集いに私は、帽子をかぶり微笑んでいる母の「遺影」と、実家のごみ屋敷(母に言わせれば「宝の山」)から発掘(?)した、私の氏名・生年月日が記された木の小箱に入った「へその緒」を持参しました。この集いを契機に、「遺影」と「へその緒」と「無縁坂」が、母への感謝の“三種の神器(じんぎ)”になりました。

5月17日は、本来ならば88回目の母の誕生日。残念ながら、満88歳に達して“八八(はは)”の記念日にはなりませんでしたが、花好きだった母に相応しく、“八七(はな)”の生涯の幕を立派に閉じた、と思っています。今頃霊界で、「一人息子が、佼成学園幼稚園長をしています」と自慢気に話をしているとしたら、それがせめてもの親孝行かなあ…、と。すべては仏さま、皆さまのお陰です!

松森憲二拝

園長の「給田だより」(2018年3月号)

2018/03/05 8:35:23

涙は、平(ピョン)昌(チャン)だけじゃない!

六角ホールの壁の真新しい3枚の賞状は、1月21日(日)、こどもの国(横浜)サッカー場での2018年カワイサッカー大会で、佼成学園幼稚園の子どもたちが頑張った証(あかし)です。「年長の部」は惜しくも準優勝、「年中の部」はA・B両チームがワンツーフィニッシュでした。この大会は、心温まるエピソードを二つ、私に与えてくれました。

一つ目は、「金子先生の涙」。佼成サッカー教室の金子徹先生は、大会終了後のミーティングで、ラストゲームを終えた年長組に、次のお話を…。   

みんなの学年は、去年の年長組や今年の年中組と違って、最初から人数が少なく、試合ができるギリギリの数。チーム形式の練習ができず、まともにサッカーができる状態ではなかった。そんな中でも、今日まで誰一人欠けることなく、「優勝しよう!」という気持ちで頑張ってきた。「せめて1勝を」と思っていたが、今日は1勝どころか2勝もして、準優勝することができた…。

そう話す声は震(ふる)え、涙を拭(ぬぐ)う金子先生。保護者たちは、ついもらい泣き。子どもたちの頑張りはもちろんのこと、先生の子どもたちへの思いの深さを知り、一所懸命指導してくださったことへの感謝の気持ちが込み上げてきた、とのこと。子どもたちも座って、じっと先生のお話に聴き入り、先生の思いをしっかりと受け止めていました。「佼成のみんなが頑張ったから…、先生は嬉しくて泣いたんだ。嬉しい時の涙は、“嬉し涙”って言うんだよ」、ある子どもの言葉です。ノンフィクション作家の柳田邦男氏は某著書で、「語る内容に強く共感した瞬間のことや、演奏に激しく心を揺さぶられた瞬間のことは、心にしっかりと刻まれて、いつまでも記憶に新しい。そのことを、私は『瞬間の永遠性』という言葉でとらえ、大事な考え方にしている」と述べています。先生が熱心に教えてくださったことや、自分たちへの温かい心を、子どもたちは決して忘れることはないでしょう。

後日談があります。冬の大会の「年長の部」優勝チームは、埼玉、千葉、神奈川、東京の代表による関東大会に進めることになっていて、もちろん準優勝の佼成は、関東大会に進めません。ところが、頑張った子どもたちに、何と、仏さまからのご褒美が!優勝園は2月25日(日)の大会当日に行事が予定されていて、関東大会に出場できないとのこと。そこで、準優勝園に出場の話が舞いこんできたのです。子どもたち、保護者は大喜び。後日、優勝園の日程調整により、最終的には、東京代表が2チームという前代未聞の関東大会になったのです。子どもたちの努力、保護者の願い、先生の深い思いが相まっての不思議な「お・は・か・ら・い」に、有難く合掌です。連日平(ぴょん)昌(ちゃん)から、嬉し涙や悔し涙のレポートが茶の間に届いていますが、涙は平昌だけにあるのではありません。大いに心動かされた、“佼成の涙”でした。

二つ目は、年中組保護者の手記が伝える、「一本のプレシャス・ゴォ‐‐‐‐ル!」です。

息子のチームは、1試合目は引き分け、2試合目は2-1で初勝利、3試合目は0-1で負けてしまい、残念なことに準優勝でしたが、2試合目に息子が ゴールを決めてくれました。いつもはマイペースなのですが、ゴールを決めた瞬間の嬉しそうな息子を見て、私は胸がいっぱいになりました。帰宅しても興奮は冷めやらず、本人にとって凄く良い経験になりました。一方、私の方は、試合を通して、息子に対する思いの間違いに気づき、恥ずかしさを感じる一日になったのです。大人しい性格、水泳が苦手、テストになかなか合格できない息子を、私はずっと「運動系は苦手な子」と見ていました。そして、テストがあるたびに前に進めない息子に、「次は頑張ってね」と言い続けていたのです。ゴールを決めたとき、「見てたぁ?」と言って、息子は私のところに駆け寄ってきました。その瞬間、ハッとしました。私は息子にプレッシャーをかけ過ぎすぎていたのではないか、と。息子は、私の「頑張って」を望んでいなかったのです。息子の雄姿は、「もう少し子どもを信じてあげよう。できないことがあっても、見守っていこう」という思いにさせてくれました。成功と失敗を繰り返しながら成長していく息子。今後も、経験とチャレンジを大切にしてほしい、と願っています。

子育てにおける古くて新しい言葉、それは「育児(いくじ)は育(いく)自(じ)」。子どもの姿を通して、親としての自分自身を振り返り、人間的に成長していくことを意味しています。単なる語呂合わせではなく、永遠の真理です。一本のゴールを、親子関係を見直す貴重なチャンスと受け止められた保護者としての真摯な姿勢に、心から敬意を表します。松森憲二拝

園長の「給田だより」(2018年2月号)

2018/02/01 7:37:53

「嬉しい“初めてのお話”」  ~夢であいましょう!?~

嬉しいお話を、二つお届けいたします。一つ目は、平成27年5月、満61歳になる前日に誕生したHのお陰で「リアルじぃじ」になった私が、いよいよ平成30年度には、初めて孫と同じ学年の子どもたちを、幼稚園で受け入れることになる、というお話です。1月13日は、Hちゃん世代(そう呼ばせてください)の面々と、1回目のワイワイクラブ施設見学会で顔を合わせる日。プールの案内役の私は、ワクワクしながら駐車場で待機していました。“目に入れても痛くない”子どもたちが、保護者に手を引かれやってきます。「こんにちは」「また会おうね」の挨拶も、園長というよりは、「じぃじ」の声色(こわいろ)だったに違いありません。

見学会と言えば、例年、見学者の方々が口々にしてくださる「園庭の広さ」です。その言葉をモチーフにして原稿にしたのが、平成26年9月、「学校法人佼成学園創立60周年記念事業」のリーフレットに掲載した私の挨拶文です。3年以上も経過していますので、以下にご紹介いたします。

先日、ある新聞のコラムに、「サンマ」という文字が載っていました。「サンマ」とは「三間」であり、子どもたちの遊びに欠かせない条件(環境)である「時間・空間・仲間」のことです。子どもたちに日常的な遊びが少なくなった、とよく言われますが、筆者は「サンマを上手に確保するつとめが社会にある」と結んでいます。このような時代だからこそ、人生の基礎固めとも言うべき幼児期に不可欠な“遊び”の量と質とを高めることが、保育に携わる者の最大の使命であると再認識いたしました。子どもたちの成長を肌で感じてくださっている卒園児・在園児の保護者は、本園の募集力の一つとして、「施設の充実」をあげてくださいます。それは、単に施設自体への賛辞ではなく、そこで展開する自由遊びを中心とした保育内容そのものへの評価であると思います。「この園庭で遊ばせてもらえるのですか!」入園説明会で目を輝かせながら語ってくれたある保護者の一言は、今も耳を離れることはありません。創立60周年を契機に「ワンランク上を目指す」佼成学園幼稚園にとって、先達から賜った広い園庭は、未来に受け継ぐべき大切な宝物です。園庭整備事業をとおして、気力・知力の源である体力(基礎的運動能力)のさらなる向上を志向し、愛しい子どもたちの「生きぬく力」を育んでまいります。

ところで、私事ながら、孫娘Hの話を少しばかり…。昨年大晦日、年越しをするために、杉並区在住の長男夫婦が、2歳8か月の長女Hと5か月の長男Yを連れて、狭山市の拙宅を訪ねてくれました。まずは仏さまにお参り、というとき、Hが、線香立ての中の二十本ほどのお線香を、香炉に一本一本立てていきました。(火の点(つ)いたお線香ではありませんので、ご安心を。)すべてのお線香を立て終わったら、今度は何と、香炉に立てたお線香を一本ずつ、元の線香立てに戻していくではありませんか。香炉の縁(ふち)や経机には、香炉の中の灰が散乱。それを見ている嫁は、ハラハラドキドキ…。そのとき私は、「Hちゃん、お線香を立てるの、上手だね~」と一言。心配気にしている嫁には、「灰なんか拭けばいいだけのことだから」と言いました。嫁はすかさず、「お父さんが、大らかな気持ちでいてくださるので、救われます」と。私にしてみれば、「あちこちに灰を散らかそうが、今はお線香を立てる・戻すという“遊び”を楽しめばいいんだ。それが“好奇心”を育てる種になるのだから」という気持ちそのままだったのですが、嫁は、ほっとした表情をしていました。

