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給田だより

園長の「給田だより」(2019年3月号)

2019/03/12 5:55:45

「“破顔(はがん)常笑(じょうしょう)”でいこう!」  佼成ママの“声に励まされて

先月号では、佼成パパからのメールやおたよりを掲載しました。バランスを考えて、というわけではないのですが、今月号では、佼成ママたちの声をお届けいたします。

2月上旬、発起人(?)Aさんの呼びかけで、某バス停メンバーによる「グループトーク」(仮称)が開かれました。(実は、園長就任初年度から、触れ合う機会の少ない通園バス利用のお母さま方とのコミュニケーションの場を、何とかして持ちたいと考えてはいましたが、諸般の事情で、具体化できませんでした。今回、その思いを受け止めてくださったのがAさんだったのです。)ジャンケンで勝った順に、というシンプルなルールで始まった自己紹介。普段同じバス停で顔を合わせるメンバーなのですから、互いのことを熟知しているかと思いきや、意外にそうでもなく、ほぼ「初めまして」の雰囲気が漂う園長室。その空気感が、逆に、その日に集ったメンバーに対する私の信頼感を増してくれました。というのも、バス停では、あくまでも子どもの送り迎えが中心であり、あいさつ程度の会話はマナーとして当然のことながら、「おしゃべりは厳禁!」が原則なのですから…。2時間弱の「グループトーク」、あっという間に過ぎてしまいました。

Aさんからは、終了後すぐにこんなメールが…。

今日は貴重なお時間をいただき、ありがとうございました。とても楽しく、気づきの多い時間になりました!

いつもは、他愛もないことを子どもたちと一緒にワイワイしている○○(バス停名)メンバーですが、こうやって自分と向き合う時間を作り、それを共有することで、自分の悩みは相手から気づきをもらえること、相手の悩みは自分が乗り越えてきた試練かもしれないことなんだ、いうことがわかりました。お互いの子どもたちの様子を見ていることで、スッと腑(ふ)に落ちたので、「ママたちのお付き合いというのは、こういういいことがあるんだ!」と嬉しくなりました。

参加メンバーの一人Bさんは、卒園児及び未就園児のママさんであり、新年度からそのバス停を利用される方です。翌日のメールです。

佼成幼稚園には長女のときからお世話になっておりましたが、バス通園をしておりますとなかなか園長先生にお目にかかる機会がなく、ましてやちゃんとお話する機会など全くないまま卒園してしまい、残念に思っておりました。Aさんとの繋がりで、こうして園長先生とお話をする機会ができたことに感謝しています。

昨日は、バス停メンバーで普段はあまり話さない子育ての悩みから夫婦の出会いまで(笑)たくさんおしゃべりをしてしまったようで、大丈夫だったかな?と後からちょっと心配になりましたが、とても楽しい良い時間を過ごすことができました。貴重なお時間をいただきありがとうございました。 

長女が在園中のときから「給田だより」を毎回楽しみにしております。気になったところにマーカーで斜線を引き、今でも見返しています。特に私は、2016年3月号の「ママの笑顔は、子のパワー!」~子どもの不快感情とどう向き合うか!~に書かれてある《母親としての成熟度チェック》(※1)を時々見返し、その後に書かれている親子関係のよしあしは、「子どもが不快感情を抱えているときに、親の顔をみると安心するという関係性が構築されているかどうか」にかかっているという文に、これから思春期に向けて成長していく我が子たちとの関わりの中でも、心にとめておきたいなと思っています。これからも園長先生の「給田だより」を楽しみにしています。

※1の《母親としての成熟度チェック》につきましては、八つの項目のみを再掲いたします。三年前にお示ししたものですが、決して色褪(あ)せてはいないはず。ぜひ熟読(じゅくどく)玩味(がんみ)してみてください。

1 子どものケンカ・トラブルに口を出さない。

2 子どもの前で、(家族を含めた)他人の悪口を言わない。

3 子どもより先に、さわやかなあいさつをする。

4 子どもに注意しなければならないとき、感情的にならずに、目を見て、冷静かつ優しく話す。

5 子どもとしっかり向き合い、100%耳を傾けて子どもの話を聴く。

6 子どもは「生きているだけで100点満点」と思っている。

7 子どもの失敗や失態を、単に結果としてとらえるのではなく、プロセスとしてとらえている。

8 子どもの不快感情に向き合ったとき、笑顔でいられる。

年長組お別れ遠足の2月15日、遠足から帰り、 園長室のパソコンをチェックしてみると、C君のママから一通のメールが届いていました。C君が朝、幼稚園の玄関を元気に入っていく姿を見て、入園以来のことが脳裏を駆け巡ったとのこと。 次のような文章が綴(つづ)られていました。

(前略)「子育ては長丁場です。変化があってもなくっても、すべてそのときどきに必要なこと。何一つ無駄なことはありません。一喜一憂することなく、A君の可能性を信じ切って、明るく、優しく、温かく見守ってあげてください。」年少さんのとき、園長先生からメールでいただいたお言葉です。「信じ切って見守る…」、当時の私には、これを素直に受け止めることはとても難しいものでした。でも、この言葉に何度も勇気づけられ、励まされました。また、始業式に配付されたプリントには、「子どもの成長を信じて、我慢して待つ」「「子ども自身に、自分で乗り越えられる力がある」とありました。そのプリントと、園長先生にいただいた「○○の微笑み」(※2)は、台所のコルクボードに貼ってあり、一週間に一度くらいは心の中で繰り返していました。担任の先生からの言葉、園長先生からの言葉、始業式に配付されたプリント、「○○の微笑み」、その四つが3年間私を支えてくれました。佼成学園幼稚園に通うことができた息子は、本当に幸せだと思っております。

※2の「○○の微笑み」とは、一昨年度に開催したトークライブ参加者の皆さまに差し上げた「お札(おふだ)」(?)のことです。○○には、お母さまの名前が入っています。いつもお話しする「子育てにおける五つの“ないで”」(まわりと比べないで・できたことを見逃さないで・一人っきりで悩まないで・自分で自分を責めないで・あの日の感激を忘れないで)を踏まえ、「母子の幸せ」(延(ひ)いては「家族の幸せ」)を願ってお渡ししたものです。

ここで、お知らせです。今年度、佼成学園幼稚園の保護者代表として、世私幼PTA連合会会長の重責を担ってくださっている松本美穂さんが、J:COMテレビ(11チャンネル)の「世田谷人図鑑」という番組(さとう珠緒さんとの対談番組)に出演されることになりました。きっかけは、昨年11月の世私幼PTA大会での会長挨拶を、世田谷区議会議長の三井みほ子氏がSNSに取り上げられたこと。そこには、「松本美穂会長の挨拶が素晴らしく、私も20年前の子どもたちの幼稚園時代を思い出し、『そうそう、そうですよね~』と共感しながら聞かせていただきました」と書かれてあります。収録はもうすでに終了し、放映は4月1日~15日の1日3回(8:30~8:55、14:00~14:25、18:00~18:25)の予定。3回×15日、即ちトータルで45回も繰り返し放送されるのですから、超有名人になってしまいますね。今のうちにサインをもらっておかなくっちゃ…。

ところで、3月4日、私の身の上に…大変なことが起きました。ご安心ください、嬉しい出来事です。十(とお)書(しょ)家(か)の平野恭子さんから、ご自身ご揮毫(きごう)の「破顔(はがん)常笑(じょうしょう)」という色紙を頂戴したのです。「十書家」とは「いろんなものにいろんなものでいろんなものを書く人」という意味だそうです。添え状には、次のようなメッセージが…。

昨年、ひよこ組の表現活動の際に、子ども達のあまりの可愛いさと成長を感じ、思わず「これは、“破顔”ですね」と園長先生に声を掛けさせていただきました。そこから、子どもに向き合う時には、この喜びと驚きの心を忘れないように過ごそうと思う様になりました。もちろん、自分の状態如何でできないこともままありますが、少なくとも気持ちの上では「破顔一笑」のみならず、常に笑っていられたら、と思っております。      

この想いを表した「破顔常笑」を、拙筆ではありますが、色紙にしたためました。

色紙を手にして、まずは、墨一色ではなく何色かの色使いに、思わず心魅かれました。「破顔」についての一年前のエピソードは、その後も鮮明な記憶として残っており、いつの日か「給田だより」のテーマに取り上げたいと考えておりました。ついに、そのときがやってきたのです。それも、  「破顔常笑」という素晴らしい心構えに昇華した形で、私の眼前に現れてくれました。新時代の「子育て」「幼児教育」の指針にしたい! 

