トピックス

給田だより

園長の「給田だより」(2015年9月号)

2015/09/03 9:56:59

「園の風は、優しく、そして仲良く!」 ~ お手本にならなきゃね! ~

今日の一日元気よく 正しい良い子になりましょう

今日の一日元気よく みんな仲良く遊びましょう

佼成学園幼稚園の園児、そして保育者が毎日唱えている「やくそく」です。皆さまもご存じのとおり、佼成の「宝物」とも言うべき大切な言葉です。子どもたちに合わせた表現ですが、その真精神は、子どもたちの育成に関わる大人たちにとっても、口にし、身に行い、心に留めるべき「指針」である、と私は思っております。

ところで、佼成学園幼稚園の理念・方針に賛同し、愛しい我が子を送り出してくださっている保護者の皆さまにとって、この言葉はどのような意味をもっているでしょうか?なぜこのようなことを書くのかと言えば、佼成学園幼稚園の園長に就任して4年目、今年ほど「“佼成”とは一体何なのだろう?」と、深く考えさせられたことはないからです。というのも、時折私の耳に入ってくる信じ難い情報に、私自身の心は揺さぶられています。その情報とは…。

「佼成の保護者同士なのに、バス停で挨拶 しても無視された」、「クラスのさまざまな連絡をしても、ママ友との繋がりを極端に避ける 人がいる」…等々。保護者間の協調も、「保育の質」を高める大切な要素の一つであると固く信じている私には、大変残念でなりません。保護者間のぎくしゃくした話を聞く度に、「これが“佼成”と言えるのだろうか?」という疑問が、私の脳裏に浮かびます。疑問というよりは、むしろ困惑、あるいは苦悩という表現の方が、私の心情に近いかもしれません。「“佼成”の目指すもの」との違和感を感じてしまうのです。

では一体、「“佼成”の目指すもの」とは何でしょうか?私は、その答えを、「佼成」という園名に求めたいと思います。「名は体を表す」と言いますから…。

「佼成」という熟語は、一般的にはあまり馴染みのないものでしょう。しかし、その意味は、「人と人との交わりをとおして人格完成を目指す」というとても“深イイ”ものなのです。年長組園長懇談会で披露した『紙芝居開祖さま』(園の創立者庭野日敬先生のご生涯の物語)の中に、「佼成」とは、「人を尊び、喜ばれる人間になれるよう、みんなで学びあうという意味です」との説明がありました。表現の仕方はさまざまであっても、「人と人とのより良き交わりこそが人生である」ということを示唆していると、私は受け止めています。その精神を生かしつつ、幼児に相応しく表現したものが、冒頭の「やくそく」に他なりません。

「佼成」の「三種の神器」と言えば、広い園庭・室内温水プール・きれいな園舎が定番ですが、これらは「目に見える佼成」。私が強調したいのは、「目に見えない佼成」の大切さです。 「目に見えない」ものとは、人々が生み出す雰囲気(=空気)のことです。「空気が動くと風になる」と言いますが、小・中学校に「校風」、会社に「社風」があるように、幼稚園には「園風」があり、子どもたちはその園風によって育まれていくのです。

園長である私の使命は、園児一人ひとりが、他の人とのコミュニケーションをとおして交流を深め、互いに学び合い、他の人の思いがわかるような人間を育てること、にあります。その使命の遂行には、絶対的な必要条件があります。それは、子どもたちを取り巻く大人たち自身が、「佼成」に相応しい空気を作りだしていくことです。子どもたちは、私たち大人が醸し出す空気をも吸い込みながら日々の生活を送っているのです。保育者と保護者の責任は、決して軽いものではありません。

大人である私たち保育者同士、保護者同士、保育者と保護者との交流がより良く保たれていることによって、子どもたちの「やくそく」は実のあるものになるのです。 

いよいよ、充実の2学期の始まりです。可愛い子どもたちのためにも、保護者と保育者とが手を携えて、いつでもどこでも、「佼成」という誇るべき良き風を子どもたちに注いでいけますよう、皆さまのお力添えをお願いいたします。

今日の一日機嫌よく 優しい大人になりましょう

今日の一日機嫌よく みんな仲良く過ごしましょう(大人版の「やくそく」です。) 

松森憲二拝

園長の「給田だより」(2015年7・8月号)

2015/07/01 12:22:32

「“祖父性”に目覚めて」  ~ 目の中に入れても痛くない! ~ 

 私事で恐縮ですが、5月18日の12時24分、私は念願の“リアルジイジ”になりました。長男夫婦に無事、第一子が誕生したのです。我が家にとっては、80年ぶりの女の子。時節柄か、浮かんだ川柳が、「王室の次は我が家のプリンセス」。誕生から約1か月が経ちましたが、我ながら驚くくらい、そして恥ずかしいくらいに、初孫への思いは日に日に募っております。長男とは別所帯ですので、毎日会うことはできません。それだけに「今頃どうしているのかな?」「おっぱいはちゃんと飲めているのかな?」という気持ちが湧き上がってくるのは、自分でもおかしいくらいです。「孫を愛おしいという気持ち」を“祖父(母)性”と呼ぶならば、私は間違いなくそれに目覚めて しまいました。我が子誕生のとき、「我が子愛お  し」という感情があったことは間違いないはずですが、その後の成長過程でさまざまなことがあり過ぎて、その感覚を忘れてしまっていたのかも しれません。もしかしたら、今の年齢だからこそ湧き上がってくる感情なのかもしれません。加えて、幸いにも過去3年間、可愛い園児たちとの  交流があったことが、私自身の祖父性の開発をより深くしてくれたのかもしれません。いずれにせよ、孫とは無条件に可愛い存在であります。「目の中に入れても痛くない」という慣用句に、思わず「ガッテン!ガッテン!」、です。

 初孫の誕生は、私の中に眠る、何とも言えない甘酸っぱい感情を引き出してくれましたが、それのみに止まりませんでした。園長としての心境や心構えにも、変化を与えてくれたのです。 

第一に、園児たちを眺める気持ちが大きく変化いたしました。具体的には、全園児に対し、「大きくなったねえ」と思うのです。入園して  3年目の年長さんたちに対して、「大きくなったねえ」と声をかけることはよくあります。しかし、年少さんに対して「大きくなったねえ」とはほとんど言いません。でも、今は違います。年少さんに対しても(身長の低い年少さんにさえも)、思わず「大きくなったねえ」と声をかけたくなってしまう心境でいるのです。それは、生後1週間の孫を両腕に抱き、一か月検診を待つ孫の実情を 垣間見たからだと思います。考えてみれば、物言わずただ泣くことが仕事の赤ん坊が、4年も経てば、「○○組、○○○○です。4歳になりました」と多くの人々の前で自己紹介することができるようにまでなるのですから、これはまさに「奇跡」としか言いようがありません。“人間の いのちの不思議さ”、“目の前に存在しているそのままの貴さ”、そして“母親の存在の偉大さ”を、いま痛感しています。