二つ目の嬉しいお話。それは、初めての夢のような“夢”のお話です。1月15日の降園時、日頃から笑顔が素敵で礼儀正しいお母さまだなあと思っていたある方から、「今朝、園長先生が夢に出てきたんです」との声。「え~っ、お母さまのことをいじめたりしていませんでしたか?」「いいえ、とんでもない。園長先生に、良い園に入れていただいたことへのお礼の手紙を書こうとしているのですが、バケツに書いているっていう夢なんです」。私は、一安心(?)するとともに、瞬時に、何かこそばゆい幸せな気分になりました。というのも…。

園長就任以来、私は「園児の健やかな成長」「保護者との心通い合う協調」「教職員一同の充実した職場生活の実現」を願ってまいりました。夢の話を聴いた途端、「保護者との心通い合う協調」が保護者の潜在意識に届いたのだ、と直感したのです。“自己満足”、でもいいんです。皆さまの夢の中に、万が一私がお邪魔するようなことがありましたら、どうか仲良くしてやってください!

 松森憲二拝

園長の「給田だより」(2018年1月号)

2018/01/11 16:07:14

「佼成学園と“日本一”」  幼稚園の決意、新たに!

昨年末、私の身辺(佼成学園)では、“日本一”という言葉を耳にする機会が多くあり、心躍る思いの日々を過ごすことができました。

まずは、佼成学園女子高等学校のハンドボール部関連で。12月16日、私は女子高で行われたハンドボール部の優勝祝賀会に出席いたしました。春の選抜大会、夏のインターハイと、全国大会の2冠を獲得したお祝いです。そのような会に出席するたびに実感することは、「“日本一”になるには、相応の理由がある」ということです。優れた指導者に恵まれ、生徒たち自身の涙ぐましい努力があったことはもちろん、その他にも、目に見えない「何か」があることを、私はいつも学んでいます。女子高のハンドボール部には、練習初めに部員たちが唱和している“KOSEI HANDBALL TEAM DNA”という信条があります。物事全般にも参考になる貴重なメッセージですので、以下に全文を記すことにします。

  • ハンドボールを道として選び

それ故に礼儀を重んじ

コートで精神を鍛え 心を練り

敵は相手でなく自分であることを知り

己に勝てる人間になりたい

  • 他人よりも二倍三倍も努力し自ら進んでやる一時間の価値を知り根性のある選手になりたい

    1. 最後までやり通し決してあきらめない
    2. やらされる三時間よりも
  • 失敗を人のせいにせず同じミスを二度と繰り返さず心の豊かな選手になりたい

    1. 人の気持ちになってものを考えられる
    2. 簡単なボール程慎重に扱い
  • 練習は人生の縮図と悟り研究の精神を怠らずプライドのある選手になりたい

  1. やれと言われたらすぐ行動する
  2. 今日できることは明日に延ばさず

五、ハンドボールが人間を練り

   ハンドボールが人間を作る

選抜大会後の祝賀会でこのことを知った私は、女子高の監督に了解を得て、佼成学園幼稚園のママさんバレーボールの新チームに導入することを持ちかけました。今では、「ハンドボール」を「バレーボール」に替えて、唱えてくれているとのこと。メンタルの強化に繋がることを、心から願っています。

ところで、女子高と言えば…。12月21日の朝、私は、千歳烏山駅から幼稚園に向かう道のりで、ある感動的な場面に遭遇しました。一人の女子高生が、道に落ちているゴミを拾いながら登校しているのです。着用しているウインドブレーカーから、すぐに女子高の吹奏楽部(毎年、幼稚園のクリスマス会に出演してくれている)の一員であることがわかりました。翌日に予定されている定期演奏会に行こうか行くまいか迷っていたところでしたので、「これも何かのご縁。いやむしろ、応援しに行かなければ」との思いが湧いてきて、「よしっ、行こう!」と決心しました。そして、12月22日の夜、私はその彼女に導かれるように、府中の森芸術劇場での佼成学園女子中学高等学校吹奏楽部の第9回定期演奏会に、初めて参加しました。実績のあるサウンドに魅了されるとともに、生徒たち自身が企画した多彩なプログラムを堪能いたしました。

次は、佼成学園高等学校のアメリカンフットボール部です。12月23日、私は、富士通スタジアム川崎のスタンドに身を置いていました。2017年のクリスマスボウル(全国高等学校アメリカンフットボール選手権大会決勝戦)の応援です。関東代表は、昨年初めて決勝に進出し、優勝回数18回を誇る強豪の関西学院高等学校を破って初優勝を遂げた我が佼成学園高等学校(ニックネーム:ロータス)、対する今年の関西代表は、関西大学第一高等学校(ニックネーム:カイザーズ)です。優勝3回、準優勝1回の関西の雄、決して侮れる相手ではありません。佼成2連覇のかかった晴れの舞台、両チームの応援席はほぼ満員、キックオフ前から雰囲気は最高潮です。佼成のチームカラーは、当日配布されたパンフレットの文章から伝わるはずです。

チーム名の「LOTUS」とは蓮のことです。蓮は泥を多く含む川や池に多く見られます。蓮の花の根は見えない泥の中でつながっており、一つ一つのきれいな花を咲かせます。我々も深いところでつながることができるチームワークを大切にしてきました。また「蓮にあだ花なし」という言葉があります。佼成学園LOTUSもメンバー全員が活躍できるようなチーム作りをし、日々の練習に励んできました。「素直、謙虚、感謝」の精神を胸に、全力プレーで日本一を勝ち取ります。

試合は、8-0、7-7、14-3、7-6の36-16、終わってみれば王者の戦いで、5本のタッチダウンに佼成側の応援席は大盛り上がり。第4クォーターのラストは、フィールドとスタンドが一体となって、「5・4・3・2・1・0」のカウントダウン。見事2連覇を達成した瞬間です。全校応援の中学、高校の生徒たちは、母校が日本一になったことを誇りに思ったに違いありません。卒業生、保護者、すべての関係者が歓呼の声を上げたことは言うまでもありません。

2017年の年末は、佼成男女両校の素晴らしさを再認識できる喜びの日々となりました。

一方、肝心要の佼成学園幼稚園においては…。2017年2学期末、ここ数年続いていることですが、カワイ体育教室の田代洋三先生から、『平成29年度 佼成学園幼稚園 年長児 25m走 測定結果』という報告書を受け取りました。そこには、一人ひとりの記録はもとよりのこと、クラス・学年の平均タイム、全国の標準タイムなどの詳細なデータが表記されています。今年の状況は、①4分の3の子どもたちが、全国平均を上回っている、②平成29年度を含む過去4年間で、全国平均を上回っている率は、平成29年度が最も高いこと、③中には幼稚園児としてはめったに見られない4秒台(4.9秒)の男児もいる、という内容のものでした。私は驚くと同時に、嬉しくその報告書に目を通しました。というのも、その報告書によって、「あること」が証明されたからです。「あること」とは…?

皆さまもご存じのとおり、私は佼成学園幼稚園を紹介する種々の説明会で、園の特色を「なむなむ幼稚園」「のびのび幼稚園」「わいわい幼稚園」という三つのポイントで表現しています。そして、その三つの特色に呼応するのが、佼成学園幼稚園に入園してからの「園児の三大変化」、すなわち「人に優しくなる」「足が速くなる」「お手伝いが好きになる」です。「のびのび幼稚園」が「足が速くなる」ということに繫がっていることを、具体的根拠(エビデンス)をもって示すことができるのですから、嬉しくないはずはありません。  

ただし、皆さまに誤解していただきたくないのは、私は、結果としての数字そのものを喜んでいるのではない、ということです。その数字はあくまでも結果に過ぎず、決して私たちの目標としているものではありません。私たちが目指すべきことは、「身体を動かすことが大好きな子どもたちを育て上げること」なのです。

2014年、創立60周年を迎えるに当たり、私は4月の始業式で、「佼成学園幼稚園は、日本一の幼児体育園を目指します」と宣言しました。そして、その年の『給田だより』7・8月号に、「佼成学園幼稚園の使命、それは子どもたちを一人残らず運動好きにすることです。そのことが実現する日、佼成は“日本一”になるのです」と書きました。のびのびと広い園庭で自由に遊ぶ子どもたちの姿こそ、佼成学園幼稚園の真骨頂なのです。

2学期末に実施した「園内研修」においても、教員たちは異口同音に「外遊びの充実」を強調しており、改めて「外遊びの大切さ」を互いに確認し合いました。「のびのび幼稚園」を推し進めていくことが、子どもたち自身の願い、保護者の皆さまのご期待にお応えできることであると、固く信じております。佼成学園幼稚園の目指す“日本一”は、子どもたちが「身体を動かすことを好きになること」であり、「運動することによって、自分を大好きになること」でなければなりません。

年明け早々に読み終えた児童精神科医である佐々木正美先生のご著書『完 こどもへのまなざし』の中には、子どもを育てるときのキーワードとして、「自分を好きになれる子」があがっていました。換言するならば、「自己肯定感のある子どもを育てる」ということになるでしょう。

2018年4月、どの幼稚園も、新『幼稚園教育要領』1年目という節目の時を迎えます。年頭、私はある職員から、嬉しい年賀状を受け取りました。「本年も“日本一の幼稚園”になるように頑張ります」という文面です。園児や保護者に喜んでいただける幼稚園になるという道を、ともに歩もうとしてくれる仲間たちの存在に感謝しながら、2018年を始動します。どうか今年の佼成の動きに、ご注目、ご期待ください! 

