トピックス

給田だより

園長の「給田だより」(2014年10月号)

2014/10/03 15:33:52

「運動会は、最高の“総合学習”なんです!」 ~“日本一の佼成”を実感してください!~

猛暑を嘆いているうちに、朝夕の風はすっかり秋を感じさせるようになりました。秋と言えば、“○○の秋”。皆さまにとりましては、何の秋が到来しているでしょうか?幼稚園の秋は、何と言っても“スポーツの秋”。10月12日の本番に向けて、今まさに、“運動会の秋”真っ盛りです。

創立60周年記念事業としての園庭改修を終え、後援会の皆さまが園児のために作ってくださったお揃いのTシャツで迎える今年の運動会は、例年とはひと味もふた味も違ったものになるのではないかと、ワクワクしながら胸を膨らませています。

(お腹ではありませんので、念のため…。)

私は、園長就任以来、佼成学園幼稚園の運動会に「世田谷名物」という冠をつけてまいりました。充実した中身に触れ、保護者をはじめご家族の皆さまの大きな期待を肌で感じれば感じるほど、年々その思いを強くしています。

先日、佼成学園学園長の庭野日鑛先生から、「創立60周年の意義は、“一新”にあり」と教えていただきました。今年度初頭の抱負を「日本一の幼児体育園」とした私は、そのご指導に基づき、創立記念日を契機に、佼成学園幼稚園の運動会を「日本一の運動会」と呼ぶことに決定(?)いたしました。たとえ、誰が何と言おうとも…。

しかし、何をもって日本一と呼ぶのか?それが明確でなければ、所詮、園長の独り善がり、根拠のないスローガンに終わってしまいます。でも 皆さま、どうかご安心ください。以下の「佼成キッズの運動会、ベスト15!」は、担任から耳にする子どもたちの頑張りや成長を、私の視点から まとめたものですが、一つひとつの項目を熟読玩味していただければ、佼成の運動会がいかに 素晴らしいかを、おわかりいただけるはずです。 

まずは、【グループ編】から。

①  集団行動・団体行動ができるようになる。

②  ルールを守って戦えるようになる。

③  友だちと協力し合えるようになる。

④  チームの結束力を高められるようになる。

⑤  友だちを応援できるようになる。

⑥ 友だちの心配ができるようになる。

自己中心の塊(?)である子どもたちは、元来、集団行動や団体行動は苦手です。発展途上人として、それらを克服していくところに、幼稚園生活の最大の意義がある、と言っても過言ではありません。今年も、入園して半年の年少組さんが、“奇跡の入場行進”を見せてくれることでしょう。また、「もちつもたれつ」の関係を基盤とする仲間意識に目覚めることは、幼稚園生活の充実をより確かなものにしてくれます。

次は【チャレンジ編】です。

⑦ 目標を持てるようになる。

⑧ 弱い自分に立ち向かえるようになる。

⑨  苦手なことに挑戦できるようになる。

⑩  努力は報われることを喜べるようになる。

少しでも足が速くなりたい、玉入れで一等賞になりたいといった目標は、運動会に取り組むモチベーションを高めてくれます。どんな子どもにも、弱さはあります。その弱さを受容して、それに  挑んでいくことは、「生きぬく力」を養う基盤となります。また、「子どもはみんな運動好き」とは限りません。葛藤しながらも前を向いて頑張っている姿に、エールを送り続けたいと思います。

締めくくりは、【ジョイ編】です。

⑪  人の言うことを注意深く聴けるようになる。

⑫  新しい競技や演技に適応できるようになる。

⑬  親子の触れ合いを喜べるようになる。

⑭  身体を動かすことを喜べるようになる。

⑮  人に喜ばれることをしたいという意識になる。

「誰かのために」という意識は、人間のやる気スイッチをONにしてくれます。人間として身につけるべき大事な資質の一つと言えましょう。とりわけ、「家族に喜んでもらいたい」という素朴で純粋な気持ちは、幼児期の今にこそしっかりと根付いてほしい情操なのではないでしょうか。

上述のように、子どもたち一人ひとりにとって、運動会は“最高の学びの機会”なのです。輝かしい光を放って躍動する子どもたちの姿を、どうかくれぐれもお見逃しなく。

おっと、…。「日本一の運動会」を形作る、もう一つの大切なピースを忘れるところでした。それは、保護者をはじめとするご家族、そして私ども保育者を含めた「大人たちのマナー」です。そのピースがうまく納まった時に、「日本一の運動会」というジグゾーパズルはできあがります。

完成間近、乞うご期待!                                    

 松森憲二拝

 

園長の「給田だより」 (2014年9月号)

2014/08/27 7:44:19

「ママと一緒に“DREAMS COME TRUE!”」 

~創立記念日を目前にして~

  

ご承知のとおり、今年、学校法人佼成学園並びに各設置校・園は、創立60周年を迎えます。9月6日(土)、立正佼成会大聖堂で行われる記念式典に、佼成学園幼稚園からは、年長組母子の有志による聖歌隊(Kosei Anniversary Choir/佼成 アニバーサリークワイア)が出演し、奉祝歌として「ひとつ」を合唱いたします。

 

ひとつ
            作詞・作曲  高橋晴美

空と海がとけてひとつ
あなたの心にとけて生きる
空に星がとけてひとつ
あなたの人生にとけて生きる

あなたの部屋に野の花ひとつ
いつも安らぎをとどけてあげたい
あなたのために何かひとつ
今日も新しく生まれかわりたい

人と人がとけてひとつ
今日もしあわせ感じ合いたい
国と国がとけてひとつ
その日を信じて今日も生きる

人と人がとけてひとつ
今日もしあわせ感じ合いたい
国と国がとけてひとつ
その日を祈って今日も生きる 

この曲には、私なりに長年の思い入れがあります。というのも、数年前、私は某所で、「ひとつ」を練習する現場に立ち会いました。小・中・高と合唱指揮経験のある私は、その時に指揮をされていた高橋裕先生(「ひとつ」の作詞・作曲者である高橋晴美先生のご主人さま)の情熱かつ情感あふれるご指導に心動かされ、いつの日か何かの形でご一緒させていただきたいと、密かに夢を抱くようになりました。(その時以来、「私の愛唱歌集」に「ひとつ」の曲が加わりました。)