二つ目は、園長としての日々の心構えです。私は、約20年間、18歳~22,3歳の女子学生を  教育し、社会に送り出す立場におりました。その前職から転じた幼稚園は、まるで別世界。男女を問わず、園児たちの可愛いらしさは格別のものでした。1年目の運動会の際に、ある方が仰ってくださった、「天使に囲まれたお仕事ですねえ」というエールは、生涯忘れることはありません。純真な子どもたちは、私にとっても大切な宝物です。その認識は、園長に就任して以来今日まで、一貫して変わることはありません。

ならば、何が変わったのでしょうか?それは、我が孫に注ごうとしている同じ目線で、園児一人ひとりを見守っていきたい、という、今までとは若干ニュアンスの違う心構えです。もちろん肉親の情と、保護者の皆さんからお預かりしている園児への責任感は、当然異質のものであります。また、メロメロジイさんと教育機関の長との間に、一線を画さなければならないことは、十二分に 承知しております。しかし、初孫が引き出してくれたこの感情を、園児一人ひとりに注いでいきたいという気持ちが日に日に増してきているのは 事実です。孫誕生以来の私は、孫への視線と同じように、園児一人ひとりの瞳を見つめております。

そう思うようになった背景には、間違いなく、私の尊敬する人物の存在があります。その人物 とは、学校法人佼成学園の創立者、庭野日敬先生です。庭野先生は、立正佼成会初代会長であり、多くの方から「開祖さま」と尊称されていますが、私が「開祖さまのような人間になりたい!」と  思うようになったのは、20代前半の頃でした。 あるエピソードを耳にしたのがきっかけでしたが、そのときの感銘は非常に深く、その後の私の人生を大きく左右した、と言っても過言ではありません。そのエピソードとは…?

 昭和40年4月11日、開祖さまは盛岡市で行われたある大会にご出席になりました。その日は、季節外れの雪の日で、とても寒い日でした。開祖さまは、大会終了後、花束贈呈の7歳の少女K  ちゃんを控え室にお呼びになりました。開祖さまは、礼服であるフロックコートのボタンを外し、その子をコートで包み込まれました。そして、「ああ。寒かったろう。寒かったろう」と言いながら、コートの上から手でさすって温められたのです。その光景にじっと目を凝らしていた一組の夫婦がいました。Kちゃんの両親です。実は、当時、夫婦間にはトラブルがあり、父親は別居していたのです。開祖さまは、その事情をご存じではありませんでした。開祖さまの我が子に対する慈愛の姿を目の当たりにした父親に、予期せぬことが起こりました。何と、妻と娘に「俺が悪かった。許してくれ」と詫び、家に戻ることを約束したというのです。赤の他人である開祖さまが、我が子に注ぐ愛情に触れ、父親、そして母親は、親としての自覚を呼び覚まされたのだと思います。他人の子であっても、我が子と変わらぬ愛情で包み込まれる開祖さまは、巧まずして、その両親を本来あるべき姿に取り戻され、崖っぷち寸前の 一家を救いの道に導かれたのです。そのときの当時、開祖さまは58歳でしたから、いま思うと、“おじいさんと孫娘”の姿だったかもしれません。

 この話には、後日談があります。開祖さまとKちゃんとの運命的な雪の日の出会いから40年後、私は、東京でKちゃん、そしてKちゃんの子、つまり元のさやに収まった夫婦の孫に出会うことになります。その孫は、私の前任校である専門学校に入学し、2年間の学生生活を送ることになります。その学生の母親が、開祖さまから温かい手を差し伸べられたKちゃんだったのです。「開祖さまのような人間になりたい!」と思うきっかけとなった、私にとって忘れ難いお話のヒロインが、私の目の前に現れたのですから、そのときは本当に驚きました。オーバーな表現を用いるならば、歴史上の人物に出会った、かのような感激でした。

 開祖さまは、他人の子も我が子と同じ眼差しで慈愛を注ぐと書きましたが、本当にそうだったのでしょうか?私には、そうだったに違いないと確信できる根拠があります。それは、開祖さまの三女で、佼成学園幼稚園3代目・6代目園長である泉田佳子先生の「開祖さまは我が子も他人の子も同じように可愛いと思っていた」との言葉です。 

若き日の泉田先生は、父親である開祖さまに、肉親としての愛情を求めていました。しかし、多くの人々を救うために、「まず人さま」という 姿勢を貫かれている開祖さまは、家族以外の人々に目を向けている、としか、泉田先生には思えませんでした。そんな父親に対し湧き上がってくる感情が、「父なのに、何故!」という責める気持ちでした。泉田先生は、娘としての願いが叶わないならば、私は私の道を行く、とばかりに反発心を深めていきます。しかし、時を経て、ある思いに至るのです。「父は、我が子を可愛いと思っていないのではない。我が子も他人の子も 同じように可愛いと思っているのだ。我が子だけに愛情を、と願った私が、父の深い思いをわかっていなかったのだ」と。そう思えたとき、長年の父親に対するしこりは薄れ始め、「肉親である父」は、「師である父」へと昇華していったのです。

「我が子も他人の子も同じように可愛い」と、口で言うのは簡単です。しかしながら、実際には、  なかなかそうはいきません。どうしても、エゴ(自己中心の心)が働き、我が子だけが可愛い、となってしまいます。しかし、開祖さまは、決してそうではなかったのです。

 「開祖さまのようになりたい!」との憧れは、40年たった今でも道半ばです。しかし、その果てしない道のりを、開祖さまが創立してくださった佼成学園幼稚園で、一歩一歩前進させていただけている幸せを、いましみじみと感じています。   

初孫の誕生は、ジイジになれた喜びと同時に、園長としてこれから歩むべき道筋を与えてくれました。私の当面の精進目標、それは「目の中に園児入れても痛くない」(二代目求道)です。

 ※ママさんバレーの中間報告です!

6月16日開幕の世私幼バレーボール大会、佼成学園幼稚園チームは、リーグ戦第1戦、第2戦の  玉川、銀の鈴の各幼稚園を、ともに2-0で撃破、予選リーグ1位通過がほぼ見えてきました。  目指すは、最終日(26日)Aコート、最終試合での大勝利!女王の座も見えてきた!

松森憲二拝

園長の「給田だより」(2015年6月号)

2015/06/01 12:46:28

「君はいま何時?」  ~三つの「ゴールデンタイム」 ~

4月13日、「思いもよらぬ人」からの手紙が自宅に。差出人は…「10年前の私自身」。「拝啓この手紙 読んでいるあなたは どこで何をしているのだろう~」、アンジェラ・アキの『手紙~拝啓十五の君へ~』の世界です。その文面とは…。

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〈10年後の松森憲二へ〉2005. 9.14

2005年の松森憲二は51歳。2015年の松森憲二は61歳。芳澍とともに約20年間を歩んだ後、いまは何に情熱を燃やしているのでしょうか? 歌?旅?それとも他の何か?