「富士には月見草がよく似合う」とは、太宰治の『富嶽百景』に出てくる名文句です。いまが旬を迎えている「佼成学園」。男女校を見習って、「佼成学園幼稚園には、“日本一”がよく似合う」といこうではありませんか!お力添えを!

松森憲二拝

園長の「給田だより」(2017年12月号)

2017/12/01 7:18:49

「『子育て三主義』って何?」  ~「思考の三原則」が導いてくれたこと~

三十数年前、恩師である庭野日鑛先生(佼成学園長)からご教示いただいた「思考の三原則」。知る人ぞ知る安岡正篤(まさひろ)先生のご著書『運命を創る』(プレジデント社)には、以下のとおりに記されています。

  1. 目先にとらわれないで、できるだけ長い目で観察する。
  2. 一面にとらわれないで、できるだけ多面的、できるならば全面的にも考察する。
  3. 枝葉末節にとらわれないで、できるだけ根本的に観察する。

上の三原則を踏まえ、普段私が子育てについて考えていることを集約したものが、「子育て三主義」です。

1.過程主義(目の前の結果より、そこに至る過程を重視する。そして結果は、あくまでも変化の途中、すなわち通過点と認識する。)

昨年、トークライブで「子育ては、結果より過程が大切」という話をした後、私はメールで、親としては切実な良いご質問をいただきました。それは…。

大人になるとというか、社会に出るとというか、学生でもそうですが、過程ではなく結果が全てみたいな時期がいずれ来るかと思います。その頃がいつなのか、いつから結果重視の子育てに切り替えるのか、もしくは過程重視のまま貫くのかなど、そのあたり少し戸惑いました。

幼児期の今はまだしも、“偏差値”に象徴される競争社会への突入を前提として、いずれは「過程でなく結果がすべて」の時期がやってくるのではないか、とのお母さまの心理、十分に理解できます。だからと言って、「結果」重視の子育てを是認することはできません。時期を問わず、大切なのはやはり「過程」です。地道な努力の積み重ねを軽視するならば、教育そのものが成り立ちません。今を大事に、何事にも一所懸命取り組む姿勢自体が、学力の土台ともなる人間力(意欲・協調性・粘り強さ・忍耐力・思いやり・社会性等の「非認知能力」)を育てるのです。

 かと言って、結果を全く無視していいかと言えば、それもまた極端な考え方です。私は、目の前の結果を、絶対的に評価するのではなく、相対的に評価することが大切だと考えています。相対的評価とは、「その後に繋がると観ていく」ことであり、「その後の変化を信じていくこと」ことです。信頼を基盤とする“長い目”は、子どもの挫折からの復元を支え、「頑張ろう!」というやる気を喚起してくれます。

2.受容主義(子どものありのままの姿を受容し、認め、必ず具わっているその子の良さを見出す。)

幼い子どもたちは、どの子も「無限の可能性の塊(かたまり)」です。本来子どもは、それぞれに違う特性を持っているはずなのに、何かができるようになった他人の子が目に入り始めると、つい我が子と比較してしまい、ややもすると、我が子のできないことに目が注がれていきます。「お子さんの良いところは?」と質問して、年齢が高くなるにつれて即答率が低くなっていく傾向を、私は憂慮しています。ママさんたちは「これできない、あれできない」病にかかりやすい体質を持っている、というのが、ドクターM(?)の診断です。「小っちゃい時には可愛いかったのにねえ…」というつぶやきやため息は、予兆の一つかもしれません。どうかお気をつけください。

 競争社会は、大きな口を開けて親子を待ち受けています。だからこそ、せめて家庭が「安全基地」であり続けてほしいのです。「いつも自分の良いところを認めてくれる」という安心感が、子どもを前に向かせます。まかり間違っても、家庭が率先して競争の旗振り役をするようなことがあってはなりません。

3.目的主義(日々の触れ合いのすべてが、子育ての意義や目的に繋がっていると意識する。)

私は「子育て」を、「子どもの存在を丸ごとかかえ、子どもの持ち味を見出し、それを最大限に伸ばし、子どもを世間(社会)に旅立たせるための一切の親の営み」と意義づけし、その究極の目的を「子どもの自立を図ること」と考えています。「自立」とは、「子どもが、自分のことを自分で考え、自分で決め、自分で責任を取れるようになる(=結果を受け容れられるようになる)こと」です。

すべての経験は「自立」のためにある。そう腹を据えることが、子どものすることしないことに一喜一憂せず、純粋に子どもの成長を楽しめる心境になる近道だと思います。例えば、イヤイヤ期や赤ちゃん返りなども、親を困らせているのではなく、「自立」のために必要なステップ、と受け止めていくのです。

ところで、親が「子育て三主義」を実践するために必要な心構えとは?それは、目の前の現象に一つひとつ白黒つけず、子どもの成長を信じて「待つ」姿勢、近視眼的にならず子どもの全体像をとらえ、積極的に子どもの良いところを「褒める」行為、子どもの尊厳を第一に考え、脅迫や強制などではなく、子ども自身の主体的な自覚を「促す」態度…。

ちょっと…、お待ちください…。「待つ」「褒める」「促す」の頭文字を繋げると、何と「ま・ほ・う」になってしまいました!「子育て三主義」は、「自己肯定感を育てる」という子育ての主要テーマへの、魔法の(実は、地道な)アプローチに他ならないのです。膝突き合わせて、皆さまと熱く語り合いたくなってしまった私。「園長先生とトークしたい人、手を挙げて~!」(何人いるのかなあ…?)

松森憲二拝

園長の「給田だより」(2017年11月号)

2017/11/01 6:34:19

「“小さな決心”と“大きな感動”」  ~いろいろあるね、涙の理由(わけ)って~

前号(秋季特別号)を配付する日の朝、園長室のパソコンに、一通のメールが届いていました。送り主は、「夏休みを振り返って」の文章を、秋季特別号に掲載させていただいた年中女児のお母さまでした。

いつも楽しく読ませていただいている「給田だより」に私の気づきを載せていただけるとのこと、身に余る思いです。以前の「給田だより」で、あるママさんの言葉に私自身が救われたように、こんな私の“気づき”でも誰かの胸に届き、ほんの少しでもお役に立てることがあれば、という思いです。

実は夏休みの間は、私自身なかなか気持ちの余裕が持てずにいました。そして、子どもたちがあまり笑っていないことに気付き、「あぁそれって、私が笑ってないからじゃないか」と立ち止まる時がありました。お恥ずかしい話ですが、普段から娘に「お母さんはいつも怒っている」と言われることが多く、その度に勝手に「自分はダメな母親」と言われているような気がして。変えられない自分自身を、嫌になることもありました。そんな時、「お母さん、いつもおこってばかりでごめんね」と娘に伝えると、「でもお母さん、朝はいつも笑っているよ」という言葉が。驚きとともに、「大丈夫だよ」って言ってもらえたような気持になり、自然と涙が出ました。なんだか、胸に突っかかっていたものが取れたような気持ちになって、「あぁ、決して良いお母さんにはなれないかもしれないけど、子どもに“大好き”と思ってもらえる母親になりたい」という気持ちになりました。だから笑おう。明日も笑おう。そのために頑張ろう、と。そんなことがあって、実は書いたものでした(苦笑)。こんな私の小さな決心ですが、園長先生に聞いてほしくて、つい恥を忍んで書かせていただきました。今後ともよろしくお願いします。

お母さまの思いに心打たれた私は、すぐさま返信メールを。同時に、メールにあった「小さな決心」という言葉から、「小さい勇気をこそ」という詩を思い浮かべていました。仏さまの教えを基として、長年にわたり教育実践に努められた東井義雄先生(1912-1991)が、子どもたちに寄せられたものです。私自身、この詩に何度励まされ勇気づけられたかわかりません。少し長いですが、引用いたします。