 

今回の創立記念式典にあたり、当時頂戴した 名刺を頼みの綱として、園児母子へのご指導を依頼いたしました。園児たちに、“本物に触れる”という貴重な体験をしてもらいたい、との願いからです。早々に、ご夫妻からご快諾をいただきました。「幼稚園での初の本格的指導」とのお話に、その光栄に浴する喜びを深く感じました。

 

なぜ「ひとつ」を奉祝歌に…?一つ目の理由。

それは、私は歌詞の中に、「人間としての生き方」として、以下の三つのメッセージが表現されて いると認識しています。

①宇宙の大いなる生命に抱かれて、今を大切に生きていこう。

②人に優しい行いを、コツコツと続けていこう。

③人と人との調和、世界の平和を信じ祈って いこう。

それらの生き方は、庭野日敬先生(佼成学園創立者)のお示しくださった「建学の精神」に通じていると、確信しています。

 

二つ目の理由は、庭野日敬先生のご法号である「開祖日敬一乗大師」と「ひとつ」との、数字の「一」につながるご縁です。聖歌隊の合唱は、創立者への報恩感謝行になるに違いありません。

 

聖歌隊の人数については、創立60周年ということから、当初、母子30組60人を目指しました。ただし、夏季休暇中の練習ということもあり、その数に届かず少し残念に思っていたところに、何と、佼成学園女子高等学校合唱部の方々が、救世主として現れてくださいました!お陰さまで、60人編成による3部合唱の聖歌隊はできあがりました。

 

年長組園児たちの「純真無垢な天使の歌声」、お母さま方の「優しさに満ちた母なる大地の歌声」、そして女子高生たちの「清純可憐な歌声」、それらが「ひとつ」になって、大聖堂に、そして記念式典に参集する一人ひとりの心奥深くに響きわたるのです。その瞬間を想像するだけでも、ワクワクしてきます。

 

30年間、教育畑を歩んできた私が、今言えることは、「“人を育てる場所”は“夢を発見・実現する場所”である」ということです。愛しい子どもたちが育っていく土壌には、「夢」という養分が必要不可欠です。大小の「夢」によって、子どもたちは「達成感」という実を結び、「自信」という根を深めていきます。明るく、優しく、温かく、見守ってまいりたいものです。

                                                                  松森憲二拝

 

園長の「給田だより」(2014年7・8月号)

2014/07/01 9:00:00

「運動大好きキッズを育てたい!」
  ~パパママは専属サポーター!~

 去る6月13日、「日本一の幼児体育園を目指して ~幼児体育の魅力と可能性~」というテーマで、「オリンピアンによるトークショー」を行いました。講師は、体操男子日本代表監督の水鳥寿思氏、新体操指導者の川本ゆかり氏。企画当初は華やかさを演出するために、女子アナに進行役をと密かに画策していたのですが、当日マイクを握っていたのは、なぜかジジアナ(?)でした。

 冒頭、お二人の現役時代の演技をVTR上映。固唾をのんで見入っていた保護者から、終わった途端の大拍手。アスリートとしての頂点を極めた “本物”の放つオーラは、格別のものでした。

 子どもたちと触れ合う時間を確保するために、短い時間でのお話でしたが、コンパクトにまとめられた内容には、多くの示唆が含まれていました。

 水鳥氏は、ご自身のオリンピックへの道を辿りながら、「子どもたちに運動の機会を数多く提供すること」と「子どもたちのさまざまな思いをうまくモチベーションにつなげていくこと」を、川本氏は、「できないことの指摘ではなく、できたことを褒めること」と「親自身が子どもと一緒に運動を楽しむこと」を強調してくださいました。

 創立60周年を迎えた今年の始業式、私は本気で「日本一宣言」をいたしました。ただ「何をもって日本一とするか?」については、漠然とした思いでした。そのヒントを得たい、との願いから、トークショーの企画は出発したのです。

 幸いにも、お二人のお話は私に「啓示」にも似たメッセージを与えてくださいました。それは、「佼成学園幼稚園の使命、それは、子どもたちを一人残らず運動好きにすること」です。そのことが実現する日、佼成は「日本一」になるのです。  

 厳しい指導に子どもが泣き、親もどうしてよいかわからなくなってしまった、という状況の幼児施設のことを、たまに耳にします。ある程度の年齢になって、自らが厳しさを求めるのであればまだしも、大人からの圧力の結果得られた成績など、大した意味がないと言ったら言い過ぎでしょうか。かえって、「運動嫌い」を生み出すかもしれないのです。「日本一」のためには、あくまでも子どもたちの楽しさがど真ん中にあり、一人前の人格を持つ子どもたちの自主性や創造性が尊重されなければならないと思います。その目標を達成するために、私は二つの条件が必要だと考えています。

 一つ目は、「環境」です。幸いにして、佼成学園幼稚園には、衆目の一致する素晴らしい環境があります。厳密なデータなどありませんが、園を訪れる方のほぼ100%の人が、園庭の広さと温水プールの存在に、賛嘆の声をあげてくださいます。今回の水鳥さん、川本さんも、決して例外ではありませんでした。お二人とも、「羨ましいくらい」とまでおっしゃっていました。

 私は、「施設が素晴らしい」と言ってくださる方々は、ただ単に、その存在そのものについて言及しているのではなく、その環境と表裏一体である教育内容をも評価していただいている、と受け止めています。手前味噌と言われるかもしれません。しかし、教育内容の充実がなければ、施設はただの入れ物です。多くの卒園児・在園児の保護者が、佼成学園幼稚園の募集力の一つとして、「施設の充実」をあげてくださいますが、そこに「教育の質的充実」が伴っていなければ、保護者の喜びの声にはなり得ない、と私は信じています。