 憲二得意の「君はいま何時?」によれば、61歳は午後8時20分、まだまだこれから!とにかく 健康で、何かにチャレンジしていてください。

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 「芳澍(ほうじゅ)」というのは、前任の専門学校の名称です。私はそこで、バレーボール部とともに芳澍ピースアンサンブルという吹奏楽部のお世話役をしておりました。2005年9月、ある団体の創立50周年記念式典に招かれ演奏したのですが、周年記念のプランの一つに、各自が10年後の自分へメッセージを書き、タイムカプセルで保存された手紙が10年後の自分に届くという「10年後の私へ」という企画があり、私たちも参加いたしました。すっかり失念していましたが、手紙には、見覚えのある筆跡が残されていました。
 当時の私は、10年後には退職し、何かの趣味に生きている自分自身を思い浮かべていたようです。
 「君はいま何時?」というのは、一生(便宜上72年間とする)を一日(24時間)と置き換えて、いまの自分は何時かを知ることで、人生のどのあたりを生きているのか、をイメージしやすい発想法のことです。具体的には、自分の年齢を3で割った答が、いまの自分の時刻と考えるのです。例えば、30歳ならば、30÷3=10ですから(午前)10時、40歳ならば、13と1/3ですから13時(午後1時)20分というわけです。したがって、手紙の中の61歳は、20と1/3で20時(午後8時)   20分というわけです。
 さて、紙上を借りて、10年前の私への返信です。

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〈拝啓~五十一の松森憲二へ~〉2015. 5.19

今日で予定どおり(?)、61歳になりました。私はいま、449人の可愛い子どもたちに囲まれ、佼成学園幼稚園での4回目の春を迎えました。「佼成」を選んでくれた子どもたちや保護者の 皆さまの期待に応えられるよう、「すべては園児と保護者の笑顔のために」をモットーに、「日本一の幼稚園づくり」のために情熱を燃やしています。
 
歌や旅の楽しみは、少しの間お預けですが、  昨年あたりから「川柳」を始めました。
 
健康面では、あちこちに多少のガタを感じながらも、子どもたちや保護者の皆さんとの触れ合いに喜びを感じ、気力充実、チャレンジの毎日です。

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私はいま、二つの意味で「ゴールデンタイム」を迎えていると思っています。
 一つ目は、放送業界用語としても定着している「ゴールデンタイム」。一日のうちの「19時から22時までの視聴率が高くなる時間帯」をそう呼びますが、20時20分の私は、「ゴールデンタイム」のど真ん中です。  
 二つ目の「ゴールデンタイム」は、「さまざまな物事を行うのに適した時間または限界を示す時間」のこと。言うまでもなく、幼児期は人間形成の基礎を培う大切な時期、そして子育て期は、親にとっては人生の充実期、どちらもかけがえのない「ゴールデンタイム」です。そして、そのどちらにも関与させていただいている私も、やはり「ゴールデンタイム」を過ごしているのです。
 そんな私がいま意識していること、それは第三の「ゴールデンタイム」、「目の前の一瞬」のことです。一瞬たりとも手抜きなどすることなく、そのときどきを一所懸命に生きている、それが子どもたちの特性です。子どもたちこそ、“いま”を生きる代表選手と言えましょう。私たち大人(保護者・保育者)は、未来を担う子どもたちの「心を育てる」ために、一瞬一瞬に全力を傾注していかなければなりません。4月号で述べた「目ペコリンと目二コリン」の実践は、私にとって待ったなしの真剣勝負。「ゴールデンタイム」の極致と、心しております。
 10年前の私への手紙が、「給田だより」6月号のモチーフになることを、いったい誰が予測した ことでしょう? 仏のみぞ知る!

松森憲二拝

園長の「給田だより」(2015年5月号)

2015/05/01 8:51:34

「○○したがる子どもたち!」 ~ 遊んで泣いて、育ちゆく ~

5月5日は「こどもの日」。「国民の祝日に関する法律」によれば、「こどもの人格を重んじ、こどもの幸福をはかるとともに、母に感謝する」と意義づけられています。「初ジイジ」へのカウントダウンが進んでいる身でありながら、「父」が登場しないことにいささかの寂しさを覚え、つい「父への感謝は?」と突っ込みを入れたくなります。しかし、“出産”“育児”という一連の大事業を担っているのが母親なのですから、やむを得ない、いや当然のことと言えるかもしれません。

5月の「給田だより」は、その祝日に因んで、「子どもとは?」についての私流の考察です。

まずは、「子どもとは、遊びたがるもの」です。「子どもの仕事は遊び」、このことに異論を挟む人は少ないと思います。しかし、現実の世界では、「遊び欠乏症」の子どもたちが多くなってきているのではないでしょうか。「佼成の園庭で、思いっ切り遊ばせてあげたい!」は、本園を志望してくださる保護者の大半の願いです。広い園庭、そして教師たちは、その期待を決して裏切りません。

子どもは「遊び」を楽しみながら、さまざまなことを学んでいきます。その「遊び」につきものであり、そして大きな学びをもたらすものが「喧嘩」です。「喧嘩」を奨励するつもりは毛頭ありません。しかし「喧嘩」を忌避するのも、考えものです。子どもは「喧嘩」によって、人間の心の機微、人間関係の大切さ、コミュニケーションの取り方、仲直りの仕方、などを学びます。私が申し上げたいのは、お察しどおり、「喧嘩」をも学びの機会にしていこう、ということです。たまに親たちが間に入って、仲直りに手を貸すことがありますが、何ともったいないことでしょう。子ども同士で仲直りするチャンスを取り上げてしまうことは、慎まなければならないと思います。3歳児と言えども、立派に喧嘩相手との折り合いを付けることのできる子を、私はたくさん知っています。

「遊ぶことは、学ぶこと」です。幼児期の遊びは、人生の大切な基礎工事。少々のトラブルは、将来への投資と覚悟して、しばらくの間お付き合いください。また、親が子どもと一緒に遊べる期間も、それほど長くはありません。遠からず、親など相手にしてくれない日が、必ずやってきます。「いつ遊ぶの?」「今でしょ!」(古いですか?)