松森憲二拝

園長の「給田だより」(2019年2月号)

2019/02/07 15:34:41

「 Another(アナザー) Sun(サン) (もう一つの太陽) ! 」   ~佼成パパの底力、ここにあり!~

「2月号の『給田だより』には、佼成パパに登場してもらおう!」と決めていました。原稿はほぼできあがりながらも、今一歩まとめ切れない日々を過ごしていた2月2日の帰宅途中、千歳烏山駅西口の階段を降りているときに、年中男児A君の父子(おやこ)にばったり出会いました。

A君「園長先生、どこ行くの?」私「お家(うち)に帰るんだよ」

A君「園長先生のお家はどこ?」私「“狭山”って言って、新宿から1時間くらい電車に乗るんだよ」

A君「1時間って?」私「!?」

 「1時間」をどう伝えたらいいか、一瞬戸惑ってしまいました。すると、即座にお父さまが「ドラえもん(のDVD)二つ分だよ!遠いんだよ」と答えてくださいました。納得気のA君とタッチで「さようなら」をして、私は改札口に。階段の上からは、再びA君の元気な「さようなら」の声。見上げて私も「さようなら」を言い、手を振って別れました。新宿行きの電車の中で私は、お父さまの“子ども目線”の名回答に「なるほど、さすが」と感心するとともに、そこに、A君父子の日常的な触れ合いの様子を垣間見ることのできた喜びを感じていました。そして、「そうだ!このエピソードから書き始めよう」と思ったのです。A君、3回も続けて質問してくれ、どうもありがとう!

昨年、『給田だより』12月号の結びで、「お父さま方からのお声をいただきたい」と呼びかけたところ、すぐに年長男児B君のお父さまからのメールが届きました。私は共感をもって読ませていただきながら、佼成パパの底力を知ることになります。ご承諾のもと、以下に転載いたします。

原点は、子どもは宝であること、その宝は私たちだけのものではく、地球、日本、地域の宝を、たまたま、私たちがお預かりしていると、大げさですが、真剣にそう考えております。言うまでもなく、子どもは、親を選べません。私たちは、子ども望んで、奇跡的に授かったと考えております。最近の児童虐待等の報道に心を痛めておりますが、奇跡の宝ものを、どうしてそんなに軽んじて良いものか、そうした報道に触れる度に、心重く考えてしまいます。もちろん、私も仕事のストレス等、色々なプレッシャーはあります。ただ、それを子どもや家庭に持ち込んでいいはずがありません。子どもはそうした親の気持ちに敏感です。私はこの10年、子どもに接する際には、いつも心を平静に、明るく前向きな言動を心がけてきました。そうした言動の積み重ねで、ふと気づくと、自分自身の成長を感じることがあります。子どもの日々の成長を感じ、また、自分の成長ができれば、こんな幸せなことはありません。

そうは言っても、これからの世の中は、日本の経済も右肩上がりではありません。世界には、紛争、貧困や災害など、困難もあります。子どもたちが大きくなるにつれて、そうした現実にも直面します。そんな現実に対して、親として、時には困難を乗り越える術を教える過程で、厳しさも見せなければならないと考えております。今後も、親として、人間として、成長を続けなければなりません。子どもの成長を前に、親が停滞していては、子どもの言動にとやかく言う資格はないと思います。子どもは親の背中を見て育つものだと、私も父親を見て育ってきたつもりです。父親は私が18歳のときに亡くなりましたが、今でも、とても良い父親だったと思っております。

随所にちりばめられている卓見に、私は大きな勇気をいただきました。「ありがとうございます」のメールをお返ししたのですが、つい私の突っ込み癖(?)が頭をもたげ、「ご自身の成長をどんなふうに捉えていらっしゃるのか、より具体的に教えていただけるとありがたいのですが…」と書き添えてしまいました。ところが、間もなく速攻の返信メールが。びっくりしてしまいました。

 自身の成長についてですが、長女が生まれたときは、心身ともに余裕がなかったと言いますか、どもにあれをしたい、これをしたい、という感じで、子育てを一方的に考えていたように思います。家内は違ったと思いますが…。私は、心が舞いあがってしまっていたように思います。毎週の休みのたびに、美術館、水族館、動物園、遊園地…、どこでも連れていきました。また、読み聞かせがいいと、手当たり次第、子どもが喜びそうな絵本を毎日のように購入して、起きている間は読み聞かせ、抱っこの日々でした。当然、夜泣きもありましたので、家内ともども睡眠不足の毎日、腰痛、肩痛…、それが、ストレスにつながり、仕事に集中できず、成果も出せない日々、焦りも募っておりました。これでは駄目だと思ったのでしょうか?いつかは定かではありませんが、長男が生まれてからだと思いますが、子どもの考えていること、喜ぶこと、嫌なこと、欲することが、何となくこうではないか?と分かるようになってきました。まだ、完全とは言えないですが…。また、二人目ということもあるのかもしれませんが、私の心情として、子どもを理解しようと思うならば、親である自分を客観視しようと心がけるようになりました。今朝もそうでしたが、子どもは常に、私の起きた時間、うちでは、今、万歩計がブームなのですが、昨日歩いた歩数などを聞いてくるのです。要は、子どもたちは、親の朝~日中からの行動を知りたがっている。ならば、私も子どもたちの行動を知ろうと欲します。お互いを知る日々の積み重ねで、私も子どもたちを知る、子どもたちも親を知っていく、今、そんな日々を送っております。前段の自分を客観視することは、これは、なかなか難しいのですが、自分の言動が子どもたちに、どう把握されるのか?どのように見られるのか?そんな思いから、心がけていることではあります。とりとめのない話になり恐縮なのですが、成長している定義というのは、私なりに、今のところ、小学校、幼稚園生活をのびのび過ごしているかなと感じており、私もそれなりに、心身の余裕を感じるようになっただけのことであるのかもしれません。個人的には、人間の成長は死ぬまでですので、従って、未完成の状態ではあります。

年長女児Cちゃんのお父さまは、表現活動参観の際、子どもたちの発表後、「感想」のマイクを向けられてしまいました(?)。限られた時間の中でのコメントは簡明なものでしたが、多くの、深い“何か”が伝わってきました。後日、お母さまを通じて、「あの日のコメントの内容を、もう少し詳しく教えてください」と原稿依頼。ご快諾後、お寄せくださったのが、以下の文章です。