 二つ目の条件は、「意識」です。子どもたち自身が、「運動が楽しい」と思えているかどうかです。そこに保護者の皆さまの役割が重要となってきます。親子の触れ合いの中で、子どもたちに運動の楽しさを意識づけていただけないでしょうか。 とは言っても、決して難しいことをお願いしているわけではありません。子どもが体を動かしていることを心から喜び、子どもがやっていることを夢中になって応援する。そのことさえできれば、子どもたちは、すぐに「運動好き」に変身してしまいます。なぜならば、子どもとは本来、親を喜ばせたいという願いの塊なのですから…。専属サポーターの腕の見せどころ、と言えましょう。

 保護者と保育者とが手を携えて、「運動大好きキッズ」を育ててまいりましょう。「運動大好きキッズ」は、やがて「生きること大好き人間」に変貌していきます。間違いありません。

【ママさんバレーの第1報です!】

 6月17日リーグ戦第1戦、昨年準優勝のJ幼稚園を2-0で破り、幸先の良いスタートとなりました。最終日の最終コートに立つ雄姿を心に描きながら、佼成、チャッチャッチャッ! 

松森憲二拝

園長の「給田だより」(2014年6月号)

2014/06/01 9:00:00

「いつも見守っているよ!」
  ~施設も園児を育てるスタッフです~

 5月5日の某新聞のコラムを眺めていると、「サンマ」の文字が目に飛び込んできました。「サンマ」とは、子どもたちの遊びに欠かせない条件(環境)である「時間・空間・仲間」(三間)のことです。筆者は、「サンマを上手に確保するつとめが社会にある」と結んでいました。「時間・仲間」が大切であることはもちろんのことですが、「空間」である諸施設も、子どもたちを育てる重要なファクター、いわば育成スタッフの一員であるということを再認識した、「こどもの日」の朝でした。

 今月号では、上の内容に関連して、我が幼稚園の諸施設をご紹介いたします。保護者の皆さまは、もうすでに園の施設についてはお馴染みですので、何を今さら、という感じを持たれていることでしょう。ポイントは、園長目線から見たネーミング。私の思いや願いをお汲み取りいただければ幸いです。ただし、以下のネーミングは、決して公式のものではなく、あくまでも私個人の表現であることを、予めお断りしておきます。どうか、しばしの間、松森ワールドにお付き合いください。

 まずは、正門。私は、「旅立ちゲート」と呼んでいます。正門に一歩足を踏み入れれば、そこは園児にとっては神聖な学びの場です。保護者の皆さまにとっても、正門での「行ってらっしゃい」は、新しい一日の始まりを意味していることでしょう。親子ともに覚悟を固め合う、厳粛なゲートなのです。バス通園児にとっては、バスの扉がそれに匹敵するのではないでしょうか。

 次は、正門から玄関までの通路。わずかな距離とは言え、子どもたちの一歩一歩は、親からの自立の象徴です。毎朝子どもたちは、その「自立ロード」を進んで、玄関にいる私の前に立ち、挨拶をします。「園長先生、おはようございます」と。

 玄関を入ると六角ホール。そこは、佼成学園幼稚園ならではの貴重な空間であり、登園・降園時には、仏さまとの出会いが待っています。たとえ短い時間ではあっても、日々の積み重ねは、きっと子どもたちの心を深めてくれるに違いありません。「仏さまプラザ」は、佼成の宝物です。

 少し進むと、左側に大きな窓。外から見ると、保育室に行く子どもたちの姿が目に入ります。子どもたちの中には、手を振って保護者の皆さまを見送っている子もいます。「絆ウインドウ」です。

 六角ホールから園庭までの遊歩道(?)は、  子どもたちにとって、最大の憩いの場、癒しの場です。「おさかなプロムナード」がぴったりですよね。降園時には、「おさかなさ~ん、ばいば~い」という子どもたちの明るい声が、園長室に響きます。子どもたちとの対話のきっかけを作ってくれる空間でもあり、私も頼りにしています。

 そして、その先が、いよいよ本園が誇るべき園庭です。「のびのびグラウンド」というネーミングはいかがでしょうか。広さは約3,500㎡。単純に園児数で割れば、一人あたりの面積は、約8.4㎡、つまり、約2.5坪=畳5枚分ということになります。この数字が広いか狭いかはそれぞれの感じ方に委ねるしかありませんが、一人の子どもが少なくとも4畳半以上のスペースをもっているのです。 

 ある日の入園説明会でのやりとりです。参加してくださった一人の保護者が、子ども以上に目を輝かせながら、「この園庭で遊ばせてもらえるのですか?」とのご質問。案内役の私は。即座に「もちろんです!」と応えました。その方は、園庭の広さに驚かれたこともあったでしょうが、それだけではなく、この園庭で展開する子どもたちの自由遊びや、運動会などへの期待が込められている一言であると、即座に私は感じました。

 保護者の皆さま、そして、私たち保育者にとって愛しい存在の子どもたちが、この園庭で思う存分遊んでいる姿を想像するだけでも、ワクワクドキドキ感が高揚してきます。先達から賜った広い園庭、これからも未来に受け継ぐべきものとして、大切に育てていかなければなりません。

 今夏、創立60周年記念事業の一つとして、園庭整備工事を予定しております。リニューアルする園庭が、気力・知力の源となる体力(基礎的運動能力)の向上を、子どもどもたちにプレゼントしてくれることを夢見て、真摯に取り組んでいかなければ、との思いを強くしております。