次に、「子どもとは、泣きたがるもの」です。泣く子を前に「どうしたらいいの?」ということは、よくある話。切なくなった親は、嘆声や叱声、時には怒声…。子を持つ親ならば、身に覚えのあることだと思います。「泣くことも子どもの仕事」、乳児の頃ならば、「お腹がすいているのかな?」「おむつが汚れているのかな?」「眠いのかな?」と子どもの気持ちを推し測っていた新米ママさんも、子どもが言葉を発するようになってからは、言葉で、そして感情で言って聞かせるようになってしまいがちです。しかし、精神的に一歩も二歩も先んじているはず(?)の大人は、ある「大事なこと」を忘れてはなりません。それは、感情表現の一つである「泣く」ことは、子どもにとっては、意思表示の大切な手段でもある、ということです。

大人だって、内面の心の動きを表現することは、とても難しいことです。ましてや、言語表現が未発達な子どもが、その意思を伝える手段に困ったとき、出生以来有効だった「泣く」ことに活路を見出すのは、自然の流れというものでしょう。子どもは、「泣く」ことによって、大人に「何か」を訴えかけているのです。何だかすっきりしない思いを、「泣く」ことで表現しているのです。このことを、大人は理解してあげたいものです。気持ちを汲み取ってもらうどころか、「泣いて親の言うことを聞かない子は、ダメな子」という接し方をされれば、子どもの心の残るのは、ただのストレスです。「泣くことは、話すこと」です。子どもの心に寄り添い、ぜひ耳を傾けてあげてください。

その際に威力を発揮するのが、「自己肯定感を育む“三つの魔法の言葉”」と私が名付けている、「どうしたの?」「どうして?」「どうしたいの?」というキーワードです。優しく淡々と問いかけ、返ってきた言葉と気持ちを、「そうなんだぁ…」と口に出し、温かく受容してあげてください。くれぐれも感情的な詰問は、「ダメよ~ダメダメ!」。(これも古いですか?)百害あって一利なし、です。

子どもの「○○したがるシリーズ」には、続きがあります。「騒ぎたがる」「不安がる」「褒められたがる」「甘えたがる」などの各項目につきましては、また改めて別の機会に…。

書きたがる、初老の園長でした。 

松森憲二拝

園長の「給田だより」(2015年4月号)

2015/04/13 7:27:37

「目と目を合わせましょう!」  ~ 互いに尊い存在なのですから ~

新年中・年長のお友だちのご進級、そして新年少のお友だちのご入園、おめでとうございます。

仏教園である佼成学園幼稚園の入園式は、伝統的に「花まつり入園式」として、4月8日に行われています。その日は、仏教の開祖であるお釈迦さまお誕生の日であり、多くの寺院などでも、「降誕会(こうたんえ)」もしくは「花まつり」として、「甘茶かけ」の行事とともに、お祝いが行われています。桜の季節のこの時期、お釈迦さまのお誕生と、佼成学園幼稚園の園児としてのスタートが同じ日ということに、私は大きな意味(「深イイ」)と喜びを感じています。

お釈迦さまがお生まれになったとき、七歩歩いて右手で天を、左手で地を指さして、「天上天下唯我独尊(てんじょうてんげゆいがどくそん)」とおっしゃった、というエピソードは有名です。生まれてすぐの赤ちゃんが歩いたり言葉を発することなど、到底信じられることではありません。そのことが影響してかどうかはわかりませんが、お釈迦さまは架空の人物である、と思っている人も少なからずいるようです。しかし、お釈迦さまは、今から約2,500年前、北インドのカピラバストという国でお生まれになった歴史上の人物(お名前はゴータマ・シッダールタ)なのです。

また、前述の「天上天下…」の言葉の中の「我」を、お釈迦さま一人のことと解釈して、なんて傲慢な人なんだろうと、受け取る人もいるようですが、それは全くの誤解です。すべての人を救いたいと修行され悟りを得られたお釈迦さまが、自分だけが尊くて、他のものは尊くない、とおっしゃるはずはありません。それは、「あること」を伝えるために、後世の人が作り上げたお話なのですが、その「あること」とは、一体何なのでしょう?

それは、仏さまの教えの最も根本である「生きとし生けるものは、みんなかけがえのないいのちをもって、この世に生まれてきた、つまり、みんな尊い存在である」ということです。そのことを幼稚園に当てはめ、易しく言い換えるとするならば、「ダメな子は一人もいない」ということになるでしょう。子育てのパートナーである保護者・保育者が、常に忘れてはならないことだと思います。

突然話は変わりますが、今年の箱根駅伝で、青山学院大学が初優勝したことは、まだ記憶に新しいことです。実は、陸上競技部を陰で支えている部長(青山学院大学教授)は、私の30年来の知人なのですが、彼がある講演で、今や“時の人”となった監督のエピソードをいくつか紹介していました。その講演録を読んでいて、特に心動かされたのは、「監督は、優れた陸上選手をスカウトするのではなく、青学らしい人物を選んでいる。それは、ちゃんと相手の目を見て話ができるか、言葉のキャッチボールができる人間なのか、ということを見ている」ということでした。

私は、思わず膝を叩いてしまいました。というのも、昨年度3学期の誕生会で、私は子どもたちに、「目ペコリンと目ニコリン」ということを、伝え続けていたからです。「挨拶するときには、まず相手の目を見る、そして『おはようございます』と言って頭を下げる。頭を上げたら、もう一度相手の目を見て、できればニッコリとする。最後に目を合わせることは、特に大切」ということを話してきました。

「目と目を合わせて挨拶すること」は、互いに相手の存在を認め合うことであり、「あなたの存在の尊さを、私はしっかり認識していますよ」という気持ちを、相手に伝えることにつながります。人と人との信頼関係を築く上で、そして、現代の子どもたちに最も必要だと言われている「自己肯定感」を育む上でも、「目ペコリンと目ニコリン」は、大切な生活習慣であると確信しています。   

ただし、習慣は、知っているだけでは意味がありません。身についてこそ、真の価値を発揮するのです。そのためにお願いがございます。一番身近な「教師」である保護者の皆さまに、お手本を示していただきたいのです。家庭の中ではもちろんのこと、ママ友との交流の場面でも、率先して「目ペコリンと目ニコリン」を実践してくださるならば、その効果は計り知れません。力強いサポートをいただきながら、さらに意を強くして、子どもたちとの挨拶行に全力を注いでまいります。

箱根路を大学生が力強く疾走するように、園児たちがそれぞれの道をたくましく生きぬいていけるよう、「人生の種蒔き」に努めてまいります。今年もよろしくお願いいたします。 

松森憲二拝

園長の「給田だより」(2015年3月号)

2015/03/01 8:58:21

「プレーバック、2014年度!」   創立60周年、ありがとう!

2014年度(平成26年度)、学校法人佼成学園並びに佼成学園幼稚園は、創立60周年を迎えました。 幼稚園では数々の記念事業・行事が執り行われ、忘れ難い年になりました。今年度最後の「給田だより」では、それらの事業や行事を中心に、記念すべき一年間を振り返ります。恐縮ながら、いくつかの私事が混じっていることをご容赦ください。(マジで?)