(出典:『東井義雄「いのち」の教え』佼成出版社刊)

 

小さい勇気をこそ          

 

人生の大嵐がやってきたとき

それがへっちゃらでのりこえられるような

大きい勇気もほしいにはほしいが

わたしは 小さい勇気こそほしい

わたしのたいせつな仕事を後回しにさせ

忘れさせようとする 小さい悪魔が

テレビのスリルドラマや漫画に化けて

わたしを誘惑するとき

すぐそれがやっつけられるくらいの

小さい勇気でいいから

わたしは それがほしい

もう五分くらい寝ていたっていいじゃないか

けさは寒いんだよと

あたたかい寝床の中にひそみこんで

わたしにささやきかける小さい悪魔を

すぐ やっつけてしまえるくらいの

小さい勇気こそ ほしい

明日があるじゃないか 明日やればいいじゃないか

今夜はもう寝ろよと

机の下からささやきかける小さい悪魔を

すぐ やっつけてしまえるくらいの

小さい勇気こそ ほしい

紙くずが落ちているのを見つけたときは

気がつかなかったというふりをして

さっさと行っちまえよ

かぜひきの鼻紙かもしれないよ

不潔じゃないかと呼びかける小さい悪魔を

すぐ やっつけてしまえるくらいの

小さい勇気こそ わたしはほしい

どんな苦難ものりきれる

大きい勇気もほしいにはほしいが

毎日 小出しにして使える

小さい勇気でいいから

それが わたしは たくさんほしい

それに そういう小さい勇気を軽べつしていては

いざというときの大きい勇気も

つかめないのではないだろうか

 

必ずしも順風満帆とはいかない長い人生、大きな嵐やさまざまな苦難はつきものです。しかし、実際には、“瞬時の選択の蓄積”こそが人生なのではないでしょうか。瞬時に自分自身を導くもの、それが「小さい勇気」だと思います。言うまでもなく、幼稚園は人間形成の基盤を担う教育機関です。男女とも平均寿命が80歳を超し、いずれも世界第二位の長寿国である日本。人生のスケールからすれば、3歳~6歳はごく早い時期に相当し、「基盤」という表現がぴったりきます。しかし、このわずか3年間が、その後の人生のどの時期よりも重要であるということを、我々はどれほど認識しているでしょうか。「脳の配線」に焦点を当ててみると、人間以外の動物は、生まれた時点である程度の配線はできあがっているそうです。しかし、人間はそうではなく、生まれてからの環境や教育によって、脳の配線は組まれてゆくのです。資料を繙(ひもと)くと、何と「人間の脳の配線工事は、6歳までに90%ができあがる」というではありませんか。その数字の持つ重みに、我々大人は襟(えり)を正さなければならないと思います。基本的信頼感を基とした触れ合いによって、子どもたちの「小さい勇気」は育っていきます。それはあたかも、生き抜いていくための「耐震工事」が施されるかのように…。

 

運動会も無事に終わり、数日経った日の出勤時、たまにお目にかかるご近所の年配の女性に「おはようございます」と挨拶すると、「おはようございます。お天気でよかったですね」との声が即座に返ってきました。運動会のことだということは、すぐにわかりました。気にかけてくださっていたことが胸に沁み、有難さに包まれて園長室に入りました。

ところで、皆さまは、運動会を迎える時期になると、「園長先生は雨男か?」ということがどこかでささやかれているのをご存じでしょうか。私自身、雨男であるという自覚は、全くありません。ただ人の口に上るには、それなりに思い当たる節がなくはありません。それは、さかのぼること5年前の秋…。  

園長就任1年目の運動会は、前代未聞、空前絶後の「二日またぎの運動会」になりました。朝からの雨も、「開始予定時刻には、上がる」との予報でしたので、それを信じて運動会を開始。しかし、雨はいっこうに止む気配もなく、むしろひどくなるばかり。子どもたちをそのまま濡らせるわけにもいかず、玉入れが終わった段階で、一時中断。しかし、その後の回復も見込まれなかったため、結局は「翌日に、その続きから再開する」との判断をいたしました。子どもたちに冷たい思いをさせてしまったことに、園長としての責任を痛感しました。しかしその一方で、二つの大きな救いが私を待ってくれていました。    

一つ目は、雨で順延となった当日の「明日を楽しみにしています」との声。そして、好天で実施できた翌日、帰り際の「二日も運動会を楽しむことができました」との言葉です。物事を善意に受け止める保護者がいてくださることの有難さを、ひしひしと感じました。二つ目は、札幌から来られていたある園児のご親戚が、翌日言ってくださった「園長先生、天使に囲まれた素晴らしいお仕事ですね!」の一言です。純粋無垢な子どもたちに囲まれている現実に、改めて目を開かせてくださいました。やや落ち込んでいたもやもや気分は、一気に吹き飛んでしまいました。新米園長の大きなターニングポイントになったことは、言うまでもありません。

閑話休題、先ほどの「園長先生は雨男か?」について。次の表は、今年も含めて過去6年間の通知表(?)です。6戦3勝3敗で、順延率50%の確率、皆さまの判定はいかに?少し、微妙かも…。

年度

2012

2013

2014

2015

2016

2017

実施

×

×

※ 〇=予定通り ×=一日順延 ▲=二日間実施

 二代目求道(ぐどう)を名乗る私に、川柳の創作意欲を駆り立ててくれるビッグイベントの一つが、運動会です。今年のプログラム挨拶文のタイトルは、「人となる 姿嬉しい 運動会」でした。共感していただけたでしょうか?因みに、昨年の挨拶文の締めは「佼成の 強み輝く 運動会」でした。2013年11月と2014年11月の「給田だより」では、いくつか「運動会川柳」を発表しています。2017年の運動会を振り返るに当たり、今年も川柳で。ただし、半数は、過去の句の使い回しです。思いは同じということで、ご容赦を。

「保護者リレー 長→中→少は 神の業(わざ)」

リメイクした保護者リレー。この句は3年前のものですが、筋書きのないドラマのフィナーレは3年前と同じ、年長組・年中組・年少組の順。粋な結果に、思わずびっくり!そして、なぜか納得?

「飛行機で じいじとばあば やってくる」

4年前の句を念頭に、進行の合間を縫っての突撃インタビュー。「遠方からのお客さま」コーナー(?)に応じてくださったおじいさまは、「札幌から」とのこと。きっと飛行機でお越しなのでしょうね。突然のマイクにも関わらず、お孫さんの名前を言ってくださったときの笑顔が、何とも嬉しそうで…。似た境遇の“じいじ”としては、ガッテン!ガッテン!

「おおかみが 子ぶたを抱いて ニッコニコ」

年少組の親子フォークダンス。おおかみの鼻に抵抗のあるママも、ちらほら…。SNS対策は大丈夫?

「玉入れの 番狂わせに 弾け跳ぶ」

年中組看板種目の玉入れ。練習通りの結果にならないのが、本番の醍醐味です。勝っても負けても、結果発表時の跳び上がりようは、素直さ・純真さそのもの。その気持ち、いつまでも忘れないで…。

「組体操 他人(ひと)の子なのに 泣けてくる」

3年前の句です。年長組の組体操、毎年漂うあの緊張感。入場曲が流れた途端、観衆のハートは鷲づかみにされたのでは。アッパレ!の出来映えでした。

「真剣さ みなぎるリレー 声枯らす」

年長組のリレー。見たこともない真剣な形相で、必死に前を向いて走る子どもたち。誰しもが魂をゆすぶられたことでしょう。観衆の絶叫と涙、これこそが“佼成、秋の風物詩”に他なりません。

今年も大きな感動で閉幕した「給田オリンピック」、本物の五輪に引けを取るものではありませんでしたね。キッズアスリートたちに、大感謝!