 最後に、保育室。もちろん…「天使ルーム」です。可愛い子どもたちの笑顔を思い浮かべれば、ネーミングの理由は、言わずもがな…、ですよね。

今月の松森ワールド、これにて終幕です。最後までお付き合いくださり、ありがとうございました

松森憲二拝

園長の「給田だより」(2014年5月号)

2014/05/01 9:00:00

「5月は“ギュッと抱きしめて”の月!」
  ~それぞれの“母と子の物語” ~

 つい先日卒園したばかりのKちゃんのお母さまが、卒園式前のある日、お礼のお手紙を手渡してくださいました。以下は、その中のごく一部です。

 最初の数ヶ月は子どもも私も不安でいっぱいで、子どもが泣きながら行けば私も泣き、喜んで行くようになれば、それはそれで複雑な気持ちで泣いていた事を思い出します。今まで自分からは離さなかった手を、子ども自ら離し、こちらをふり返らずに入って行ってしまった後ろ姿は忘れることができません。「この子はこれから、私の知らない、自分の世界を作っていくんだ。」と思うと、成長の嬉しさと、何とも言えぬさみしさで、園まで送った帰り道を泣きながら帰りました。不安だった毎日も、優しい先生のおかげでいつの間にか子どもは幼稚園が大好きになり、私も安心して過ごすことができるようになりました。

 ありのままに表現された思い。母心(ははごころ)を教えていただく、貴重な宝物となりました。   

 新年度が始まり、徐々に慣れてきている子どもたちが多くいる中、何人かのお子さまは、正門前や玄関で、涙と泣き声のドラマを展開しています。新学期定番の風景と言えばそれまでですが、私は「ああ頑張っているなあ。子どもにとっては、泣くのが仕事。こうやって思いを伝えながら、少しずつ親離れしていくんだなぁ」と、子どもたちを見つめています。それと同時に、「いつかは必ず、後ろを振り向きもせず、幼稚園に入って行くようになります。あと少しですからねぇ」と、お母さま方の背中にエールを送っている今日この頃です。   

 やがて迎えるゴールデンウィーク、私たちにとっては、何と言っても「こどもの日」がメインということになるでしょう。皆さまはご存じでしょうか?「こどもの日」が、「こどもの人格を重んじ、こどもの幸福をはかるとともに、母に感謝する」趣旨で設けられている、ということを。母と子の深い絆を感じずにはいられません。

 話は少しばかり遡りますが、園長就任直前の平成24年3月、事前準備のために登園した私は、その日たまたま実施されていた、教職員対象の「安全教育セミナー」に参加いたしました。しばらく経って、残されたメモ書きを、何気なく見ていると、そこには「ギュッと抱きしめて」という走り書きがありました。それは、「親子の触れ合いこそが何よりも大切で、しっかり抱きしめてあげることが子どもの安心感につながり、その後の危ない行動への歯止めになっていく」というメッセージだったのです。メモを見た瞬間、まるで啓示でもあったかのように、すぐに歌詞とメロディーが同時に浮かんできて、忘れないように必死で書き留め、できあがったのが、次の曲です。

ママの歌 

ギュッと抱きしめて

作詞・作曲 給田育孝

 

あなたに出会った あの日から
思いはずっと 変わらない
あなたのいのちは 私のいのち
ギュッと抱きしめて ほほえみかわす

  あなたの心が 見えなくて
  悔しい日々も あるけれど
  あなたの願いは 私の願い
  ギュッと抱きしめて 涙をぬぐう

 あなたの輝き まぶしくて
後ろ姿が 誇らしい
あなたの未来は 私の未来
ギュッと抱きしめて 幸せ祈る

  ギュッと抱きしめて 幸せ祈る

 通勤途中の一人アカペラで、歌い込みは万全(?)です。因みに、給田育孝(きゅうでん・やすたか)は、私のペンネームで、平成24年4月に姓名鑑定に基づき、自ら命名いたしました。その意味するところは、「給田で つ子どもは 親行」。何と私に相応しい、素敵な名前なんでしょう! (自画自賛そのもの? …その通り!)

 ところで、私のカラオケの十八番(おはこ)は、グレープ(さだまさし)の「無縁坂」。締めくくりの歌詞は、「ささやかな僕の母の人生♪」。私事で恐縮ですが、松山の施設に父と共に入所している83歳の母。宣告を受けた胃癌の進行が、少しでも遅いことを念じつつ…。合掌    

松森憲二拝

園長の「給田だより」(2014年4月号)

2014/04/01 9:00:00

「日本一の幼稚園に!」
  ~ 毎日が三感日(?) ~

 いよいよ、平成26年度のスタートです。園長として3年目(年長さん?)の今年、佼成学園幼稚園は、創立60周年を迎えます。私事ながら、私も幼稚園と同じ年齢に達します。佼成学園創立者で、立正佼成会開祖の庭野日敬師は、「“事の成就は六十歳から”というのが私の信条です」と述べておられます。個人として特別な感慨はないのですが、園長として、今成就しなければならない「事」を自らに問いかけたとき、真っ先に浮かんでくるのは、やはり「園児や保護者の皆さまに喜んでいただける幼稚園づくり」というミッション(使命)です。始業式の日に、私は決意をもって、皆さまの前で、あるメッセージを発信します。それが、「佼成学園幼稚園 日本一宣言!」です。

 その中身は、創立60周年を契機に、「日本一の教育環境で、子どもたちに日本一の保育を提供し、保護者から日本一信頼される幼稚園」を目指す、というものです。「日本一」とは、必ずしも比較相対的な評価ではなく、園にご縁のある一人ひとりが、「佼成学園幼稚園は日本一である!」と思えるかどうか、の問題です。無限の可能性にチャレンジできた園児の達成感、子どもの成長を実感できた保護者の満足感、最高の保育を提供できた保育者の充実感、この三つの「感」が、佼成学園幼稚園を「日本一」に導いてくれる、と思います。因みに私は、三つの「感」の具わった日のことを、「幼稚園の三感日(さんかんび)」と名付け、朝は、三感日とすることを誓い、夜は、三感日であったかを省みながら、歩んでまいります。