長男のときから8年間お世話になっている幼稚園、最初に思い返すのは長男が年少のときの親子遠足。お腹に子どもがいる家内に代わって私が付き添った。母親がいないことで寂しい思いをさせたくはないと息巻いて。お昼どきにお菓子を配っている他の子を見て真似させる。息子は声をかけるタイミングがわからずにうまく渡せない。やきもきするが、上手にフォローすることができない。遠足後も皆で一緒に帰りたいという長男のために見知らぬグループに必死に付いていったが、仲良さそうな皆さんの邪魔になっているだけ。自分一人の力だけでは息子の望みを叶えてあげられない歯痒さを初めて学ばせてもらうことになった。もともと愛想の悪い自分だったが、親子体操や次男の親子プールに参加するようになってからは、子どもたちにつられて笑えるようになる。長男の進級に伴って、親も子も徐々に知り合いが増えていく。次男が入園する頃には、長男繋がりの弟さんや妹さんということで、最初から顔見知りの子どもたちも少なくない。知っている子が増えてくると運動会の応援や演劇観覧も一層熱が入る。最近では小学校のミニバスケットボールクラブをコーチとしてお手伝いするようにもなった。人見知りで子どもも苦手だった自分の変貌に我ながら驚く。

思い返せば、私の母親も地域社会への貢献を重視する人だったが、その理由を今更ながら理解することが出来た。コミュニティでの繋がりを大事にして助け合っていくことが子どもの幸せ、ひいては自分の幸せに繋がっていく。賢明な皆様にとっては当たり前のこともかもしれないが、自分には子どもたちとの体験がなければ知り得なかったことだ。そういう機会を繰り返し与えてくれた幼稚園には、感謝してもしきれない。

私は昨年、某所で行われた3回シリーズの「パパの家庭教育セミナー」で講師を務め、“Another(アナザー) Sun(サン) ”(父親よ、“もう一つの太陽”になれ!)」とのメッセージを発信いたしました。言うまでもなく、一つの太陽は“母親”。その“母親”との役割分担はあるにせよ、「子育ては100%自分の責任」という“父親”の自覚をもってほしい、との願いを込めました。佼成パパの皆さんは、“Another Sun ”として輝いていらっしゃることを嬉しく思います。世の奥さま方が、半分冗談半分本気(?)でつぶやいている「うちの旦那は、全くもう一人の息子なんだから…」の“Another Son ”とは、似て非なるものです。蛇足でしたね。

松森憲二拝

園長の「給田だより」(2019年1月号)

2019/01/10 12:27:14

「子どもの自立を阻(はば)む“三本の矢”」  ~子育ての侘(わび)しさを乗り越えて~

平成最後のお正月を迎えました。昨年同様、今年もよろしくお願いいたします。

二年前、私は、語りバージョンの「給田だより」として、3回の“トークライブ”を行いました。ご出席くださったお母さま方とは、その後メールでの交流などに繋がり、私にとっては貴重なご縁となりました。大変有り難く、感謝しております。

トークライブで最初にお話ししたのが、「子育てとは何か?」というシンプル、かつベーシックなテーマでした。その場で私は、「子育て」を「子どもの存在を丸ごとかかえ、子どもの持ち味を見出し、それを最大限に伸ばし、子どもを世間(社会)に旅立たせるための一切の営み」と定義いたしました。子どもがお腹の中に宿って以来、終始一貫一所懸命手塩にかけての「子育て」、その挙句(あげく)が「子離れ」というのですから、「子育て」は何と侘(わび)しいものでしょうか。愛しい子どもの姿を眺めながら、親の手を離れていくことがたまらなく寂しくなってしまう、という話はよく耳にします。その気持ち、わからないでもありません。しかし、子どもの将来を考えれば、いつまでも親がそばにいなければならない、というのでは、かえって心配です。「子育て」には、寂しさを超越する楽しみや喜びがあります。役に立つ人材を社会に輩出するという人間としての生きがい、満足感があります。子育ての究極の目的は、やはり「子どもの自立を図ること」にあるのでしょうね。

「自立」の意味をもう少し具体的にするために、私はオリジナルの四字熟語で「自考(じこう)自生(じせい)」と表現しています。社会に出て自分で「生きる」ためには、まず自分で「考える」ことが先行しなければならない、と認識しているからです。

ところで、子どもたちの日常生活を見渡してみると、子どもは大人から「考える」チャンスを奪われているのではないか、という現実に直面することがあります。大人は、良かれと思いながら、知らず知らずのうちに、子どもたちを考えさせないようにしている、ということはないでしょうか。子どもの自立を阻(はば)んでしまうもの、それが大人から子ども放たれる「三本の矢」です。 

一本目の矢は、「先走る」です。子どもの考えていること、やろうとしていることは、まどろっこしくて仕方がないと、つい大人がやってしまう“口出し”“手出し”がそれです。子どもが何かしよう、何か言おうとしているときに、先に大人が「ああしなさい、こうしなさい」と言い、さらにはやってしまうことは、子どもの自立を阻む最大の要因と言っていいでしょう。「過保護とは、子どもができることを大人がやってしまうこと」とは、ある小児科医の言葉です。子どもたちの心理に耳を傾けてみると、「どうしてさせてくれないの?もういいや。どうせママがやっちゃうんだから…」。これでは、自立の心は育たず、大切な自己肯定感を傷つけ、自信までも減退させてしまいます。

二本目の矢は、「怒鳴(どな)る」です。子どもにとって、親は絶対の存在。親から怒鳴られてしまうと、子どもたちの心に湧き上がってくる感情は、「反発」「萎縮」「不安」…。怒られないようにするにはどうすればいいのか?答えは簡単です。怒られないよう、親の気持ちを忖度(そんたく)して、自分自身の考えを引っ込めてしまう。そのほうが、怒られなくて済むからです。それが子どもたちなりの処世術だとするならば、何と悲しいことでしょう。

三本目の矢は、「突き放す」です。「勝手にしなさい」「ママは知らないから」などの言葉は、いくら本音ではないとしても、子どもたちには、見事にその言葉どおりに伝わっていきます。見捨てられ感で、子どもたちの心には不安感が募(つの)ります。「愛の反対は“無関心”」とはマザーテレサの名言です。「無関心=愛されていない」の回路を、子どもたちに作ってしまっては、元も子もありません。悪習慣からつい思わず禁断の一言が出てしまったら、躊躇(ちゅうちょ)なくぎゅっと抱きしめ、「違うよ。ごめんね」と謝ることをお勧めいたします。

上の「三本の矢」の戒めは、3歳~6歳の幼児を対象としており、対象年齢が上がれば、当然相応の触れ合い方が求められます。しかしこの戒めは、年齢を問わず、人間関係全般において、良好な関係を築いていく上でも有益な示唆となることを付記し、2019年の幕開けといたします。

松森憲二拝

園長の「給田だより」(2018年12月号)

2018/12/03 11:19:02

「平成最後の“老年の主張”!」  ~“子は鎹(かすがい)”は本当か?~

「子育て支援」の一助になれば、との思いで「給田だより」に向き合うたびに、私の脳裏をかすめるのは、「書きたいことを書かせてもらってはいるけれど、果たして保護者の皆さまのお役に立っているのだろうか?」ということです。「読ませてもらっています」「楽しみにしています」との声をいただくことはあっても、具体的に「ここがこんなに役に立った」ということを耳にする機会は、残念ながらあまりありません。よって、私の心中には二つの心が同居することになるのです。それは、「何とかお役に立てるものなら、という期待」と、自己満足の空砲(くうほう)、つまり「独(ひと)り善(よ)がりになっているのではないかと、いう不安」です。そんな思いが、「給田だより」に、「保護者の皆さまにモニターになっていただき、ご感想やご批評をいただきたい」を書かせています。「手応えを実感したい」という思いがあるのはもちろんのことですが、プラスであれマイナスであれ、その反応がバネになって、さらに自分自身が磨かれることを、35年間の教育者生活が、私に教えてくれています。

そんな折、10月中旬のある日、園長室PCに、ある年長女児のお母さまから、「夏休みを振り返って、その後のご報告」というメールがありました。お礼メールを返信したところ、再びメールが届き、そこには、次のことが書かれてありました。