松森憲二拝

園長の「給田だより」(2017年秋季特別号)

2017/10/02 7:02:58

「 み~んな、みんな、頑張った!」  ~僕たち私たちの夏休みは…これだ!~

冒頭から恐縮ですが、「秋季特別号」は、紙面の許す限り多くのことをお伝えしたい、との切なる願いから、いつもの「給田だより」より小さな文字サイズとなっております。悪しからずご了承ください。

 

夏休みを迎える終業式の日に、私は子どもたちと三つの約束(「あいさつ」「げんき」「おてつだい」)をしました。

そして、保護者の皆さまには、7月14日付の手紙で「園長からの5つのお願い」として、次の5点をお伝えしたのです。

1)1学期の子どもの成長をかみしめ、その喜びを子どもに伝

えてあげてください。

2)二学期に向けての体力づくりに努め、二学期への期待感を高 

めてあげてください。

3)自然と交わりながら、夏の季節感を満喫させてあげてくださ

い。

4) 家族や親戚との交流をとおして、人間関係の原点となる“絆”

を深めてあげてください。

5) 子どもとしっかり向かい合い、保護者自身が「“子育て”の

幸せ」を再認識してみてください

さらに、保護者の皆さまには、「夏休みを振り返って」というタイトルで、「お子さまが頑張ったことや成長した姿をみせてくれたこと、あるいはお子さまを褒めてあげたこと等についてお書きください」というレポートをお願いいたしました。

夏休み明け、私はワクワクしながら、「夏休みを振り返って」の一枚一枚に目を通させていただきました。四百数十枚のレポート、量的にはもちろん、質的にもかなりの読み応えがあったことは言うまでもありません。しかし、そこには、軽快なタッチで綴られる生き生きとした子どもたちの姿、そして保護者の皆さまの温かい眼差しがありました。私にとっての “至福”のひとときになったのです。昨年までは、「長い夏休みも後半になると、どう触れ合いを持ったらいいかわからない」という声もちらほらあり、「保護者の皆さま方にとっての夏休みは、『修行』の期間なのかなあ」とも思っておりました。しかし、今年は、より前向きな課題でお書きいただいたためか、「大変 だった」の声はごく稀であり、感謝・感動・感激の声が多く見られたのが印象的でした。

「我が園の子どもたちながら、本当に良い子に育っているなあ」、そして「保護者の皆さまの眼差しが、何と明るく、優しく、温かいことだろう」というのが、読了後の率直な感想でした。さらには、発信源の私が言うのもおこがましいのですが、学年を問わず、子どもたちの中に「あいさつ」「げんき」「おてつだい」のメッセージがしっかりと浸透し、より具体的に実践してくれていることに、大きな喜びを感じました。子どもたちの素直さは、何度私の心を洗ってくれたかわかりません。

以下、「あいさつ」「げんき」「おてつだい」のそれぞれについて、大まかにまとめてみました。

【あいさつ編】

「あいさつ」では、家族間はもちろんのこと、親戚との間で交わす挨拶やご近所の方々への挨拶に大きな変化が見られ、いろいろな機会に褒めてもらった、という記述が目立ちました。喧嘩した後、素直に謝ることができるようになった子もたくさんいました。謝ることも、挨拶の一つですよね。

夏休みは、祖父母宅に帰省する絶好のチャンス。久々に会ったおじいちゃんおばあちゃんと、しっかり触れ合いを持つことができるようになったようです。一緒に庭の草むしりを しているときの、おじいちゃんおばあちゃんの何とも言えない微笑みが、目に浮かぶようです。お盆の時期でもあることから、ご先祖さまへお線香をあげる姿、また真心のこもった迎え火・送り火、そしてお墓まいりができたことに対し、「日頃の宗教的情操教育の成果」との評価をたくさんいただきました。

海外旅行の飛行機の中や帰省のための新幹線での中では、長時間にもかかわらず、しっかりとマナーを守って過ごすことができ、保護者の皆さんを安心させた、という報告も数多くありました。

【げんき編】

毎年のことではあるのですが、今年も年長さんの「お泊まり保育」は、子どもたちにとって、そして保護者の皆さまにとっても、大変意義あるイベントになったようです。子どもたちの自信は、その後の「一人での外泊」にもつながり、たくさんの貴重な経験の起爆剤になったようです。中には、1か月もの間 親と離れ、祖父母、曾祖母、親戚の人たちと過ごした強者(つわもの)も。親元を離れてと言えば、年長に限らず、1泊もしくは2泊のキャンプ(カワイの合宿)にチャレンジした子もいたようです。

いろいろなことへの挑戦で目立ったのは、保護者にとっては涙が出るほど嬉しい「トイレへの挑戦」、そして「自転車への挑戦」です。7月のカレーパーティーをきっかけに、野菜を口にすることができた子、お料理の手伝いに目覚めた子、などもたくさんいました。兄姉の隣にちょこんと座って文字の練習を始めた子、「一日一冊」を目標に掲げ夏休み期間中に50冊を読み終えた子など、子どもたちのエネルギーは全開だったようです。

幼稚園のお友だちはとは、一緒に遊んだり、BBQも楽しめたようですね。お小遣いをもらい、しっかり買い物ができた、という子もいました。虫や植物のお世話は、いのちの尊さを感じるきっかけにもなったようです。夏休みモードではなく、早寝早起きの良い生活習慣を、堅実にキープできた子もいました。

【おてつだい編】

「おてつだい」に関して印象的だったのは、保護者から言わなくても、自分からお手伝いしたいという気持ちで「何かお手伝いすることはない?」という子がかなりいたことです。

家事では、洗濯物干し、洗濯物たたみ、お風呂掃除、トイレ掃除、食事の支度、お皿洗いなど、多岐にわたっていました。お母さまがすれば手間なくできるわけですが、子どものやる気を大事にし、見守ってくださったお陰さまで、人に喜んでもらえる体験を、たくさんすることができたようです。

小さな子のお世話も、上手にしていたようですね。年下の子に絵本の読み聞かせなどをしながら、しっかりお兄ちゃん、お姉ちゃんができ、保護者の皆さまはとても助かったとのこと。年中・年長さんは、幼稚園での異学年交流の体験がベースにあり、年少さんが弟や妹のお世話ができたのも、幼稚園の年中・年長さんがモデルだったようです。

幼稚園が配付した「夏のカレンダー」が、かなり有効活用されていたようで、何かのときのシール貼りは、子どもたちのモチベーションを高めてくれていたようです。

以下の記述は、長短の差こそあれ、あくまでも私の独断と偏見によりチョイスした「生(なま)の声」です。執筆者の了解を得て、表記上若干の変更はいたしましたが、内容はいずれも100%オリジナルのまま。「成長」「幼稚園」という文字が散見するのは、園長としての性(さが)かも?いや、きっとそうに違いありません。

マの誕生日の機会に、息子にとある事実を伝えました。ママのお腹に赤ちゃんがいること。赤ちゃんというものは、必ずしも無事に産まれてくるとは限らないということも。予定日は〇月〇日です。雨の日、自転車に乗る時には、「ママ、ゆっくり、気をつけてね。お腹に赤ちゃんがいるんだから」と心配してくれたり、荷物を持ってくれたり、時々、お腹をなでてくれたり。これまで周りの友だちには、次々と下の子が産まれ、「僕も赤ちゃん欲しいなぁ~」と言っていたので、妊娠をとても喜んでくれました。(年長男児)

手伝いが、とっても上手になりました。起きてからすぐに、一歳半の弟のお世話をしてくれます。オムツ交換、洋服を選んで着替えのお手伝いは、夏休み中、毎日自分から進んでやってくれました。とっても楽しそうにやっていて、お姉さんになったんだなぁ、と実感しました。「幼稚園に入ったら、自分でやるんだよ」と声をかけながらお手伝いしているのが、少し面白かったです。今まで以上に、弟と娘が  仲良しになりました。(年長女児)

日も前から楽しみにしていたお友だちとのお出かけの日のことです。一日仲良く楽しそうに遊んでいたのに、「さよなら」の直前、突然けんかとなりました。何度となく言い聞かせても謝ることができず、そのまま帰ることになりました。ところが帰宅して間もなく、今度○○くんに会ったら謝る。ごめんねって言う」と、子ども自身から言ってきました。帰り道にいろいろなことを考えて、自分で納得して謝ることを決めたのかなあ…。身体も大きくなったけれど、心も大きく成長したのだと、気づかされた夏休みでした。(年長男児)

っという間に、夏休みが終わってしまいました。娘には絵の教室に通わせました。本人はとても興味津々。ある日のレッスンでは、「食卓の料理」という課題でした。自由創作の絵なので、子どもたちはそれぞれ描いている内容が違います。娘が描いた絵は、料理以外に食卓の周りに人物も描いていました。「誰ですか?」と先生から聞かれ、「私と私のパパとママで、食事は家族みんなで食べるともっとおいしくなるんだ」と、娘が答えました。隣で聞いていた私は目頭が熱くなりました…。娘の成長を実感した瞬間でした。(年長女児)

休みの中で一番うれしかったことは、「ママが何かあっとき、あなたのことは大切に守ってあげるからねぇ」と話したら、「いや、それ反対」と言われ、「?」と思って「どういうこと?」と聞いたら「ぼくがママを守るの!」と言われ、涙が出るほど嬉しかったです。子どもは日々成長しているなあ、私も頑張らないと、という気持ちにさせられました。身長もグッと伸び、成長が感じられる良い夏休みでした。

(年中男児)

自身改めて気付いたこと。それは私が笑っている時ほど、家族がうまく循環しているということ。怒っている時や余裕がない時は、やはりいろいろな子どもの成長を見逃してしまうことが多く、さらには子どもを萎縮させてしまうということに、改めて気付かされました。なかなか難しいですが、今後はなるべく笑顔でいられるようにしたいと思います。(年中女児)

祭りで「おこづかい」というかたちで千円を渡して「好きなものに使っていいよ」と言って~みたら、弟の分まで買っている姿に、思いやる気持ちが感じられ、嬉しく思いました。(年中女児)