 「日本一」の「一」は、「一流」の「一」であり、「唯一」の「一」です。First Class、そして、Only Oneの保育を、とことん追求してまいります。

 ところで、保護者の皆さまには、それぞれ座右の銘がおありのことと思います。私にも私自身を鼓舞してくれる言葉がいくつかありますが、そのうちの一つが「本気」(もちろん「ほんき」と読むのですが、「まじ」と読んでいただいても構いません。)です。その裏付けとなっているのが、以下の3編の詩です。「日本一!」に向かおうとする、私の本気度100%をお察しください。

本気         坂村真民

本気になると
世界が変わってくる
自分が変わってくる
 変わってこなかったら
 まだ本気になっていない証拠だ
本気な恋
本気な仕事
 ああ
 人間一度
 こいつを
 つかまんことには

 「こいつを つかまんことには」の部分には、大いに勇気づけられます。こいつ(本気)さえつかめれば怖いものなし、なのですから…。

本気        相田みつお

なんでもいいからさ
本気でやってごらん
本気でやれば
たのしいから
本気でやれば
つかれないから
 つかれても
 つかれが
 さわやかだから

 何事も楽しく取り組んでいくことの大切さは、万事に通じるものであり、常に心しておきたい、と肝に銘じています。

本気         後藤静香

本気ですれば
たいていな事ができる
本気ですれば
なんでも面白い
本気でしていると
だれかが助けてくれる
人間を幸福にするためにも
本気で働いているものは
みんな幸福で
みんな偉い

 「だれかが助けてくれる」の「だれか」とは、言うまでもなく、天使のような園児たち、親愛なる保護者の皆さま、そして、頼りがいのあるすべての教職員スタッフであると、私は固く信じております。 Do  my best !    

松森憲二拝

園長の「給田だより」(2014年3月号)

2014/03/01 9:00:00

「傷つきやすい、天使の心」
  ~ 後援会ポストの声に導かれて ~

 「保護者との連携と協調」、私が園長就任時に心に刻んだ抱負の一つです。縁ある方々から「今どきの保護者は大変でしょう…。クレイマーとか、モンスターとか…」とたまに言われますが、私は、「いや、保護者はパートナーであり、サポーターですよ」とお応えしております。どの学校も保護者との関係は重要ですが、特に幼稚園は、保護者との密接な連携なしに運営することはできません。

 保護者と園とをつないでくれる後援会ポスト、当初より私は、次のように考えてきました。

・ポストのご意見は、すべて「幼稚園を良くしたい」という“思い”があってこそのものであること。

・たとえ匿名の一通であっても、その声の背景には、同意見の方が多数おられること。

・できる限り真摯に対応し、お応えできない場合には、その理由を明確に回答すること。

 昨年の秋、立て続けに2通のお手紙をいただきました。何と嬉しいことに、その2通は署名入りだったのです。園を信じてくださればこその投書であること、そして直接お礼できることに、私は歓喜いたしました。詳細は省きますが、1通は「写真業者に対する要望」で、もう1通は「バスの運行が困難な際の“自由登園”を求める」内容でした。後日、葉書ではありましたが、お二方には感謝の気持ちをお伝えすることができました。

 1月23日、後援会役員の方から、後援会ポストに入っていた匿名の方(Pさんと呼ばせていただきます)からのお手紙をいただきました。以下、その全文です。


園長先生

 2014年1月号の「給田だより」を拝読しました。その中で児童精神科医の講演の内容が書かれていましたが、今の時代の父親の子どもとの関わりにずいぶん反しているように感じました。私も妻もお互い仕事をもっているからかもしれませんが、子どもに対してはお互いに愛情を持って役割を分担しています。「父性=厳しさ」と位置づけされている点でずいぶん時代を逆行した思想に思われます。園長先生のお立場から、もう少し現実をみてご判断されてはいかがですか。以上


(太字は、松森による。)

 私は、Pさんからのメッセージを手にして、次のような感想を抱きました。

 まず、後援会ポストに「給田だより」に関するコメントをいただけたこと、特にお父さまからのものであったことを、大変嬉しく思いました。それは、何よりも「給田だより」を読んでいただけている証拠であり、また、お父さま方と「子育て」に関する話し合いができるチャンスを与えていただいた、という思いがしたからです。

 さらに、文面からすると、P家では私が願っている「子育て」が展開していることが垣間見られ、そのこと自体を有り難く思いました。

 しかし、多くのお子さま方を責任もってお預かりする立場にある園長の考え方に、いささかでも疑問を抱かせてしまったとしたら、それは申し訳ないことであり、3月号で改めて私の思いを、保護者の皆さまにお届けすることにいたしました。お伝えしたいポイントは、先のお手紙の太字部分の二箇所です。

 1月号を読み直していただくお手間を省くため、重複を承知の上で、指摘していただいた点に関連する文章を、以下に再掲いたします。(特に関連する部分を、太字にいたしました。)


 「幼稚園のときに」の文字にすぐにピンとくるのは、佐々木正美氏(児童精神科医)の講演で聴いたあるメッセージです。「幼児期に必要なのは母性でしょうか、それとも父性でしょうか?」という問いかけに対し、「バランスがとれていること」という模範回答(?)を用意していた私は、次の瞬間、佐々木氏から衝撃のことばを耳にしました。「幼児期に必要なのは100%母性です。当分の間、父性は必要ありません。父性の出番は、もう少し先になってから」。氏の趣旨は、幼児期には母性によってしっかりと基本的信頼感が培われなくてはならない。そうでないうちに、父性による厳なるルールなどが入り込んできても、それは形式だけに終わってしまうばかりか、かえって害になる、ということであると、私は理解しました。氏の説得力もさることながら、普段子どもたちに触れている身として、すぐに「ガッテン」したのです。