園長先生の「給田だより」、楽しく読ませていただいております。実を言うと、ノートに貼り付けていつでも読み返せるようにしています。行き詰まった時や子育てに迷いがあるとき、特に見直しています。その都度新たに心に響く言葉が書かれており、自分を見直すきっかけをいただいています。

中でもいつも読み返すページは、「新入園児保護者説明会特別号」の「お母さま方へのメッセージ(五つのないで)」です。子育ての原点であると思っています。読むたびにちゃんと実践できているか、自分に問いかけています。

また、ハッとさせられることも多く、一番驚いたのを今でも覚えているのは、「子どもは自分のことを半人前だとは思っていないということ」(2017年9月号)。初めて読んだ時の衝撃。それはもう、胸にストンと落ちる感覚で、大人だから子どもだからと、つい上から見下ろしている自分に気づかされ、考えされました。

また、「給田だより」を夫婦で共有し、子育てについて話す良いきっかけにさせていただいています。園長先生が書かれている通り、私たち家族にとって「給田だより」は、心の処方箋となっております。

次号も楽しみにしています。

冒頭に述べた思いがあるだけに、私の心は、有り難さに満たされました。そして、そのご縁によって、さらにいくつか考えることがありました。

一つ目は、文中の「お母さま方へのメッセージ(五つのないで)」についてです。言うまでもなく、その五つとは、(1)まわりと比べ“ないで”(2)できたことを見逃さ“ないで”(3)一人っきりで悩ま“ないで”(4)自分で自分を責め“ないで”(5)あの日の感激を忘れ“ないで”、です。

このメッセージは、園長就任一年目の「入園説明会」で、初めてお話ししたと記憶しています。言わば、園長としての「初心」です。それを「子育ての原点」と受け止めてくださっているのですから、嬉しくないはずはありません。思えば、五つの項目に、何一つ目新しいものはありません。しかし、目の前のお母さま方の心を少しでも安んじたい気持ちで五つに整理したこと、そして「五つの“ないで”」というネーミングに、いささかのオリジナリティーを感じています。そのメッセージの根底にあるのは、日頃ご苦労されているお母さま方に、「子育ては楽しい!」と感じていただきたい、という願いです。お母さまが前を向いた分だけ、子どもは前を向きます。それは「真理」と言っても過言ではなく、「五つの“ないで”」への信念は、これからも決して揺るぐことはありません。

二つ目は、子どもに対する親の眼差(まなざ)しのあり方についてです。メールにもある通り、子どもたちは、自身を決して「半人前」とは考えておらず、それぞれの年齢なりに「一人前」として見ています。つまり、3歳、4歳、5歳としての「一人前」を生きているのです。表現が稚拙(ちせつ)であることをいいことに、その気持ちを尊重することなく、「まだ幼児だから…」「何もわからないのだから…」と軽んじるのは、親の傲慢(ごうまん)であり、人間としての尊厳(そんげん)を無視する態度と言っていいでしょう。人としての基礎的感情がもう立派に育っている子どもたちは、日々、「子どもの社会」を生き切っています。そのこと自体を理解することなしに、大人の一方的な見方や考え方を押し付けることは、厳に慎まなければなりません。「子育て」が上手くいくかいかないかは、親と子のコミュニケーションの良(よ)し悪(あ)しにかかっているのです。親子間の人間関係が良好であってこそ、「子育て」は成り立っていきます。そのためには、他の人間関係と同様に、親子関係も「平等」、つまり、互いの立場を尊重し合う関係でなければなりません。親の立場への理解を子どもに要求する前に、まずは、大人である親が、“チャイルドファースト”の立場に立つべきでしょう。子どもがいる間は、子どもの年齢にかかわらず、親の「子育て」は続いていきます。子どもが幼い今の時期だからこそ、親はしっかりとその姿勢を身に付け、今後予想される複雑な親子関係の到来に備えなければなりません。何年か先には、親子がそれぞれの立場で必ず乗り越えなければならない、正念場としての「思春期」が待ち受けています。まさに、備えあれば憂いなし、なのです。

三つ目は、子育てが夫婦間の共通の話題となり、子育てを介して夫婦間のコミュニケーションが図られているという点についてです。この件に関しては、実はこんな背景がありました。

メールを受け取った前日の帰宅途中、たまたま自宅最寄り駅の売店で目に留まったのが雑誌『アエラ』(2018.10.29号)。その表紙の“子育ての「正解」圧力がつらい”という大特集のタイトルは、私に「買わなきゃ損だよ~」と訴えかけていました(?)。「子育て」の三文字に過敏になっている私は、「それは、反則だよ~」と意味不明のことをつぶやき、衝動買い。「職業病?」、いや「職業意識!」と切り替えて、自分を納得させました。そこに書かれていたのが「子育ての方針をじっくり話す習慣が夫婦関係を安定させ、『家庭内の心理的安全性を保つ』」という記述。前日、その箇所に赤傍線を引いたばかり。メールに同じ趣旨のことが書かれていたことに驚きました。(私自身、事情含みのシングルペアレントを、決して否定するものではありません。念のため。)

それと同時に、一旦は作成したものの、実際に日の目を見ることのなかった(いわゆる「お蔵入り」した)、ある“幻の「給田だより」”(2013年4月号予定稿)を思い出しました。それは、手元のUSBメモリーに、5年半以上静かに眠ったままの原稿です。いただいたメールと『アエラ』の記事に触発された私は、今月の「給田だより」に、その原稿を引っ張り出したい気持ちになりました。当時のタイトルは、「“子は鎹(かすがい)”は本当か?~絆は「ある」ものではなく「つくる」もの~」でした。以下は、それをモチーフとしながらも、今回、時勢に合わせて書き直したものです。

「子は鎹(かすがい)」は、有名な諺(ことわざ)ですので、あえて注釈は要(い)らない気もします。しかし、私自身への確認の意味で、『広辞苑』を繙(ひもと)いてみると、「子に対する愛情がかすがいになって、夫婦の間が融和され、夫婦の縁がつなぎ保たれる」とあります。何も目くじらを立てることもないのですが、人並み以上に言葉に“こだわり”のある私は、何となく「?」をつけたくなります。素直じゃないと、お叱りを受けるかもしれませんね。恐らく、昨今の親子の痛ましい事件が影響しているのだと思います。正しくは、「子育ては鎹」なのではないか、つまり「夫婦の“育てる”という意識と行為が伴ってこそ、子どもは鎹になる」というのが、新元号初年度の5月に、晴れて(?)前期高齢者の仲間入りをする「老年の主張」です。子どもは、間違いなく夫婦にとってかけがえのない存在です。しかし、いるだけで鎹になるかというと、必ずしもそうではない。子どもが鎹になるためには、夫婦が同じ方向を見て、ともに子育てをすることが必要なのです。絆は、そこに「あるもの」ではなく、ともに「つくりあげていくもの」なのですから…。

最後に、「給田だより」に込めた決意を、川柳に託して。「役に立つ 給田だより 育てたい」。お父さま方からも、甘辛(あまから)取り混ぜてのコメントを期待しております。お受けする園長室PCのメルアドは、k-matumori@kosei.ac.jpです。

松森憲二拝

園長の「給田だより」(2018年11月号)