まず4、創立60周年記念の年に符合するかのように、新教頭・新事務長(黒岩百合子・羽田博文)が誕生いたしました。節目の年に、強力な布陣が整ったことは、園にとって大きな意義があったと思います。水戸黄門さまの両脇に助さん・格さんが控えているように、私に、百合さん・博さんという頼りになる両腕ができました。 

園としては、4年ぶりに園児数が400名を超えた始業式。子どもたち、そして保護者の皆さまを前にして、「佼成学園幼稚園、日本一宣言!」です。

園長就任当初より、保護者の皆さまとの架け橋をしてくれているのが、「給田だより」です。どちらかというとエッセイ的要素の濃いものですので、私としては、なるだけ肩の力を抜いて取り組ませていただいております。しかし現実は、印刷日とにらめっこしながらの試行錯誤に四苦八苦しておりますが、「楽しみにしています」とのありがたいお言葉をいただくたびに、勇気を奮い起こしております。 

一方で、園運営に関する私の考えをお伝えする 別のツールの必要性を感じておりましたので、新年度を期して、『月報』を補完する『園長通信』を刊行することにいたしました。不定期に出せるメリットを生かして、2月13日付の第20号まで続けております。「園長が何を考えているかがわかる」とのコメントを伺い、自らの意思を率直にお伝えすることの重要性を感じるとともに、「話せばわかってくださる 保護者に恵まれている」ことに感謝しています。

風薫る5、1954年生まれの私に、ついにやってきた還暦の誕生日。先生方から“赤いちゃんちゃんこ”でお祝いしていただきました。園児たちをお手本に、ますます素直さに磨きをかけなければと、心に誓った日でもありました。

6には、カワイ体育教室のご尽力で、元オリンピック選手(体操の水鳥寿思氏・新体操の川本ゆかり氏)をお招きし、念願の「オリンピアンによるトークショー」を開催いたしました。奇しくもその日は、川本さんの○回目のお誕生日。後援会の皆さまが、バースデープレゼントをご用意くださいました。

講演会後には、世私幼バレーボール大会に向けてミニ壮行会を企画。一人ひとりのメンバーは、ゲストお二人からの握手を受け、感激もひとしおだったことでしょう。そのお陰もあってか、我が佼成学園幼稚園のチームは、見事、「準優勝!」。頂点まであと一歩、という悔しさも残りましたが、世田谷総合体育館には、どの幼稚園にも負けないほどのサポーター(在園児並びにOGを含む卒園児の保護者の皆さま)が詰めかけてくださり、何よりもの喜びとなりました。皆さまの黄色い大声援が、メンバーの背中を押してくださったに違いありません。

7には、長年の懸案事項であり、保護者の皆さまからも強い要望があった「ホームページのリニューアル」を、創立60周年記念事業として実施いたしました。園の基本情報のみならず、トピックス・緊急連絡等を提供できる「情報発信型のホームページ」に生まれ変わり、大変革の一つが成就いたしました。

一学期末には、花まる学習会代表の高濱正伸氏による「後援会主催の講演会」が開かれました。体育館にご参集くださったお母さま方にとって、子育てや夫婦関係を振り返る絶好の機会になったことと思います。(速報です!平成27年7月に、再び高濱氏をお招きする計画が進行中です。乞う、ご期待!)

8の夏休み、9月の創立記念式典にむけて、母子による3部合唱「佼成アニバーサリークワイア」の練習が本格化。メンバーは、佼成学園女子中学・高等学校合唱部の賛助出演もあり、周年の数字に相応しく総勢60名。高橋晴美先生作詞作曲の『ひとつ』を、高橋裕先生指揮により幼稚園児が歌うというのは、まさに前代未聞の出来事(高橋ご夫妻の弁)。年長組母子有志22組が、「本物との出会い」を果たしたのです。

9に入り、二学期早々、佼成学園創立60周年記念式典が、杉並の立正佼成会大聖堂で挙行されました。3分余りの「天使&天使ママの歌声」に、堂内は万雷の拍手。祝賀会で、庭野日鑛学園長先生ご夫妻から、たくさんお褒めの言葉をいただきました。

二つ目の創立記念事業は、これまた積年の課題であった「園庭整備工事」。子どもたちには、しばし園庭で遊べないという不便をかけましたが、6月下旬から9月上旬までの予定の工期で、無事完成 いたしました。雨が降っても、園庭に川や池ができることもなくなり、安心して運動会の練習に突入することができたのです。

10、スポーツの秋と言えば、恒例の運動会。「創立60周年記念運動会」に向けて、後援会の皆さまが、記念Tシャツを子どもたちにプレゼントしてくださったこともあり、例年以上の大盛り上がり。随所に感動がちりばめられ、「涙なしには見ることができない、素晴らしい運動会だった」との賛辞が、あちこちから届きました。まさに、「日本一の幼児体育園」を実感した一日でした。サプライズゲストの金子紗織氏(女子100mハードル元大学生日本一)の走りも、お祝いに花を添えてくださいました。

11初めの入園選考では、160名の新入園児が入園を希望してくださり、いよいよ全学年6クラス体制(全学年で18クラス)がスタートすることになりました。背負った責任の重さを実感しております。 

中旬にあった「世私幼PTA大会」。「ピタッとハウス」のCMでおなじみの女優・水野真紀さんと、ついに出会った(?)のです。その日の講演で、水野さんは、佼成学園幼稚園の卒園児であることを暗に明かされました。私は、講演が終わるや否や、千載一遇のチャンスを逃してはなるものかと…、いやそうではなく、現園長としての使命感から、名刺を手に、まっしぐらに楽屋前を目指しました。ご挨拶の言葉を交わす中で、水野さんは、園児の頃赤バスで通っていたことや、『おまいり』で「なむみょうほうれんげきょう」を唱えていたことなどを懐かしそうに、そして親しみを込めてお話しくださいました。「佼成学園幼稚園卒園児有名人リスト」に1名が加わったことは言うまでもありません。水野さんと今度お会いするとき、それは、佼成学園幼稚園で多くの保護者の皆さまとご一緒に、と心に決めています。これもまた、「乞う、ご期待!」です。

12に入って、『あんふぁん』「ようちえん川柳」の先生部門で、私の投稿作品「キラキラの ネーム読むのに 辞書が要る」が佳作入選したとの電話が入りました。愛媛県松山市在住の父が、しばらく川柳に親しんでいた(柳号は「求道(ぐどう)」)こともあり、私も少しずつ作品めいたものを書き溜めていたところへの朗報でしたので、何者かが「川柳の道」に誘ってくれているような思いがいたしました。つい先ごろ、父が使用していた「求道」の落款(らっかん、作品に使用する印)を譲り受けましたので、今後、川柳に関しては、「給田育孝」のペンネームを改め、「三代目JSB…」ならぬ、「二代目求道」を襲名することにいたしました。