 「ちょっと待った!ならば、幼稚園年代の父親はどうしたらいいのだ」とのクレームが、育メンのパパ、そしてママからも聞こえてきそうです。「ちょっと待った!佐々木氏は、決して父親は必要ない、と言っているのではなく、今は父性は必要ないと言っているだけ」なのです。(話を分かりやすくするために、本稿では「父性=厳しさ」「母性=優しさ」として話を進めます。)本来優しさは誰にも具わっているのですから、父親にも母性はあります。父母が協働してそれぞれの母性を発揮し、子どもたちの心に絶対的安心感(それはやがて「自己肯定感」につながっていく)を育てていくことこそが、保護者にとっての「今でしょ!」なのです。そして、私たち保育に携わる者にとってのメインテーマでもあるのです。


  まず、一点め。私の書いた文章によって、現代のお父さまが、かつてのガンコ親父的なイメージで子どもに接している、あるいは接すべきであるというメッセージとなって伝わっているとすれば、それはひとえに私の表現力の稚拙さであり、誓って私の本意ではありません。

 僭越ながら、佐々木氏は、臨床医としての豊富な経験の中から、問題行動が見られる子ともの事例研究の成果として、上の文章中の趣旨を述べられたのではないでしょうか。あくまでも憶測の域を出ませんが…。蛇足ながら、佐々木氏は、決して父親・母親と言っているわけではいるわけではありませんので、念のため。

 私自身も、現代のお父さま方が厳しさ一辺倒で子育てしておられるとは全く思っておりません。園の行事にご参加くださるお父さま方の様子からも、 Pさんのように、愛情を持って子どもに接しておられるお父さま方がたくさんいらっしゃることをよく承知しております。

 そうであるならば、「園長は、なぜ父性のことを取り上げたのか?」と疑問を抱かれることでしょう。実は、1月号の原稿を書く直前、私は、あるお子さんの教育(保育)方針について、そのご両親とお話しする機会がありました。お父さまは、その子を  かなり厳しく躾けておられるように見受けられましたので、私は「褒めてあげること、優しく接してあげること」の大切さをお伝えし、そのような触れ合いを家庭でもしていただけるようお願いいたしました。そんな矢先だっただけに、私の問題意識は、  父親(母親も含めて)による厳しい躾のあり方に向いていたのです。数少ないケースとは言え、私は、佐々木氏の説に倣い、幼児期の親子のあり方に一つの警鐘を鳴らしたかったのです。

 余談ですが、前任校で出会ったMは、情緒に不安を抱えた女子学生でした。幼いころからご両親に厳しく育てられたようで、本人の話によると、お母さんが寝静まってから、お母さんの布団に潜り込み、お母さんの背中から抱きついていた、という話を聞いたことがあります。きっと優しさに飢えていたのでしょう。「子育て」について考えるとき、いつもその子のことが、脳裏に浮かびます。

 二点めについてですが、1月号で私は、肝心なことを簡略に表現してしまったことを反省しています。しかし、その意味している内容については、時代を超えて変わらないもの、と思っています。

 以下は、菅原裕子氏『お父さんだからできる子どもの心のコーチング』(PHP文庫)からの引用です。

「母性」は母親という意味ではなく、母なるものに象徴される温かさ、やさしく包みこんで安心感を与えてくれるもの、甘えを受け入れ依存させてくれる存在を意味します。

「父性」は、父親という意味ではなく、父なるものに象徴される存在です。

甘えを断ち切り、世間において一人の人間として、自立して暮らすために必要なことを伝える存在です。社会の規範や倫理的なもの、つまり人として何がよくて何が悪いかを教えるものです。

愛情いっぱいに育てるべきか、厳しく育てるべきかという議論がありますが、子育てにおいてそのどちらかというのはナンセンスです。

一人の人を育てるためには、愛情いっぱいの母性と、悪いことは悪いと言う厳しい父性の両方があって初めて、バランスのとれた人格を育てることができるのです。

 上にもあるとおり、子育てに「母性」と「父性」は車の両輪のようなものです。厳しさに象徴される「父性」を欠いてしまうと、社会性の乏しい人間に育ってしまいます。ただし、その「父性」が真に発揮される時期は幼児期ではなく、もう少し先(と言っても、あっという間にその時はやってきますが…)のことなのです。子どもの様子を見ていて、「今厳しく躾けなければとんでもないことになってしまう」とお考えの方がおられるとしたら、しばらく待ってあげてください。決して見逃すことをお勧めしているのではありません。厳しくではなく、優しく諭してあげてほしいだけなのです。

 親子間のコミュニケーションが難しくなる思春期こそ、まさに「父性」の出番です。優しさに包まれた幼児期を過ごした子どもは、幼児期に培われた親子の信頼関係に裏づけられて、人生の一大危機を上手に乗り越えていくことができます。

 最後に、Pさんへ。今の私の率直な思いを書かせていただきました。よろしければ、またお便りください。お待ちいたしております。   

松森憲二拝

園長の「給田だより」(2014年2月号)

2014/02/01 9:00:00

「夜が明けると朝が来る!」
  ~ のぼる太陽を拝みながら ~

(大変遅ればせながら)皆さま、あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いいたします。

 子どもたちとの触れ合いの中で、園長としてぜひとも、と願っていることの一つが、各クラスごとの「1学期に一度のランチタイム」です。今年度は、1・2学期と続けることができましたので、3学期も年明けから楽しみにしています。

 ランチタイムの「いただきます」のご挨拶のあと、子どもたちはどんな動きをするか、ご存じでしょうか?お弁当の中身を示して、「園長先生見て!」と大合唱が始まります。一人ひとりのお弁当を眺めながら、私は、「おいしそうだねぇ」と応えます。決して社交辞令ではありません。本当に食べたくなるようなお弁当のオンパレードなのです。卵焼き・ウインナー系男子(?)の私にとっては、むしろ目の毒かもしれません。「一口食べたい」なんて衝動にかられていることを、気づかれないよう必死です。中には育メンパパの手作り弁当もあるかもしれませんが、大半はママが作ってくれた美味しいお弁当。“お弁当自慢はママ自慢”だということを、私は知っています。私にとってのランチタイムは、母子の情愛を実感させてくれる至福のひとときなのです。