2018/11/02 12:31:46

「“正しい言葉遣い”、身につけば財産! 」  ~「赤ペン先生」からのカミングアウト!~

今さらながら、私は、前勤務先の芳澍女学院情報国際専門学校で、開校準備を皮切りに、約23年間、さまざまな業務に携わらせていただきました。すべてのことが今に活きていることに間違いはないのですが、とりわけ現職の血肉になっていると感じるのが、「就職指導」と各種の「資格試験対策」です。履歴書・エントリーシートの添削や模擬面接では、学生一人ひとりとの心の琴線に触れる向き合い方を学びました。秘書技能、ビジネス文書、サービス接遇、漢字など、ビジネス関連検定の資格取得に当たっては、合格の喜びや不合格の無念さを、彼女たちとともに味わってきました。あちこちからの要請に応じて、「社会人マナー講座」の講師として現場に立ったことも、今となれば得難い経験です。それらの蓄積もあってか、幼稚園に異動した当初から、身の回りのさまざまな文書表現や言葉遣いに無関心ではいられませんでした。歓迎されたかどうかは甚だ微妙(?)ですが、文書チェックに精を出す私に、ついたあだ名が「赤ペン先生」。また、子どもの言葉遣いについては、「将来のために良い言語習慣を!」との思いから、気になる点がいくつか目に、いや耳につきました。 

しかし、しばらくして私は、貴重な情報に直接触れ、“佼成プライド”の一つとして、ある信念を抱くようになりました。それは、「佼成卒園児の言葉遣いは素晴らしい」ということです。情報源が近隣小学校の先生方だっただけに、園長として大いにインスパイア(鼓舞(こぶ))されました。

ところが…、です。最近、そのプライドを崩されてしまいそうな事例がいくつか私の耳に…。保育中にいけないことをして注意された年少男児が、担任を威嚇(いかく)するように「お前、ぶっとばすからな!」「許さないからな」と言ったという報告。お迎えに来てくれたおばあさんを、「お前!」呼ばわりする年長男児。園長室前の通路に鳴り響く声に、背筋が寒くなる思いがいたしました。あえて誰かは確認しませんでしたが、きっと、虫の居所が悪かったのでしょう。園児の大半が、各家庭におけるしつけ(家庭教育)の成果で、人前で良い言葉遣いができていることを、私は承知しています。上の二人の男児も、決して例外ではないはずです。しかし、子ども自身にとっての異常事態のとき(例えば、叱られたとき、嫌なことがあったとき)に、子どもなりの理性にブレーキが利(き)かなくなり、つい日常の“負の言葉遣い”が表面化してしまうのも、一面の真理です。めったにないことだからと言って、そのままシカトはできません。ここぞという場面では、確(しか)と(!)「正しい」「丁寧な」言葉遣いのお手本を示してまいります。とはいえ、普段の子どもたちのおしゃべりに、いつもピリピリしているわけではありませんので、念のため。

人間関係において、言葉遣いは「諸刃(もろは)の剣(つるぎ)」です。子どもたちにとって、良い言葉遣いを身につけられるかどうかは、将来の人生を良くも悪くもすることでしょう。いつもお伝えしているように、「言葉は心を養う」のですから、言葉遣いに磨きをかけることは、人間性を培うことに通じるのです。思えば、悪態をついた二人の男児が、私に大切なことを再認識させてくれたのですね。

ピンポンパンポーン⤴⤴ここで、お詫びと訂正を。「赤ペン先生」としては、あるまじき失態です。10月号の最後の段落で、「私の取り柄と言えば、“オープンマインド”(これって、「自我じぃさん」第2弾!?)。」と書きました。11行前の「自画じぃさん」を受けての第2弾ですから、そこも「自画じぃさん」であるべきです。入力ミスに気づいたのは、配付用の印刷が終わった直後のこと。後の祭りです。文脈から「何か変?」と思われた方も、きっと多かったのではないでしょうか。行数・文字数合わせという最終工程と、迫りくる印刷期限への焦る気持ちでチェックが甘くなり、図らずも「我(が)」が出て(?)しまいました。「知らず知らずのうちに我を張ってはいないか?」、「周囲との調和はとれているか?」ということを内省する チャンスにいたします。(「我」を「画」に訂正した10月号は、ホームページにアップロード済みです。)

皆さまのエールのお陰さまで、今やライフワークとなった「給田だより」。“心の架け橋”の〈結び目(tie(タイ))〉に育て〈たい〉、と願っております。

11月号の校閲(こうえつ)は、大丈夫かなぁ…?

松森憲二拝

園長の「給田だより」(2018年10月号)

2018/10/02 9:17:59

『言葉遣い』 が心を養う! 」  ありがとう、通算70号!

9月7日、杉並区の立正佼成会大聖堂では、学校法人佼成学園の64周年記念式典が行われ、男女両校の中高生に対し、学園長である庭野日鑛先生が「諭告」を述べられました。例年とは傾向の違った(と、私は感じたのですが…)お話に、私の背筋はピンと伸びてしまいました。学園長先生は、「人間にとって一番大切な時期は、純真で真っ白な幼児期である」、「人間教育の基礎は家庭教育にある」という趣旨のお話をされたのです。いつもの創立記念日ならば、中高生の「今に必要な話」をなさるのですが、今年は、とっくに幼児期を過ぎた人たちに、「幼児期こそが大切」、「学校教育の前の家庭教育が大切」という話なのですから、正直「?」と思ってしまいました。ですが、すぐに気がつきました。学園長先生は、当面のこともさることながら、将来の社会を見据え、「皆さんが大人になったら、家庭教育で立派な人間を育ててください」ということをおっしゃっていたのです。さまざまな課題を抱える現代社会、とりわけ幼児教育への関心が高まっている昨今であるからこそ、「今の年代のうちに、家庭教育の重要性をしっかり認識しておいてほしい」という学園長先生の深いお気持ちに、幼児教育の現場にいる者として、さらに身の引き締まる思いがいたしました。

 唐突ですが、ここで漢字クイズです。「下の設問の(イ)(ロ)の中に、“カガミ”と読む漢字を入れてください。ただし、同じ文字を入れることはできません。」設問:「子は親の(イ)・親は子の(ロ)」

~Thinking Time~

正解は、「子は親の鏡・親は子の」です。私はこのフレーズを、「家庭教育の大原則」とし、自分自身の指針にもしています。「子は親の鏡」とは、「子どもの姿は、親の姿(ものの考え方や言動)をそのままに映し出している、いやむしろ、映し出してくれている。親は、子どもの姿を鏡として、親自身のあり方を振り返る(反省する)ことが大切である」という教えです。よく、「子どもに学ぶ」というフレーズを目にし耳にしますが、まさにこのことでしょう。そして、「親は子の鑑」とは、「子どもを育てる上で、親自身が子どもの手本にならなければならない」という教えです。

家庭教育の中心課題の一つが、「生活習慣」だと思います。その中でも私が最も重視しているのが「言葉遣い」です。なぜならば、「身体を作っていくのは食事、心(精神)を作っていくのは言葉」だからです。子どもの言葉遣いの良し悪しがその子の人生を左右し、良い言葉遣いができるかできないかで幸・不幸が決まっていくとすれば、親は無関心ではいられないはずです。

子どもにとって、親、特に母親は、人生の最初に出会う言葉の教師、しかも専属の…。子どもは生まれたときから、いや厳密に言えば胎内にいるときから、母親が何気なく発した(実は、感情の伴った)言葉を耳にし、その子の「辞書」に蓄えていきます。「こんなときには、こんな気持ちで、こんな言葉を遣えばいいんだ」という具合に。そして子どもは、さまざまな場面に応じて、蓄積したボキャブラリー(語彙(ごい))の中から、これでいいと思う言葉を選択しながら発信しているのです。先生である親から教えてもらったように…。もちろん、言語能力の発達には段階があるのですから、言葉になっているかどうかは別問題です。たとえどんなに拙い表現であっても、確実に親の真似をし、一所懸命表現しているのです。