1の成人の日、私は3回目の成人式(?)を迎えました。(当然のことながら)自宅のある狭山市役所からは、式典の案内はありませんでしたが…。その日は、自宅で発行文書の下準備をしながら、佼成学園幼稚園と同い年である巡り合わせに、改めて感謝の思いを深くいたしました。

2は、新しい出会いが目白押しです。「新入園児保護者説明会」、そして「ワイワイクラブ説明会」。新しい風を全身で受けながら、多くの子どもたちとの触れ合いに、ワクワクしています。

3には、年長組は、幼稚園生活のクライマックスである「卒園式」を迎えます。思えば3年前、私は彼ら彼女らとともに、初の入園式を迎えました。『園だより』の「新人紹介コーナー」に、私は、日本一の『イクジイ』になりたい!」というタイトルで、次のような文章を掲載いたしました。

いま、「イクジイ」が注目を集めています。両親をサポートし、育児にかかわる祖父、つまり「育爺(いくじい)」のことなのだそうです。私には二人の息子がいますが、二人とも未婚ですので孫はおりません。そんな私に、4月から突然367名の孫(のような園児)が目の前に出現しました。毎日、その孫たちの元気のいい声とにこやかな笑顔に癒されています。でも、ただ優しいだけのおじいさんでは、園長の役目は果たせません。園児たちが、しっかりとした人生基盤を築けるようなご縁になりたいと強く願っております。

いま、心身ともにグーンとたくましくなった子どもたちを観ていると、年長さんほど成長できた自分自身だろうか、との思いを強くしております。3年間(1070日余り)にわたって、保護者の皆さまともに子どもたちを見守らせていただけたことに、大きな喜びと誇りを感じています。卒園式の日のことを思うと、今から涙腺が緩んでしまいそうです。

因みに、今年5月、昨年結婚した長男夫婦に女児が誕生(我が家での女児誕生は80年ぶり)し、私はリアル“じいじ”になる予定です。初孫の誕生をきっかけに、公私とも日本一の「イクジイ」を目指して、再出発してまいります。“じいじ”として今できること、それは無事な出産を念じること。対面できる日を、指折り数えて心待ちにしております。「こんにちは赤ちゃん~、私が“じいじ”よ♪」。 

思えば、私との約束(「あいさつ」「げんき」「おてつだい」)を素直に実践しようとしてくれている園児たちに励まされ、保護者の皆さまの温かいご支援、教職員一人ひとりの地道な努力のお陰さまで、大変意義深く、充実した一年間を過ごすことができました。すべての皆さまに、感謝の気持ちあるのみです。

今月も、何とか「給田だより」をお届けすることができました。ホッとしています。  

松森憲二拝

園長の「給田だより」(2015年2月号)

2015/02/01 9:25:51

「子育てにおける三つの“自□心”」 ~ インディアン、嘘つかない! ~

 「石の上にも三年」、佼成学園幼稚園の園長としての日を重ねるにつれて、私の心中には、確信めいたものが育ちつつあります。それは、「この世の中で最も尊い仕事は、“子育て”である」という思いです。どの年代の子育ても大切であることに変わりはありません。しかし、とりわけ幼児期の子育ては、その最たるものと言えましょう。

子育ての肝心要は、何と言っても「心を育てる」ことです。私は、次の「三つの心」を育てることが、大人の使命であると考えています。

一つ目は、「自立心」です。子育ての究極の目的は、子どもの「自立」の一点にあるといっても過言ではありません。いくら可愛いとは言え、子どもをいつまでも手元に置いておくわけにはいかず、いつかは親の庇護から離れていくのです。そのときに、一人立ちできるかどうかが問題なのです。

二つ目は、「自尊心」です。近頃よく耳にする「自己肯定感」「自己有用感」というのがそれに当たるでしょう。子どもたちを待ちうけている競争社会、ある意味では避け難いことと覚悟しなければなりません。その中にあって「自分の存在感を自覚し、自分のことを好きと思える心」は、人生の荒波を乗り越えていく上で不可欠のものです。

三つ目は、「自制心」です。人は決して一人で生きていくことはできません。集団の大小はあれ、その集団の中で生きていくには、「自分の感情や欲望をおさえる気持ち」は大切です。自分の心を自らコントロールできる、いわば「我慢」を身につけなければならないのです。

こんなことを書くと、「今のうちの子はとてもじゃないけど三つの心は育っていない。明日から意識して…」と、俄然意気込まれるお母さまがいらっしゃるかもしれません。ちょっと、お待ちください。くれぐれもお断りしておきますが、私が申し上げているのは、あくまでも子育てそのものの目的であり、今、目の前の子を、すぐにこうしよう、ああしよう、ということではありません。

上の「三つの心」を育てる上で、十分に留意しなくてはならないことは、育て方、つまり子どもたちへのアプローチです。幼い子どもに、がみがみ言ったり、怒鳴ったりしても伝わるものではなく、かえって逆効果であることが多い、というのが現実です。一見矛盾するようですが、育てるためのポイントは、「どこまで待てるか」にかかっているように思われてなりません。子どもの育つ力を信じて待つこと、それが子育ての王道です。

平成が始まって間もなくのころ、ラジオ番組が発信源となって、ある22行の詩がブームになり、社会心理学者の加藤諦三氏は、その詩をモチーフとして、『アメリカインディアンの教え』を著しました。すぐに購入したものの、長く書棚の肥やしにしていたのですが、つい先ごろ改めて読み直してみました。そこには、「どんな育て方をすると、どんな子が育つか」が明示されていました。以下の22行の詩を、大いに参考になることでしょう。

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

子供たちはこうして生きかたを学びま

批判ばかり受けて育った子は

  非難ばかりします

敵意にみちた中で育った子は

  だれとでも戦います

ひやかしを受けて育った子は

 はにかみ屋になります

ねたみを受けて育った子は

  いつも悪いことをしているような気になります

心が寛大な人の中で育った子は

  がまん強くなります

はげましを受けて育った子は

  自信を持ちます

ほめられる中で育った子は

  いつも感謝することを知ります

公明正大な中で育った子は

  正義心を持ちます

思いやりのある中で育った子は

  信仰心を持ちます

人に認めてもらえる中で育った子は

  自分を大事にします

仲間の愛の中で育った子は

  世界に愛をみつけます

  (作・ドロシー・ロー・ノルト/訳・吉永 宏)

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

古今東西、「子育ての真理は一つ」なんですね。

「インディアン、嘘つかない!」という懐かしい

CMのコピーが、私の脳裏を駆け巡っています。

もちろん、「園長も、嘘つかない!」

松森憲二拝

園長の「給田だより」(2015年1月号)