 さて、ここでクイズです。ママが作ってくれるお弁当、中身はそれぞれであっても共通の栄養素(ビタミン)が含まれています。それは何でしょう?  ~Thinking time~

 正解は…、「ビタミンI(愛)」です。

 人の身体は、その人が食べたものによってつくられます。精神も同様です。ママの作ってくれる愛情たっぷりのお弁当が、子どもたちの健全な身体と精神を育てるのです。子どもたちには、ママのお弁当の味をいつまでも忘れないで、と願わずにはいられません。

 ところで、この原稿の締切日である1月17日の朝、こんな出会いがありました。年中組のAちゃん、いつものようにバスから降りて私の前に立ち、「園長先生、おはようございます」の一言。ところが、すぐに立ち去りません。その後の言葉、「あけましておめでとうございます」。一瞬「?」。何日か続いているので、彼女にとっては、どうしても言いたい言葉なのでしょう。躾が徹底されているのか、あるいは、本人にとってよほど心地良い言葉なのかと思いつつ、私は心の中で「気の済むまで言っていいんだよ」とつぶやいていました。と同時に、こんな考えも浮かんできました。「待てよ。その言葉は、毎朝言っても別におかしくはないのではないか。だって、夜が明けて朝はやってくるのだから…」と。

 玄関でのお迎えの後、園長室で、立正佼成会会長で佼成学園学園長である庭野日鑛先生のご著書『こころの眼(まなこ)を開く』を手に取り、次の一文を見つけました。

 朝、目が覚めたら生かされていた!という、その喜びと感謝をこめて、家族や隣人に「おはようございます!」と笑顔で挨拶するとき、その日一日を明るく生きていく第一歩が、そこに印されることでしょう。

 「喜びに満ちた状態」を、「めでたい」というのですから、夜が明けて朝が来て、そのことに喜びがあるのならば、毎朝、「あけまして おめでとう」と言っても不思議なことではないのだ、というのが私の結論です。ただし、その前に「新年」さえつけなければ…。

 こんなことを書くと、園長は大丈夫かと、心配の声が聞こえてきそうです。どうか、ご安心ください。“毎朝「おめでとう」と言おう”を提唱するつもりなど毛頭ありません。あくまでも、気持ちの問題を言っているのです。

 毎日毎日、子どもたちの純真な心に触れていると、いわゆる世間の常識から乖離(かいり)してしまいそうな気もいたします。しかし、私はむしろ積極的に、純真の海に浸り続けることを望んでいます。

 今年一年、その海からのぼる太陽の光を拝みながら、感謝の気持ちを忘れず、おめでたい日々を過ごしたいと願っております。佼成の子どもたち一人ひとりが太陽であることは、言うまでもありません。  

松森憲二拝

園長の「給田だより」(2014年1月号)

2014/01/01 9:00:00

「真の“マチガイ”のために!」
  ~母性は性を超えて ~

 当然のことながら、職業柄「幼稚園」という文字に敏感になっている私は、壮年向け雑誌『ダーナ』(佼成出版社刊)の「リーダーとは、幼稚園のときに教わったことをやりとげる人」というタイトルに目を奪われました。以下、佐々木常夫氏(東レ経営研究所特別顧問)の掲載文の一部です。

 私は東レの若手社員に、「礼儀正しさ一本でリーダーになれる」と言ってきました。リーダーというのは、幼稚園のときに教えてもらったことがきちんとできる人です。

 「人に会ったらきちんとあいさつする」「みんなと仲よく遊ぶ」「仲間はずれをつくらない」「うそはつかない」「間違ったことをしたら勇気をもってごめんなさいと言う」――。

 でも、こういうことを愚直なまでにできる社会人はなかなかいません。

 この文章を読み、「我が意を得たり」の思いが高揚してきました。幼稚園年代は人生の基盤づくり、とよく言われますが、ビジネス界のオピニオンリーダーが、幼稚園の果たす役割の重要性を証明してくれたのですから、嬉しくないはずはありません。「幼稚園のときに」というのは、「幼稚園で」「幼稚園時代に家庭で」の両方を意味しているはずです。子どもたちを未来に送り出す保護者、保育者の責任の重さを、改めて認識いたしました。  

 「幼稚園のときに」の文字にすぐにピンとくるのは、佐々木正美氏(児童精神科医)の講演で聴いたあるメッセージです。「幼児期に必要なのは母性でしょうか、それとも父性でしょうか?」という問いかけに対し、「バランスがとれていること」という模範回答(?)を用意していた私は、次の瞬間、佐々木氏から衝撃のことばを耳にしました。「幼児期に必要なのは100%母性です。当分の間、父性は必要ありません。父性の出番は、もう少し先になってから」。氏の趣旨は、幼児期には母性によってしっかりと基本的信頼感が培われなくてはならない。そうでないうちに、父性による厳なるルールなどが入り込んできても、それは形式だけに終わってしまうばかりか、かえって害になる、ということであると、私は理解しました。氏の説得力もさることながら、普段子どもたちに触れている身として、すぐに「ガッテン」したのです。

 「ちょっと待った!ならば、幼稚園年代の父親はどうしたらいいのだ」とのクレームが、育メンのパパ、そしてママからも聞こえてきそうです。「ちょっと待った!佐々木氏は、決して父親は必要ない、と言っているのではなく、今は父性は必要ないと言っているだけ」なのです。(話を分かりやすくするために、本稿では「父性=厳しさ」「母性=優しさ」として話を進めます。)本来優しさは誰にも具わっているのですから、父親にも母性はあります。父母が協働してそれぞれの母性を発揮し、子どもたちの心に絶対的安心感(それはやがて「自己肯定感」につながっていく)を育てていくことこそが、保護者にとっての「今でしょ!」なのです。そして、私たち保育に携わる者にとってのメインテーマでもあるのです。