の中で印象に残ったのは、花火をした時に、花火のけむりが空に上がっていくのを見て「仏さまに届くかなあ」と言ったひとことでした。幼稚園生活での教えがしっかりと子どもに根付いているのを実感しました。(年中男児)

月末に娘の祖父が倒れてしまい、頭を強打してしてしまいました。脳に大きなダメージを受けてしまい、自分のことも家族のこともよく分からなくなってしまったじいじですが、孫たちの声にはとてもよく反応することが分かりました。ICUには子どもが入ることができないため、録音した孫の声を聞かせると、まばたきをしたり、軽く頷いたりしました。特に娘の歌う『スマイル音頭』(※)が好きなようで、「今日も生きてるありがとう」の歌詞がじいじに生きる力を与えてくれているようでした。夏休みに入ってからは、一般病棟に移ることができたので、子どもたちとたくさん面会に行きました。じいじのために絵を書いたり、耳の悪いじいじに聞こえるよう大きな声で話しかけました。私たちの話しかけには反応の悪いじいじも、孫の声は熱心に聞いていました。外出すると、「じいじも連れて来てあげたいね」、家で食事をすると、「じいじとごはん食べたいね」と言います。家族を大切にする気持ちがこんなにも育っていたことに驚くとともに、とても感動いたしました。じいじもリハビリを受けて少しずつ回復しています。また孫と遊ぶことができるよう、じいじを家族で支えていきたいと思います。(年少女児)

人の実家に帰った時は、じいじとばあばにいろいろ教えてもらいながら、毎日ご先祖さまに手を合わせ、夜は浴衣でうちわを持って『スマイル音頭』(※)を踊ってみせて、幼稚園での教えが身についてきているんだなあ、と思いました。(年少女児)

※上の二文に出てくる『スマイル音頭』は、「お盆まつり」の際に年少組が踊ったゆずの曲。サビの歌詞は、以下のとおり。

🎵世界が平和になるように みんなで仲良く手をつなぎ

今日も生きてるありがとう にっこり笑ってスマイル音頭🎵

ブトムシをふ化させ飼っているのですが、「カブトムシにえさをあげるよ!」と誰よりも率先して、カブトムシのお世話をやってくれました。死んでしまったカブトムシには「今までありがとう。天国で元気でね。寂しくなったら、赤ちゃん(卵)になって戻って来ていいからね!」と手を合わせていました。これは、幼稚園で命の大切さや感謝の気持ちを学んでいる賜物だなあ、と感じることができました。  (年少男児)

までより、外で人に会った時の挨拶がしっかりできるように。それまでは恥ずかしがって口の中でモゴモゴ言っていたのが、ちゃんと口に出して言えるようになりました。幼稚園で一学期の間たくさん挨拶をして、挨拶の大切さがわかるようになったみたいです。(年少女児)

 

子どもたちは、通園カバンにお土産話をたくさん詰め込んで、幼稚園に戻ってきました。楽しかったことの一つひとつが、二学期からのパワーの源となっているのでしょう。

松森憲二拝

園長の「給田だより」(2017年10月号)

2017/10/02 6:53:47

「“子どもたちを守る”ということ 」  ~ 大切にしたい三つの“安”~

保護者の皆さまから託されて保育に携わる幼稚園には、「子どもたちを守る」という大事な使命があります。一口に「守る」と言っても、守り方にはさまざまな種類や段階があり、それぞれに相応しい“砦”を提供できたら、と願っています。

  • 危険から身を守る「安全対策」

まず、目の前の危険から「子どもたちを守る」ための“砦”が、「安全意識」を育てることと、さまざまな場面に応じた訓練です。

ある日の出勤前、テレビの情報番組から「秋の世田谷区交通安全運動(9月21日~9月30日)に向けて、フリーアナウンサーが世田谷署の一日警察署長を」というニュースが流れました。「世田谷区内では、子どもの自転車事故が多い」という気になるコメントとともに…。そして一瞬の間、画面の中に見慣れたフリップを見つけました。それが、毎年、保護者の皆さまにお示ししている警察庁からの「自転車安全利用五則」です。

1) 自転車は、車道が原則、歩道は例外 

2) 車道は左側を通行

3) 道は歩行者優先で、車道寄りを徐行 

4) 安全ルールを守る

★飲酒運転・二人乗り・並進の禁止 

★夜間はライトを点灯

★交差点での信号厳守と一時停止安全確認  

★運転中の携帯電話等の使用・傘さし運転の禁止

5) 子どもはヘルメットを着用

佼成学園幼稚園の子どもたち・保護者・職員が、誰一人として事故に遭わず、また事故を起こすことのないよう、切に願っております。これからヘルメットを準備される方、一日も早く、子どもさんのお気に入りのものを探してあげてください。

地震や火事を想定しての避難訓練。子どもたちは皆、毎月の訓練に真剣に取り組んでいます。訓練の最後に、子どもたちの前で短い「講評」をしているのですが、そのときのメッセージが、「なうしか」(『造語集憲(●)辞苑』より)です。もちろん、ジブリアニメのタイトルの語呂合わせです。

かない  

ごかない

ゃべらない  

おをみる

実は、9月に入って、「当面予想される、ありとあらゆる危険から子どもたちを守っていくにはどうすればいいか?」という担任たちの真摯な危機感によって、佼成学園幼稚園に二つの訓練が導入されました。一つは「Jアラート発令時の訓練」。もう一つは「不審者侵入に対する訓練」です。

9月11日、運動会の練習中に、笛の合図で、突然「不審者訓練」は始まりました。不意のことで、多少の戸惑いや動揺も見受けられましたが、子どもたちは冷静に担任の指示に従っていました。待避した場所での“水を打った静けさ”。誰一人おしゃべりすることなく、「四百数十名の子どもたちが、今ここにいるのか?」と思わせるほどの静寂に包まれた私は、言葉にならない感動を覚えました。そして、心の中で「アッパレ!」の賛辞を送っていたのです。子どもたちの姿をとおして、改めて日頃の訓練の大切さを痛感いたしました。

不審者対応には、全国普及版の防犯標語である「いかのおすし」がよく知られています。

いか…(知らない人について)いかない

…(知らない人の車に)らない

…(危ないと思ったら)おきなこえをだす

…(その場から)ぐににげる

…(大人の人に)らせる

子どもたち自身が、いざというときに適切な行動がとれ、そして自らを危険にさらすことのないよう、繰り返し子どもたちへの意識付けを図ってまいります。ご家庭内におきましても、「今日の夕飯はお寿司だよ。ところで、『いかのおすし』って何だっけ?教えて」といったふうに食卓の話題にしていただけると、子どもたちは、遊び感覚で(これが大事!)認識をより深めていくことでしょう。

 佼成学園幼稚園では他にも、4月には全学年の「引取り・引渡し訓練」、2月には年長児対象の「危険回避プログラム」を実施しております。

  • 成長の礎(いしずえ)となる「安心感」

在園中の子どもたちに「安心感」という“砦”を提供することも、「子どもたちを守る」ことに通じます。「大切なものは目に見えない」は、有名な言葉です。子どもたちを含めて保護者・職員を守ってくれている「目に見えない偉大な力」、換言すれば、すべての命の根源である「宇宙の大生命」を、仏教では「仏さま」と呼びます。もちろん仏像も「仏さま」なのですが、それは本体である「目に見えない仏さま」を誰にもわかりやすくするために、象徴的に現したものなのです。私たちは、至心に仏さまに手を合わせることによって、仏さまから守られていることを魂で感じることができます。その「安心感」があってこそ、子どもたちは成長していくのです。区内屈指の園児数の佼成学園幼稚園が、つつがなく日々の保育を継続できるのも、決して当たり前のことではありません。「見えない仏さまに守られている」ということを日々感じながら、子どもたちに向き合っています。  

ところで皆さまは、バス駐車場の片隅にある「母子像」と「合掌童子像」のことをご存じでしょうか。「母子像」は、昭和62年4月に、三代目園長泉田佳子先生が寄贈してくださり、台座に刻まれているのは、「いつの世も 母なる心を 伝えよう」の言葉。「母親の懐に抱かれたような、安心感のある保育を!」との祈りが伝わってくるようです。また、「合掌童子像」は、昭和60年3月に、ある保護者が、園児たちの健全な心身の成長を願い寄贈してくださいました。安心感を支えに、素直に手を合わせることの純粋性を、私たちに示してくださっているのだと思います。これらの像に込められた思いを知れば知るほど、守られて成長できていることの喜びが、ふつふつと湧いてきます。