2015/01/09 11:27:57

「六つの“エン”を大切に!」     ~もうワンランク上の園長となるために!~

 皆さま、明けましておめでとうございます。平成26年度も、今日(1月9日)の始業式を含め、余すところ70日、登園日は終業式を含めて53日となりました。昔から、「1月は行く、2月は逃げる、3月は去る」と言われているように、3学期の3か月間は、あっという間に過ぎていってしまいます。一日一日に課せられた意義をかみしめながら、日々を大切に過ごしてまいりたいと思います。

さて、昨年末に、『あんふぁん』川柳大賞の佳作入選についてお伝えいたしましたが、実は 応募したのは一作のみではなく、他にもいくつか投稿いたしました。その中の(落選した)一句が、 「おやじギャグ 寒がられても また一つ」というものでした。私は、世間で言う「おやじギャグ」、とりわけ「ダジャレ」を「類語学研究」と呼んで、ライフワーク(?)の一つとしています。「たかがダジャレ、されどダジャレ」です。同音異義語に対する理解と洞察力、瞬間的なインスピレーションをとらえる感性と発語のタイミングなど、突き詰めれば突き詰めるほど、結構奥が深いものなのです。言語理解導入の一環として、幼児教育に 「ダジャレ」を推奨している学者がいることを、皆さまはご存じでしょうか。

そんな私の新年早々の「給田だより」、かねてより園長として考えてきたことを披歴させていただくことにいたしました。まるで所信表明演説のようですが、年頭に当たっての決意です。しばし、お付き合いください。

一つ目のエンは、「これも何かのご縁ですから」でおなじみの「縁」です。仏教では、「縁」は最も根本的な教えとされ、一般的な表現をするならば「出会い」ということになるでしょう。人の成長には、何かとの出会いが不可欠です。出会いの質が高ければ高いほど、人は自他ともに幸せになることができます。WIN-WINの関係に、心を砕いてまいります。

二つ目のエンは、「円」です。「円」と言っても、お金のことではありません。「円満」の「円」を意味しています。園児や保護者の皆さまとの触れ合いをとおして、「円満な人格」をめざします。

三つ目のエンは、「宴」です。「行事」とご理解ください。多くの人々の集いには、個々の出会いでは得られないさまざまなメリットがあります。特に、園で行われる大きな行事は、園児を大きく成長させる貴重な機縁となっていることは、既にご理解くださっているとおりです。その陰には、保護者の皆さまの願いやご支援があることを忘れてはなりません。それらのことを踏まえて、行事の目的達成に、誠心誠意取り組んでまいります。

四つ目のエンは、「演」です。その文字からの私のイメージは、「パフォーマンス」、そして「表現」です。子どもたちの「生きぬく力」の源泉となる表現力を引き出すためには、保育に携わる者の「言葉磨き」が求められます。一言が、人を活かすためのメスになるのか、人を傷つけるためのドスになるのかは、本当に紙一重なのですから、子どもたちへの「声かけ」に心を配っていかなければなりません。しかし、それ以上に意識すべきことは、子どもたちの成長を心底から願って語りかけることだと、認識しております。

五つ目のエンは、「援」です。園児・保護者・教職員を一体とする“チーム佼成”のリーダーと  して、身の周りの人たちのために尽くし、互いに「協力」し合える関係を構築してまいります。

六つ目のエンは、「炎」です。「情熱」と置き換えることができると思います。第三者から見れば、些細なこと、あるいは面倒なことと思われることであっても、園児や保護者の笑顔につながるものであるならば、情熱を燃やし努めてまいります。

ところで、「情熱」という熟語は、私にとって切っても切り離せないキーワードとなっているのですが、それには、ある曰く因縁がございます。学生時代、「雄弁会」というサークル(一般的には「弁論部」と呼ばれる)に所属した私は、先輩たちに倣って、人生初めての名刺を作りました。 「ありきたりのものは嫌だ」との思いから、「情熱と実践(Passion & Practice)」というキャッチコピー入りの名刺を作成いたしました。当時私は、「“情熱と実践”、“P & P ”の松森憲二です」と挨拶していたことを、今でも憶えております。以来40年余、そのコピーは私自身を、時には叱咤激励し、時には慰め続けてくれています。

そろそろスペースがなくなってきました。今月は、この辺で、エ~ンジャナイカイ…。 

お後がよろしいようで…。   

 松森憲二拝

園長の「給田だより」(2014年12月号)

2014/12/01 7:16:29

「マナーに関する一考察」  ~共に育てましょう、共に育ちましょう

 10月28日(火)に、今年度2回目の園運営協議会を開催いたしました。佼成学園創立60周年のテーマ「もうワンランク上を目指して」を踏まえて、トークテーマは「佼成に必要な“もうワンランク上”とは何?」でしたが、恒例のフリートークをとおして、多くの貴重な ご示唆をいただきました。詳細は別の機会に譲るとして、重要ポイントの一つとして「もうワンランク上の“保護者のマナー”」をあげてくださったことに、私は驚きをもって耳を傾けました。というのも、園長に就任して3年、直面する課題に一つひとつ取り組んできたつもりではありますが、今もって未解決なのが、園周辺の交通 マナー、バス停での園児や保護者の振る舞いのこと等、園内での保育以外のことだからです。

マナーのことについてあれこれ思いを巡らせるとき、いつも私の脳裏をかすめる一文があります。それは、 一世紀を優に越える明治時代のものなのですが、私は、時代を超越する大切なメッセージとして、いつも心に 温めています。その文に出会ったのは、私が30代の後半、前任の専門学校の設立準備事務局で、新しい理想の学園づくりに邁進していた頃のことでした。

その一文とは…。女子英学塾(のちの津田塾大学)を創設した津田梅子女史が、1900(明治33)年9月14日の開校式で述べた挨拶の一部です。開塾の理由や目的、そして抱負などを述べた後、「最後に二、三の御注意を申します」と言って、梅子女史は、つぎのように述べているのです。(下線は松森による。)

「この塾は女子に専門教育を与える最初の学校であります。従って世間の目にもつき易くいろいろの点で批評を受けることでございましょう。一体世間の批評などは、さほど重要なものではありますまいが、もしかような批評が幾分でも、女子高等教育の進歩を妨げるならば、誠に遺憾なことであります。しかもその批評の多くは、学校で教える課程や教授の方法について彼是いうのではありません。ほんの些細なことを、例えば日常の言葉遣いとか他人との交際ぶりとか礼儀作法とか服装とか――かような細かいことを批評して、全体の価値を定めようとします。それ故細かいことではありますが、こういう点にも十分注意して、下らない世間の批評に上らないように気をつけていただきたいと思います。

出典:『津田梅子』(吉川利一著、中央公論社)                                              