容姿などに関しては、人からの指摘を待つまでもなく「私に似ている、私にそっくり」と素直に受け入れられることでしょう。しかし、こと「言葉遣い」においてはいかがでしょうか。例えば、子どもが人前などで、思いもよらぬ汚い言葉や不用意・不謹慎な言葉を発したとき、はっとして赤面してしまうことがありませんか。「何て口の利き方をしているの!」「そんな口の利き方、どこで覚えてきたの!」とショックに思ったり、怒りが湧いてくることは、一度や二度ではないはずです。そんなとき、つい「ダメ!」「やめなさい!」ときつく叱ってしまいがちです。叱らないまでも、心の中で、子どもを強く責めてしまいます。子どもを叱り責めて改まるのならば、何の苦労もありません。親自身の言葉遣いを反省してみると、誰しもが後悔することに思い当たります。「覆水盆に返らず」。だからと言って、決して悲嘆にくれることはありません。「家庭教育に手遅れはない。気がついたときが出発点」なのですから。こぼれた水をお盆に戻すことができないとしたら、新しい水を注いでいけばいいのです。新しい水とは、「正しい言葉遣い」です。自らの反省を踏まえ、正しい言葉遣いを教えていけばいいのです。決して、放任であってはなりません。

そこで大事なのが、その伝え方です。私は、仏さまの教えの中で最もポピュラーな「和顔(わげん)愛語(あいご)」を提言いたします。「和顔愛語」とは、「和やかな笑顔と思いやりの話し方で人に接すること」です。〈子どもの目を見て〉〈感情的にならず〉〈穏やかに〉〈短く伝える〉ことが肝要です。上から目線で言えば、年齢によってはかえって反発を招くばかり。反発というのは、見方を変えれば、子どもの成長なのですが、ついつい「何て生意気な!」と感じてしまい、かえって有害無益になってしまいます。ですから、あくまでも、子どもの立場や気持ちを尊重しながら、「一人前扱い」していくことが求められます。このことは、3歳児にさえも言えることで、常々心しなければなりません。

子どもの手本になることは、ある意味プレッシャーかもしれません。しかしそれは、子を持つ親としての当然の責任であり、務めでもあります。その責任や務めが、「親としての誇り」に昇華したとき、子育ては親自身の喜びとなり、生きがいとなるのです。ある朝、NHKの『あさイチ』で松本幸四郎が紹介した「よく言った それをお前が やってくれ」(升田良之介作)の川柳は、「親は背中(実践)で導くことが大切」ということを示唆しています。今こそ求められているのは、「親は教育者である」という自覚です。その自覚は、「子どもに恥ずかしくない日々を過ごす」という覚悟と、表裏一体のものと言えましょう。「子は親の鏡・親は子の鑑」が、親自身の骨身にしみたとき、親子関係は大きく変化し、喜びにあふれた子育てが展開していくに違いありません。            

ところで、めったにお目にかかることのない方から、「佼成学園幼稚園のホームページで、『給田だより』を読ませてもらっています」とのコメントをいただくことがあります。その方が「よもやこの人」と思う方であればあるほど、その驚きと喜びはとても大きく、そんなときには、自他共に許すネット難民の私も、ネット社会の恩恵に浴しているという現実に、改めて目を開かされます。

『給田だより』は、2012年(平成24年)4月に園長に就任して以来、原則として月に1号ずつ書き続けているエッセイです。「保護者の皆さまとの“心の架け橋”に…」、そして「多少なりとも保護者の皆さまのお役に立てたら…」との願いを込めて、毎号キーボードに向かい悪戦苦闘しています。①園の行事やカリキュラムの紹介、②園運営に関する方針や考え方、③幼児教育を含む教育全般に関する学び、④時事問題への感想・所見、⑤園児たちとのエピソード、⑥プライベートな出来事、⑦川柳・ダジャレ(私は「類語学研究」と呼んでいます)等、その内容は多岐にわたり、要は「何でもあり」なのです。とは言え、毎号最終稿ができあがるまで、どんな形で保護者の皆さまにお届けできるか、いつもハラハラドキドキです。

つい最近、この世界で誰一人気づかない“あること”に気づいてしまいました(少しオーバー?)。それは、何と、『給田だより』10月号が(臨時号を除いて)通算70号目ということです。慣例として7・8月は合併号ですから、一年度分は11号。2018年3月までの6年間(11×6)で66号。ですから本来ならば、今年の7・8月で70号目になるはずだったのですが、諸般の事情で4月と5月を休んでしまったため、2号分遅れて、2018年10月号が70号目になったのです。70という数字を年齢に置き換えれば、「人生七十古来(こらい)稀(まれ)なり」の「古稀」です。誰も言ってくれないので、自分で言ってしまいます。「よく頑張りました!」。(私は、男の「自画自賛」を「自画じぃさん」と呼んでいます。ワカルカナ~?)読んでくださる保護者の皆さまがいてくださるからこその70号、心から感謝申し上げます。

もし、関心を持っていただけるようでしたら、ホームページ「園長の『給田だより』」をクリックして、バックナンバーにもお目通しください。そして、ぜひご意見・ご感想をお寄せください。時効は設けません。今後の『給田だより』の充実、そして私自身の成長の糧(かて)といたします。私の取り柄と言えば、“オープンマインド”(これって、「自画じぃさん」第2弾!?)。聴く耳だけは持ち続けたい、と願っておりますので…。  

松森憲二拝

園長の「給田だより」(2018年9月号)

2018/09/18 8:41:28

私の 『夏休みを振り返って』 」  父の訓(おし)えに生きる!

今年の夏休みは、生涯忘れられない夏休みになりました。前号の「親父(おやじ)のDNA!」に登場した愛媛県松山市在住の父が、8月10日、満89歳で永眠したからです(行年90歳)。今年5月に胃癌のステージ4の診断を受けて以降、本人の「生活の質(クオリティ・オブ・ライフ)」を第一とし、平成26年1月からお世話になったサ高住(こうじゅう)(サービス付き高齢者向け住宅)での「在宅医療」を選択、約3か月が経過しているときでした。

病床の父を見舞うため、長男の仕事の都合に合わせ、8月6日に帰省する計画を立てました。6日の朝、松山便のある成田空港に着くと、予期せぬ事が…。何と、機材繰(ぐ)りのための欠航。「LCC(格安航空会社)にはありがち」という長男の弁を耳にしながら、「東京駅からの新幹線利用」がすぐ思い浮かびました。と同時に、7月上旬の西日本豪雨のため、四国のJRはまだ復旧していないことを知っていましたので、リスクの大きさも脳裏をかすめました。長男との熟議後、私が下した結論は、「成田―松山間トライアスロン計画(?)」です。振替搭乗で関西空港までは行けるので、まず飛行機で関空(私を含め、家族全員が関空初体験)へ。関空からは、JRで新大阪を経て新幹線で岡山へ。岡山からはレンタカーで瀬戸大橋を渡り松山まで行きレンタカーを乗り捨てる、という、非常時ならではの“大冒険ルート”です。思わぬ出費と時間がかかることは覚悟の上。じぃじの心中には「3歳の孫娘に、いろいろな体験をさせてやれる絶好のチャンス」との思いがありました。(1歳の男の子の記憶に残ることは…?)