 「児童虐待なんて全く無縁だ」とお考えの方がほとんどのことでしょう。身体的虐待、性的虐待、ネグレクト、心理的虐待の4種類の「虐待」の中でも、私が特に問題意識をもっているのは、心理的虐待の典型例である「言葉による暴力」です。

 絶対的力関係が存在する親子関係。言う側は案外気がつかないものですが、言われる側の精神的圧迫感、ダメージは相当のことでしょう。例えば、間違いを正すために、きつく言ってそれで収まったと喜んでいるのは親の側であって、弱者である子どもの側には、大きなストレスが心の奥深くに潜んでいってしまうという危険性があることを、我々大人は心しておかなければなりません。   

 問題行動をとる青少年の多くが、3歳~10歳の時期に「親から愛されなかった」という思いでいた、という事実をご存知でしょうか。子どもの心には、厳しい言葉と怖い表情しか残っていないのですから、無理もありません。後になっていくら「愛していた」と叫んだところで、後の祭りです。お父さんお母さん、お願いですから、厳しさはもう少し先に待ってもらえませんか。さもないと、取り返しのつかない「間違い」を犯してしまうことになります。近い将来、父性の出番がやってきたとき、きっと「待ち甲斐」があったと思うはずです。二つのマチガイには、雲泥の差が…。

 子どもたちの心の叫びの代弁者として、少し脅迫じみてしまったかもしれません。ゴメンナサイ。でも…、本当のことですから…。  

松森憲二拝

園長の「給田だより」(2013年12月号)

2013/12/01 9:00:00

「R君が教えてくれたこと」
  ~“素直さ”に関する一考察~

 1月15日、世私幼のPTA大会がありました。佼成学園幼稚園からは60名を超えるお母さま方がご出席くださいました。同大会での私にとってのハイライト、それは第一部の最後に発表されたPTA連合会による「大会宣言」でした。共感をもって、その前半部分を転記いたします。

大 会 宣 言

「将来の宝」と言われる子どもたちが、幼児期において適正な環境のもとで、温かい愛情で見守られ、「安心して」「明るく」「楽しく」「有意義」な幼稚園時代を過ごしていけることを、私たち保護者は願っております。

子どもが育つとは、「人」としての生き方を身につけていくことです。つまり、自分のことが自分で出来る、他者との間で良好な関係が持てる、感情や情緒面が安定し思いやりが育まれ、自身を律していく力が備わり、貢献しようとする心が育っていくことなどです。

幼児期は、人格形成の土台、まさに人間性が培われていく代えがたい時であり、日々の生活や経験から健全な育ちが保証されていくべき大事な時期といえます。

私たち保護者は、「子育て」の意義とその充実感を実感しながら、家庭でのしつけ、親子の絆を大切にした子育てに努力しています。(後略)

 (※下線は、松森による。)

 身につける「人」としての生き方、あるいは培われるべき人間性とは、一体何でしょうか?いろいろ考えられる中で、あえて一つに絞るとすれば、私は「素直さ」だと信じています。

 ある朝、年少組のR君が玄関にやってきました。いつものように私の前に立って、「園長先生お早うございます」と言うのか、と思いきや…。何も聞こえてきません。彼の口は開かれていませんでしたので、私は右耳に手を添えるポーズをとって、「聞こえないよ」と言いました。こうした場合によくあるのは、いけないと思って、「お早うございます」と言い直してくるパターンです。ところが、R君は違いました。すぐに返ってきたのは、「言ってないよ」という言葉でした。私は一瞬、あっけにとられてしまいました。しかし、すぐに「そりゃ、そうだ」と気を取り直したのです。

 挨拶できることは、もちろん大切なことです。トレーニングとして、その場で挨拶を促すことの意義は大きいと思います。ただし、このR君とのやり取りに限って言えば、指摘して挨拶させることが果たして得策なのか、疑問です。挨拶の言葉が出なかったのには、きっと何らかの事情があったのでしょう。ですから、私の「聞こえないよ」という問いかけに対する彼の「言ってないよ」という回答は、彼にとってはごく自然の応答なのです。R君の素直な反応、それは、私の中にある「相手に要求する心」を見透かした、きれいな「一本勝ち」です。まさに「参った!」という心境でした。しかし、その時感じた何とも言えないすがすがしさは、今も私の心に残っています。子どもたちとの触れ合いの中に、この感覚を大事にしていこう、とその時思いました。

 ところで、「素直な心を育てよう」とよく耳にしますが、素直さに関して言えば、果たしてその表現は適切なものなのでしょうか?「子どもたちがもともと具えている素直な心を、徒に傷つけない」、換言すれば「今あるものを壊してはならない」「ありのままを受容する」ことに留意すべきなのではないかと、私は思っています。

 大人はつい「上から目線」で、子どもに対し「あれをしなさい、これをしなさい」と口出しします。もちろん期待を込めてのことであり、一概に否定されるものではありません。しかし、できないときの「どうしてできないの?」という言葉は、子どもに相当なプレッシャーをかけ、ストレスを与えているはずです。(もし、子どもにストレスなんて、という考えの方がおられるとしたら、それはとんでもない認識不足です。子どもにだってストレスはあるのです。)さらに追い打ちをかけるように「何でできないの!」が繰り返されていくと、子どもの心に芽生えるのは、「自己嫌悪感」「関係拒否感」「気力喪失感」という「心の痛み」です。

 素直さは、手を加えるものではなく、そっと見守っていくものである。私からのメッセージ、  素直に受け取っていただけますか? 

松森憲二拝