「子どもたちを守る」という観点からすれば、保護者の皆さんの「胸名札の着用」「挨拶の励行」も、子どもたちへ提供したい「安心感」と無縁ではありません。「人々が互いに顔見知りであり、互いに挨拶を交わし合える地域では犯罪が少ない」とは、前任の専門学校時代、防犯教育でお世話になった警察官の話です。直接的な因果関係はないように思われるかもしれませんが、(目に見えない)地域の雰囲気は、子どもたちに「安心感」を与え、「子どもたちを守る」大きな支えになるのです。日々の小さな実践を、こつこつと続けていかなければなりません。中でも、挨拶は心がけ次第。子どもたちに「挨拶しなさい」と求める前に、大人から率先して、気持ちの良い明るい挨拶を交わし合いたいものです。そのことが、どれほど子どもたちに「安心感」を与えているかわかりません。

  • 生きぬくための「安定力」

保育に携わる者の最大の願いは、一人ひとりの子どもたちが、幼稚園で身に付けたことを、まずは小学校で、そしてゆくゆくは社会で活かしてくれること、ただその一点です。子どもたちがそれぞれの長い人生の中で、自らが自らを守っていくための揺るぎない“砦”づくりの第一歩を、幼稚園で踏み出してほしいのです。どんな波風にも負けない「安定力」が身に付けば、盤石の自信をもって生きぬいていくことができます。

「投げられたところで起きる小法師(こぼし)かな」は、私の好きな古歌の一つです。小法師とは、「おきあがりこぼし」のことで、「どんなところに投げられても、重心がしっかりしている小法師は、すぐに立ち上がれる」というのです。重心を「自己の確立」と置き換えるならば、「自己を確立していれば、どんな境遇でも生きぬいていくことができる」と読み解くことができます。「自己の確立」こそ、第三の“砦”です。幼年期に築かれた「安定力」の芽生えが、その後の人生を支え、「自分で自分を守っていく」ことになるのです。

私は、来るべき10月の運動会のプログラムに、次のような挨拶文を書きました。

子どもたちは、競技や演技をとおして、「勇気をだして、困難なことに挑戦する」「最後まで諦めず、目標に向かって努力する」「大切な仲間たちと、互いに励まし合う」という姿を見せてくれることでしょう。それらはどれも、「人としての生き方」の基盤そのものに他なりません。

上の文を起草した直後、私は書店で平積みになっている『世界標準の子育て』(船津 徹著:ダイヤモンド社)という一冊の本を手にすることになります。子育ては、千差万別の子どもと母親の組み合わせですから、一般的には「子育てに正解はない」というのが定番です。その言葉によって、子育てに悩んでいる多くの母親が救われていることも、よく承知しています。ところが、その本の帯には、「子育てには、『正解』があります」との赤い文字。色ばかりでなく、その挑発的なコピーに目が留まり、思わず手が伸びて…。著者は、0歳から18歳までの子育てについて詳細に述べる中で、「世界標準の子育て」の根幹となる三条件は、「自信」、「考える力」、「コミュニケーション力」である、と主張しています。先の「勇気をだして、困難なことに挑戦する」は「自信」に、「最後まで諦めず、目標に向かって努力する」は「考える力」に、「大切な仲間たちと、互いに励まし合う」は「コミュニケーション力」に符合していることに、私は意を強くしました。と同時に、佼成学園幼稚園の保育は、間違いなく「子育ての世界標準」を志向している、ということを確信したのです。

子どもたちの前途には、大小さまざまな障壁が待ち構えていることでしょう。「安全」「安心」「安定」という三つの“砦”を基地として、大いに飛躍してくれることを期待しています。(♪「安・安・ 安 とっても大好き 幼稚園」♪)

  松森憲二拝

園長の「給田だより」(2017年9月号)

2017/09/01 7:52:58

「私の“夏季研修ミニレポート”」   ~さあみんな、二学期が始まるよ!~

夏休み、それは子どもたちや保護者の皆さまにとって、長い一年間を乗り切るための大切な充電期間であると思います。親子での濃密な触れ合い、そして夏休みならでは貴重な体験などが、いよいよ始まる“充実の二学期”をより輝かせてくれることでしょう。子どもたちの“心の宝石箱”には、きっとたくさんの宝物が詰まっているはず。キラキラした瞳で語ってくれるワクワクトークに、心躍らせながら、全力で耳を傾けるつもりです。

ところで、保育者にとっての夏休みと言えば?幼児理解や保育者自身のメンタル&スキル向上のための貴重な研修期間、と位置付けることができます。夏休み期間中には、数多くの団体が、保育者向けのさまざまな研修会を各地で開催します。例年、我が園の保育者たちも、大切な子どもたちとの有意義な時間を創出するため、各自の問題意識に基づき、自己の研鑽・啓発に努めています。

今夏私も、二つの研修会に参加しました。一つは、東京家庭教育研究所主催の「家庭教育公開講座」。幼稚園に課せられた社会的使命の一つが「子育て支援」である、という観点からして、家庭教育に無関心ではいられません。昨年に続き二回目の参加です。「心に響く ほめ方 叱り方」が、今年のテーマでした。家庭を幼稚園に置き換えれば、保育者にとっても有益なヒント満載で、保育現場の方々の姿も多く見受けられました。       

もう一つは、フレーベル館主催の「エグゼクティブセミナー」。講師陣が著名な研究者、脚本家、スポーツキャスターである、ということもあり、いささかミーハー的な参加動機ではありましたが、「いまどきの子育てで大切なこと」「選ばれ続けるリーダーの条件」「創造を語る」「ディズニーの現場力」という厳選された4テーマは、いずれも聞き応えあるものばかりでした。「夏季研修」をとおして学び得た数多くの事柄の中から、いくつかをピックアップして、紙上レポートいたします。

一点目は、「家庭教育公開講座」で耳にした、子どもをほめるポイントの一つ、「結果だけで評価せず、子どもが努力したと認められる行動に対しては、努力した心、努力した精神を認めてあげることが大切です」というフレーズです。子どもにしろ大人にしろ、結果にこだわりたくなるのは仕方ありません。しかし、大人の関心が結果に偏り過ぎてしまうと、結果が望ましくないときには、たちまち子どものやる気は減退し、次への意欲につながりにくくなります。「“ほめる”とは、子どもが持続して行動できるように励ますこと」。大人は努めて子どもの心の動きに注目し、頑張っている姿勢にこそ焦点を当てるべきなのですね。常に、心しなければならないと思います。  

二点目は、「エグゼクティブセミナー」で、脚本家三谷幸喜氏のコメントに共感を覚えたことです。三谷氏は、作・演出として『子供の事情』という演劇作品に取り組んでいて、そのお芝居ではそうそうたる俳優陣が10歳の子どもを演じているそうです。演出家として発信した俳優たちへのメッセージは、「『自分は子供じゃないんだ』という意識で演じてください」。大人が子どもの役を演じるのですから、一般的には「子どもになりきって」となるのでしょうが、「子どもじゃない意識で」という三谷氏の発想に、思わず「合点!」し、さすがに「子ども目線」をよく理解しているな、と感じました。以前に『給田だより』でも述べたとおり、子どもたちは、自身を決して「半人前」とは考えておらず、それぞれの年齢なりに自身を「一人前」として見つめているのです。そのことを、思い起こすことができました。よく聴いてみると、三谷氏には現在3歳の男の子がいて、「子どもができてからは、以前には考えられなかった新しい世界が目の前で展開し、何かと試行錯誤の連続」とのこと。これはあくまでも私の臆測に過ぎないのですが、「目の前の我が子と触れ合うには、一人前として扱わなければ、真実の姿をとらえることはできないぞ。より良いコミュニケーションをとることはできないぞ」と、感じているのではないでしょうか。「当たらずといえども遠からず」かな?

卑近な例で恐縮ですが、つい先日、移動中の車の後部座席に座っていた私が、助手席(チャイルドシート)の孫の顔を覗き込もうとして少し腰を浮かせたところ、彼女からの一言、「座っててね」。きっと、親からも言われたことがあるのでしょう。その場にマッチした言葉の選択に、私は唖然として、思わず「ハイッ!」と返事。2歳3か月ながらも、本人の意識は、立派に「一人前」なのです。

「物事の結果のみに執着せず、各自の努力する姿勢こそを大切にし、“一人前”の人として接していく」。愛しい子どもたちとの向き合い方を、「夏季研修」が再確認してくれました。

 松森憲二拝

園長の「給田だより」(2017年7・8月号)

2017/07/01 6:27:37

「“ア~イウ~エオ~!”」  ~ アイサツマンは行く! ~

6月8日の歯科検診の日、順番待ちをする子どもたちを前に紙芝居をするチャンスに恵まれました。演目は「アンパンマン」。初見でしたが、何とか子どもたちに喜んでもらおうと、役柄になりきって…。1本目が終わるや否や、「次、それ~」とのリクエストがあり、短い時間ながらも、「アンパンマン」を3本。子どもたちの反応メーターが高かったのは、バイキンマンが登場するときや喜んでいるときの、「ハ~ヒフ~ヘホ~!」でした。