「下らない世間の批評」とは、いささか過激な表現とは思いながらも、梅子女史が言わんとする趣旨に得心したときのことを、今でも鮮明に憶えております。

「日本一の幼児体育園」や「日本一の運動会」といったスローガンを掲げ、その目標に向けて一心不乱に努力し、周囲の方々から評価を得、その結果、多くの子どもたちが入園してくれたとしても、例えば、わずかな時間の違法駐車、バス停での園児や保護者の大騒ぎなどで、「あのK幼稚園は…」「K幼稚園の親たちは…」と噂され、たちまち園の評判は悪くなってしまいます。「口コミの怖さ」ですよね。とかく悪口というものは、あっという間に広まり、長く語り継がれてしまいがちです。  

幼稚園教育の主役は、言うまでもなく園児です。しかし、幼稚園ほど保護者の存在が大きなウエイトを占める教育機関は、他にないと思います。保護者は、限りなく主役に近い準主役であり、「保護者のあり方が、幼稚園全体の評価を左右する」と言っても過言ではありません。園の評価もしくは評判が悪くなれば、遠からず、教育の質は低下していきます。何故ならば、「教育の質」は、その環境を構成する人々の質によって決まってしまうものだからです。そのことを重視し、「保護者マナーの向上」を取り上げられた園運営協議会委員の皆さまの見識に、私は深く敬意を表したいと思います。

念のため申し上げておきますが、私は、園の評価基準を保護者に押し付けるつもりなど、毛頭ありません。 幼稚園評価の第一義は、あくまでも教育内容の質と量にかかっているのですから、その任を担う教師集団のあり方が問われることは、至極当然のことであります。とりわけ、園長の責任が最も重いことは百も承知しており、園務全般にわたる研鑽を、自らに課す毎日でございます。        

ただ折に触れ、私が繰り返し皆さまにお伝えしているのは、保護者と保育者とが心を一つにして、「園児を育成する」という最大かつ共通の目標に向けて、より良い園づくりをしてまいりましょう、そして、園のためにならないことは慎みましょう、ということなのです。ご理解いただけますよね。我々は、子どもを共に育て、互いに育ち合う“チーム佼成”の大切な同志なのですから…。

最後に、最新情報を一つ。「どんなママが大好き?」という問いかけに対する貴重な回答です。情報源は、 学者や評論家の講演や著作ではありません。年中組のI君のお答え、「いつもニコニコのママ!」。私は、子どもたちの代表の声と受け止めていますが、これほどシンプルでインパクトをもった“幼年の主張”があるでしょうか!子どもたちの大好きなママになりたくてもなれない私(?)は、引き続き、超ニコニコの園長先生を目指して頑張ります。応援してください!

  松森憲二拝

園長の「給田だより」(2014年11月号)

2014/11/01 7:05:48

「もう一つの“保護者競技”」   アンカーMの苦悩と栄光

 今年の運動会は、創立60周年記念バージョン。例年以上の盛り上がりを、ということで、保護者競技は、男女混合リレーでした。私は、図らずも(一説には、当然のこととして)、来賓教職員チームのアンカーを指名されました。運動といっても、普段、通勤で歩くこと以外には何もしていない 私は、「このままじゃ、ダメよ~ダメダメ」ということで、本番の3日前に、園庭のトラック(約88m)を試しに走ってみました。久々のランニングですので、おっかなびっくりではありましたが、とりあえず2周を走り終え、そのこと自体に満足していました。

そして、本番の前日にも練習を…。ところが、この日は、まるっきり走ることができませんでした。というのも、走り出した途端、つまり最初の3,4歩目で、右脚付け根に「ピキッ」という音がして(?)、立ち止まらざるを得なかったのです。一歩を進めることもままならぬ激痛に、きっと顔も歪んでいたに違いありません。とっさに脳裏に浮かんだのは、「明日、走れない、どうしよう」という言葉でした。絶望感に襲われたのは言うまでもありません。何人かの先生方に話をすると、私の身体を案じて、「大丈夫ですよ。手を振りながら、軽く走ればいいのですから…」と応えてくれました。もとより、勝負への強いこだわりはないものの、どうしたものかと思案し、痛い足を引きずりながら帰宅いたしました。いまさらカッコつけるつもりなど毛頭ありません。ただ、あまりにも無様な姿だけは見せたくないという思いはくすぶっていたのでしょう。素人なりに慣れないストレッチをし、翌日の回復を祈り就寝いたしました。

運動会当日の朝。足の調子は?決して芳しくはありません。「走ることができるか?」と問われれば、限りなく「走れない」状態です。この段階でのせめてもの願いは、本番では、「軽いジョギングでも受け入れられるような状況」になること、つまり「それほどハードに走らなくても許される状況」になることでした。

運動会は順調に進み、いよいよ保護者競技の 開始です。各学年代表たちの入場に続き、スペシャルゲストの金子沙織さん(河合楽器)が風を切って颯爽と登場。後援会役員の皆さまにも極秘だった、とっておきのサプライズです。競技への期待が高まったところで、金子さんによる号砲 一発、八百長なしのガチンコレースが始まりました。アンカーである私は、私の前のランナーが 最下位の4位で来ることを期待していました。ところが、どうしたことでしょう、私の前のランナーは3番手を走っているではありませんか!「これはまずい」。知らず知らずのうちに、「精一杯走る」というもう一つのチャンネルにスイッチ・オン!バトンを握りしめ、夢中で走りました。案の定、すぐに追い抜かれて最下位にはなったものの、そこで急に速度を緩めるわけにもいかず、そのまま走り切り4番目にゴールインいたしました。実際のところ、スタートからゴールまでのことは、よく覚えていません。ただ、痛みをこらえながら黙々と走ることができたのは、たとえ子どもたちのスーパーヒーローにはなれなくても、大人として恥ずかしい姿だけは見せたくない、との一念がそうさせてくれたのでしょう。レース後、やはり右脚の痛みは続いていました。我ながら、「よくぞ走れたものだ」と、不思議な感覚に包まれました。

因みに、そのレースは、年長→年中→年少→来賓教職員の順、ある意味、理想的な結果となったことは、皆さまもご存じのとおりです。

運動会の三日後、いつもどおり、玄関で子どもたちに朝の挨拶をしていると、一旦六角ホールに入った年中組のR君が、私のところに戻ってきて、こう言ってくれました。「えんちょうせんせい、 リレーいっしょうけんめいがんばってたね!」。 透明だけど、ピッカピカの金メダルが、私の首に  かかった瞬間です。ヤッター!

私は、10月号の「給田だより」に、「佼成学園幼稚園の運動会は、日本一の運動会である」と書きました。今年の運動会も、子どもたち一人ひとりは、そのことを見事に証明してくれました。閉会式で子どもたちに伝えた「ありがとう」は、私の心底からの感謝のメッセージだったのです。

ここで、昨年同様、【運動会川柳】を3句。

「保護者リレー 長→中→少は 神の業(わざ)

「園長に 誇りをくれる 子どもたち」

そして、感動No.1の年長競技より…。

「組体操 他人(ひと)の子なのに 泣けてくる」最後の句、説明は無用ですよね。  

松森憲二拝