当初の予定だと、6日の昼過ぎに父を見舞えたのですが、松山到着が夜遅くになったため、父に会いに行ったのは7日の朝でした。5月以降、何度か父を訪ねる度に、病状の変化は目に見えていました。その日も、意識はしっかりしていましたが、残念ながら、父の言葉を直接耳にすることはできませんでした。施設の責任者から、突然渡された封筒。その中には、父が三日ほど前に看護師に伝えたという、遺言めいた内容のメモ書きが。そこには、父なりの覚悟が滲(にじ)んでおり、私はいよいよ“その日”の到来の近いことを悟りました。

8日の朝、一足先に上京する長男家族を松山空港で見送りました。私たち夫婦は、テレビでよく見る“田舎のじぃじ・ばぁば気分”を、しばしの間味わいました。実家の片付けで10日まで残留組の私たちは、その日の早朝、電話の音に目を覚ましました。施設の責任者から、「博さま(父の名)の血圧が下がってきています…」と。空港に向かうことを取り止め、急ぎ父の枕元へ。父の耳はよく聞こえていましたので、私と家内は多くの声を掛けました。言葉による応答はないものの、私たちの話を聞きながら、父は繰り返し何度も瞳を潤(うる)ませていました。父をお世話くださっている多くのスタッフの皆さんも、入れ替わり立ち替わり見舞ってくれました。夕方には酸素濃度も次第に低くなり始め、鼻からの吸入が口からに替わり、20時前、ついに息をしなくなりました。実際の痛みや苦しみを知る由もありませんが、もしかしたら我慢していたのかもしれません。しかし、少なくとも見た目には、特段の痛みや苦しみを訴えることもなく、「入眠」と表現したいほどの穏やかな最期(さいご)でした。医師の死亡診断を受けたのが、21時15分。父が主演する舞台の終幕を、私は朝からずっと、最前列で見守っていたことになります。「もう二度と会えない…」と思うと、もちろん「寂寞(せきばく)」の念は募ります。しかしその一方で、「感謝」の思いを禁ずることはできませんでした。進学のため15歳10か月で親元を離れてから、こんなに長く父の傍にいたことがあっただろうか、と思うほどの「惜別(せきべつ)の時間」が与えられたのですから。

母が逝(ゆ)き 父が後追う 睦(むつ)まじさ(二代目求道)

父「しばらく、どこに行っとったんかと思ったら、ここにおったんか」

母「ほうよ。ちょっと先に来て、待っとったんよ」

久々に、そんな会話が聞こえてきそうです。そし

て、孫にあたる息子たちの心にも深く刻まれてい

る、「持つべきものは友だち」という父の訓(おし)え。“友

だち”の中には、家族はもちろん、園児・保護者・

職場の仲間、さらにはたくさんの貴いご縁も含み、

「出会いを大切に!」という趣旨であるという私

の解釈に、父は“オッケーサイン”で応えてくれ

るはずです。「それでいいのだ!」と。

松森憲二拝

園長の「給田だより」(2018年7・8月号)

2018/07/13 13:35:02

親父(おやじ)のDNA!」  宝の山から出てきたもの

5年前の父の脳梗塞、母の胃癌の発症を境として、我が家の状況、とりわけ私と両親との関係は一変しました。長年にわたってできなかった分を取り戻すかのように、私と家内はしばしば愛媛県松山市に帰省することになりました。もちろん、両親の見舞いのためなのですが、その他にも、ゴミ屋敷と化した実家の片付けという目的もありました。「給田だより」2013年9月号に寄稿した自作の川柳「ゴミ屋敷 宝の山と 老母(はは)は言う」が、片付けに関する微妙な事情を表現しています。というのも、「ゴミを処分しなければ、二進(にっち)も三(さっ)進(ちも)もいかない」という私の考えと、「家にあるもので無駄なものは何一つない。いつかは必ず何かの役に立つから、捨てられない」という母の考えとは、平行線を辿(たど)るばかり。内心の葛藤は、かなりのストレスとなりました。5月のゴールデンウィークと8月の旧盆前後という限られた時間の中で、家内の絶大なるサポート(というよりも、片付け隊の隊長は、むしろ家内のほうでしたが…)のお陰で、やっと先の見通しがついてきた、というのが現在の状況です。実家の片付けが進んできた今の心境を、同じく川柳にするならば、「ゴミ屋敷 断捨離すれば 宝物(ほうもつ)館(かん)」。5年前、大量のゴミを前に立ちすくんでいたことを思えば、隔世の感があります。残念ながら、実家に眠っていたものの中に、高価なものは見出せませんでしたが、今では「よくぞ残しておいてくれた」という思いに変化しているのですから、人間の心とは不思議なものですね。

数々の表彰状や感謝状、おびただしい数の写真、全国各地を旅した時のお土産品などの歴史遺産(?)、展示場所さえあれば、立派な博物館ができそうです。それらは、90年近くの両親の人生を、私に語りかけてくれます。中でも写真は貴重な資料群であり、必ずしも時系列で目に飛び込んでくるわけではありませんが、脳裏には次第に“年表”ができ上がっていきます。それぞれの幼少期から始まり、二人の出会い、一人息子(私のこと)の誕生・成長、その子の結婚、孫の誕生、孫の結婚、 曽孫(ひまご)の誕生へと、我が家の家族形成が展開していきます。写真以外にも、人生を彩(いろど)るエピソードに連なる多くのアイテムも。仮に、私が二人の伝記を書くとしたら(今のところ、その予定はありませんが…)、必ず一章を設けるのが、父の「卒業証書と成績通知票」と、母の「御朱印帳」です。

昭和4年生まれの父は、昭和39年4月から、自宅近くの県立三原高等学校の定時制に通い始めました。34歳の高校1年生です。帝人三原工場での勤務を終えた後、一旦自宅に戻り、詰襟の学生服に着替え、15,6歳の若者たちの中に飛び込んでいくのです。父が一念発起した理由について、記憶は定かではありません。ただ、学歴を得るという目的もさることながら、どうやら、当時小学4年生だった私の成長を見越して、父親として多少なりとも勉強しておかなければ、との思いがあったようです。約20年間のブランクを経ての学習ですから、時々「赤い数字」(?)が見え隠れしながら、卒業までのプロセスには相当苦労があったようです。しかし、年齢の離れた同級生たちに支えられながら、留年することもなく、昭和43年3月に晴れて卒業。しかも、「4年間皆勤」という金字塔を打ち立てたのです。(因みに、その父のDNAを受け継いでいるのかいないのか、私は、中学時代に風疹で2日間の出席停止がありましたが、小1から高3までの12年間、皆勤でした。)

2月に永眠した母の棺(ひつぎ)に入れさせてもらったのが、四国八十八箇所巡りの「御朱印帳」です。 父と二度にわたって結(けち)願(がん)成就した証(あかし)は、見るからに荘厳なオーラを発しており、私は冥土への道案内を託しました。お骨上げの際、遺骨の足元に残っていたのは、明らかに冊子状のもの。我が目を疑ったものの、すぐに御朱印帳だとわかりました。このことを後日、世私幼の園長会である園長先生(真言宗寺院の御住職)にお話ししたところ、「それはあり得ないこと。よほどの思いがこもっていたのでしょう」とのお言葉をいただきました。改めて、母の信心深さを思い知りました。

 ところで、話は写真に戻りますが、それらを眺めながら、特に印象的だったのは、両親にとっては孫にあたる私の息子たちへの、満面の笑顔と優しい眼差しです。嬉しくてたまらない様子なのです。リアルじぃじになり、可愛い孫たちを目の当たりにして今思うのは、当時の二人の喜びを、どれだけ深く受け止められていたのだろうか、という後悔の念です。今年は、母の新盆(にいぼん)を迎えます。より一層の感謝の気持ちを込めて、「盂蘭盆会(うらぼんえ)」を迎えたい、と心に決めております。

松森憲二拝

園長の「給田だより」(2018年6月号)

2018/06/01 6:56:02

「お久しぶりです!」   亡母(もうぼ)讃嘆(さんたん)! 乞う、ご容赦! ~ 

 園長に就任以来、『月報』と同時発行してきた「給田だより」、4月号、5月号と休筆を余儀なくされてしまいました。それというのも、3月上旬の入院、4月上旬から中旬にかけては、別の病気での入院・自宅療養と、私にとって不測の事態が重なってしまったからです。「身体のことだから仕方ない」とは思いつつも、毎月続けてきたことを休止せざるを得ない無念さの一方で、改めて健康の貴さ、有難さを実感いたしました。