紙芝居が終わり園長室に戻り、ふと脳裏をかすめたのが、「ア~イウ~エオ~!」です。それは、普段私が、子どもたちや保護者・保育者との関わりの中で、私なりに心がけていることの頭文字を並べたものでした。一文字ずつにコメントを…。

いさつ(挨拶)

私は子どもたちと、三つの約束をしています。それは、「あいさつ」「げんき」「おてつだい」です。子どもたちに求めるだけでなく、もちろん私自身にも言い聞かせている実践課題です。中でも、最初の「あいさつ」については、「園長が口を開けば、いつも『あいさつ』と言っている」とお思いの方も、少なからずいらっしゃることでしょう。63歳になった今、「あいさつ教の教主(?)」を自任するほどまでになった背景には、二つのことがあったことに気づかされます。一つは、「仏さまの教え」であり、もう一つは、「教育者の教え」です。

一つ目の「仏さまの教え」。何か小難しそうに伝わるかもしれません。しかし、私はそれを至ってシンプルに、「人間の生き方の教え=ご縁を大切に生きる教え」と捉えています。平たく言えば、「目の前の出会いを大切に生きていくこと」ということです。いかにも抽象的なこれらの表現を、より具体的に(より実践的に)表現するにはどうしたらいいのだろうと考えていたある時、その答えが見つかりました。それは、「あいさつをすること」だったのです。その時以来私は、「自分から先に、相手の目を見て、できるだけ明るい声であいさつをすること」を、生きる上でのモットーとするようになりました。(もちろんその時々の心境に左右され、上手くはいかないこともあるのですが…)。

もう一つの「教育者の教え」について。私は、まだ若かりし頃、恩師でもある庭野日鑛先生(佼成学園学園長)のご薫陶を受け、あるお二人の教育者の言葉に触れることができました。ともに故人ながら、教育の世界では知る人ぞ知る、森(のぶ)(ぞう)先生と徳永康起(やすおき)先生です。園長室の机の引き出しに入っているのは、お二人の珠玉の言葉が集められている二冊の小冊子。その宝物には、教育者としての心構えのエッセンスがたくさん詰まっており、中でも「あいさつ」に関する記述には、大きなインパクトを受けました。次の二つの言葉です。

〇「朝のアイサツは人より先に‼」これを一生続けることは、人間としての最低の義務。(森信三先生)

〇アイサツひとつに命をかけるほどの行がなくては 教育の底は浅い。(徳永康起先生)

対象年齢の違いはあっても、教育畑一筋に歩んできた私にとって、生涯を支えてくれている至言である、と言っても過言ではありません。

毎朝、園の玄関での、約1時間10分の「立礼」の行は、一人ひとりの子どもたちとの大切なコミュニケーションです。一人の人間として尊重している、つまり「あなたを大切に思っているよ」の気持ちが伝わるように、子どもたちの目を見て、できる限り丁寧な言葉でのあいさつを心がけています。子どもたちの中には、私より先に「園長先生、おはようございます」と言ってくれる子もたくさんいます。そのときには、言葉をさえぎることなく最後まで聞き取り、その後で「〇〇くん(ちゃん)、おはようございます」と返しています。

私のモチベーションを高めてくれるキーワードが、剣道の「一本」です。剣道では、有効な打突が相手より先に入らなければ「一本」にはなりません。いくら強く打ち込んでも、後からではダメです。挨拶も同じこと。相手の存在が目に入ったら、まず先にこちらから挨拶する。「おはようございます」「こんにちは」「お疲れさま」「さようなら」の一本!味わえるすがすがしさは、他の誰のものでもありません。自分自身のものなのです。相手から返事が返ってくるかどうかは、二の次、三の次のこと。こちらから挨拶すると、普通は、相手から返礼の挨拶があるものですが、中には、無反応の人がたまにいます。(実際には、無反応という反応なのでしょうが…。)そんなときには、やや悲しい思いにもなってしまいます。しかし、挨拶を止めたならば、こちらから試合を放棄することになりますから、それは避けなければなりません。「継続は力なり!」というではありませんか。

のち(生命)

毎年、年長組4月、5月の誕生会では必ず、佼成学園幼稚園の園名になぞらえて、「いのち」の大切さを伝えるようにしています。「こ・う・せ・い」、すなわち、「のよに」「んでいただいた」「かいでたったひとつの」「のち」です。ご両親と出会え喜んでもらえたこと、一人ひとりは大切な存在であるから仲良くしていくこと、などが伝わればいいな、と強く願っております。

ここのところ、私自身の園児を眺める目線に、変化が起きていることを自覚しています。もちろん、園長目線であることに何ら変わりはないのですが、やや「じぃじ目線」が加わってきているな、と感じています。5月に2歳を迎えた初孫が、園児たちを眺める目線に、質的な変化をもたらしてくれたのだと思います。園児たち一人ひとりの ことが、以前よりもさらに可愛くなりました。

 た(歌)

ある日の通勤途中、通りすがりの見知らぬお母さんが、幼児に歌を教えていました。その子に相応しい童謡を口ずさみながら、生きることの楽しさや喜びを、歌に託して伝えている姿に映りました。考えてみれば、子どもたちが生まれて初めて出会う音楽の先生は、間違いなくお母さんです。

no-music no-sports no-life(音楽、スポーツのない人生はない)、これは私の次男のかつてのメルアドですが、私の心境に近いものがあります。一口に音楽と言っても、「楽器」はどれもこれも中途半端ですので、私にとっての音楽の中軸は、「歌」ということになるでしょう。気が付けば、知らず知らずのうちに「歌」を口ずさんでいる自分がいます。人生の応援歌であったり、ときには鎮魂歌であったり…。そばに歌があるかどうかが、人生における心の豊かさを左右すると思います。

ところで、「歌のおじいさん♪」は耳慣れぬジャンル(?)だと思います。チャンスがあれば、手を挙げて、ぜひ挑戦したいと思っています。どなたかそんな情報をお持ちでしたら、園長室までお知らせください。ご連絡をお待ちしております

がお(笑顔)

昨年度の後援会役員の皆さまから、今年度の初め、デコレーション付きの色紙(寄せ書き)をいただきました。そこに書かれていたメッセージ。「はじめは不安と緊張の中でスタートしましたが、園長先生のやさしい微笑みのおかげで、和やかに仲間たちと協力し合い楽しい活動になりました。」「笑顔♡温かい言葉をかけていただきありがとうございました。」社交辞令でも嬉しいものです。

「顔は親の責任、表情は本人の責任」という言葉があります。若干の言葉を補うならば、「顔(のつくり)は親の責任、表情(の明暗)は本人の責任」ということなのでしょう。表情で求められるものの代表が「笑顔」。各自の心がけ次第なのでしょうね。私自身が意識していることと言えば、ニコッとする、というよりは、優しい眼差しを相手に注いでいく、ということかもしれません。

笑顔は、「いま」「ここ」「あなたと私」を受け入れてこその、人間の貴い営み(肯定的態度)。笑顔は、その人自身の人格の表れです。とは言え、「形から入る」のも大切なことですから、「笑顔」になれる努力を、今後も続けていきたいと思います。

20年ほど前、ある講演会の企画に携わり、直接お目にかかったことのあるノートルダム清心学園の渡辺和子先生。(残念ながら、昨年の12月30日に、89歳でお亡くなりになりました。)私は、教育者としての視点から、また宗教者の視点から、数多くのことを学ばせていただきました。先生のご著書にたびたび引用されている次の詩は、笑顔(ほほえみ)に関する教訓として、私の心に確かに刻まれております。

もしあなたが、誰かに期待した

  ほほえみが得られなかったら

不愉快になる代わりに あなたの方から

  ほほえみかけてごらんなさい

実際、ほほえみを忘れた人ほど

  あなたからのそれを

必要としている人はいないのだから

ところで、宝塚歌劇団の舞台裏には、『ブス25箇条』という張り紙があるそうです。それはもちろん、そうあってはならない、との戒めの文書に違いないのですが、3番目の「おいしいと言わない」、2番目の「お礼を言わない」を抑えて、堂々の1番目は「笑顔がない」だそうです。それほどまでに重要視されている「笑顔」。実際には、そう簡単なものではないからこそ、タカラジェンヌたちの“いの一番”の目標なのでしょうね。

もいやり(思いやり)

 「思いやり」、よく耳にする言葉ですね。これは、人間が幸せになるための黄金律(ゴールデンルール)です。私は、「相手の立場に立つ」と言い換えています。人が互いに言葉を交わすその奥には、予め何らかの期待や信頼が込められています。ですから、相手の「気持ちを受容」し、「期待を想像」し、「立場を配慮」することが大切なのです。もし仮に、状況によって期待に応えられないことがあっても、断り方によって信頼を裏切ることのないよう、十分な気配りをしなければなりません。

 「ア~イウ~エオ~!」を造語集『()辞苑』に加え、大いに活用してまいります。ニューキャラクター、アイサツマンは行くのです!

松森憲二拝