園への復帰は4月の最終週。子どもたちからは、「本当に心配したんだからね~」「高いお熱大丈夫ですか?お熱ゆっくり直してください」「園長先生、やっと入院終わって、嬉しい!」など、可愛い声が届きました。また、保護者の皆さまからも「お身体大丈夫ですか?」「お大事に!」「ご無理なさらないでください」と、温かいお声掛けをいただきました。もったいなくも、そのことは今も続いております。ご心配をおかけした(している)ことを深くお詫びし、また思いやり溢れるお心遣いに、深く感謝申し上げます。

がむしゃらに無理をしてきたつもりはなかったのですが、今思うと、「少々きつくても、これくらいのことならやり切ってしまおう」という気持ちで、老体に負荷をかけてきたのかもしれません。今は、「無理は禁物!」を自戒の言葉にしています。当面の目標、それは「三つの不足」の解消です。

一つ目が「野菜不足」。入院生活で身に付けたことと言えば、“腹八分目”と“薄味”。健康診断では毎年、医師からの「やせることですね!」というアドバイス。診断直前に多少意識したくらいでは、減量は夢のまた夢。しかし、声を大にして言います。今回は違います!命がかかっているのですから…。我が家の専属栄養士(?)の厳命で、“まず野菜から食べる”の実践。そして私自身も、まるで“主食は野菜!”とばかりに野菜を多く摂(と)るよう努めています。加えて、“空腹感に耐える”修行が効を奏してか、徐々にではありますが、減量への道筋が見えてきました。「リバウンドしちゃった」とならないよう、心中に期するものがある今日この頃です。どうか、腹囲にもご注目ください。

二つ目が「睡眠不足」。起床は従来通りですが、就寝は、疲れが翌日に尾を引かないよう、意識して早寝を心がけるようになりました。同時に、時間の有効な遣い方を工夫し、できるだけストレス(なさそうに見えるかもしれませんが…)を貯めないよう、生活習慣の見直し中です。

三つめが「運動不足」。私にとっては、これが最も高いハードルかもしれません。階段での昇り降りを少し前から心がけてきてはいますが、別な有酸素運動が加われば、さらに効果的なのでしょうね。例えば、ウォーキング。朝は忙しい、夜は疲れてる、休日はゆっくり休みたい…。そんな消極的意識の転換が肝要なのでしょうね。栄養士も兼務している専属トレーナーは、「お父さん、ストレッチ!ストレッチ!」と、私を急(せ)き立てています。

さて、休筆明けの6月号。私事ながら、母のことを書かせていただきます。

平成30年2月25日、満87歳の母が永眠しました(行年89歳)。直接的には、胃がんによる出血性ショック死でしたが、昨年12月15日には脳幹梗塞を発症していました。右半身、特に舌に麻痺が残ったため、話すことも食べることも困難になり、リハビリの甲斐もなく、十分な回復は見込めない状態になりました。水分と栄養分を鼻からのチューブで注入する日々が続く中、主治医からは胃瘻(いろう)を勧められました。しばし悩みましたが、緩和ケアの立場から、ホスピスを検討することになりました。ここならば、という病院が見つかり、2月22日には家族面談を経て、順番待ちを始めた矢先の24日夕方、入院先の脳神経外科病院から、「ホスピスどころではない。血圧が降下してきている。危ない状態です」との連絡。幼稚園にいた私は、家内にすぐに連絡。万が一の時の準備も含めて、取る物も取り敢えず、家内と交代で運転しながら、900㎞離れた四国の松山を目指しました。途中の三重県のパーキングで、携帯に連絡が。「25日午前2時15分、息を引き取られました。安全運転でゆっくりとお越しください」とのことでした。「とうとう来たか」との思いでしたが、三日前に病室で、ひ孫たちの写真を見せながらしばしのひとときを過ごすことができていたので、「死に目に会えなかった…」という念にさいなまれることはありませんでした。病院で母と対面。安らかな寝顔に、家内ともども救われた思いがいたしました。

すぐに日程を決め、通夜、葬儀・告別式の準備。ホスピスの話題の頃から、私なりに覚悟はできて

いましたので、それほど慌てふためくこともなく、むしろ母との最期をしみじみと味わう貴重な時間となりました。永眠した日の夜は、同じ部屋に布団を敷いて、家内と三人の夜を過ごしました。母の隣で寝床に就くというのは、何年ぶりのことだったでしょう。15歳から下宿生活を始め、それ以来、親とはほぼ別居という私にとって、会葬の方々からの「安代さんはおしゃれで、よく帽子をかぶっていらっしゃいましたね」や「お母さまはお花が大好きでしたね」などの思い出話は、母を偲ぶ縁(よすが)となりました。27日に荼毘(だび)に付し、その後の数日間は諸手続きに奔走。狭山市の自宅に戻ったのは、3月3日の夜のことでした。さみしいのは勿論のことですが、長男夫婦や孫たちと一緒に、穏やかな気持ち、そして感謝の心で母を見送ることができたことに、安堵感を感じていました。

3月5日、卒園式のリハーサルを終え、学期末に向けてラストスパートという6日の昼食後、私は今までに味わったことのないむかつき、ふらつきを感じていました。園長室を飛び出して、職員室にいた先生たちに「めまいというのは、どんなものなんでしょう?」と質問。「これは大変!」とばかりに、黒岩教頭は園児用簡易ベッドを園長室に運び込み、横になるよう勧めてくれました。終礼時になっても回復しませんでしたので、「この際は、救急車で」と羽田事務長が119番通報してくれました。定期健診のデータのある佼成病院に予め連絡していたこともあり、救急車は杉並区の佼成病院に急行してくれました。さすが救急車です。あっという間に到着し、すぐにMRI検査。一時は「一過性虚血」との診断でしたが、最終的には「脳幹梗塞」。12月15日に母が入院した際の病名と同じです。となると、やはり遺伝か、と悲観的に結びつけてしまいがちですが、その病名を聴いたときの私は全く違っていました。瞬間的に脳裏に浮かんだ言葉は、「母が守ってくれた!」でした。誤解を恐れずに表現するならば、嬉しくさえ思ったのです。どこからそんな感情が湧いてくるのかわからないまま、時は過ぎていきました。

新年度初日の4月2日、上の疑問を解決してくれるフレーズが、京王線の電車の中で、突然泉の如く湧き上がってきました。それは、「代われるものなら、代わってやりたい」です。痛さや熱で苦しんでいるわが子を前に、世の多くの親が「代われるものなら、代わってやりたい」という気持ちになる、という話はよく耳にすることです。特に母親は、お腹を痛めて産んだ分、その思いに駆られることが多いのではないでしょうか。

医師でもない私に病気のことを語る資格はありませんが、「脳幹梗塞」も生活習慣病の一つ。発症自体は突然のことであっても、病気自体は時間をかけて、見えない形で進行していたはずです。ここから先は、不思議の世界のカテゴリー。信じる信じないは、お任せいたします。母は、3か月前から、一人息子の身に起こる「脳幹梗塞」の負の部分を背負ってくれていたのではないか、と私は思ったのです。母は、「代わってくれていた」のです。私自身の後遺症と言えば、左手足にほんのわずかのしびれ(のようなもの)を感じる程度。少し根を詰めて疲れを感じると、その度合いも多少強くなりますが、手足の動きに全く支障はありません。私は母のお陰で命を救われ、重度の障害を免れた、と信じています。命を懸けて一人息子を守ってくれた母の慈愛に、心から感謝しています。

5月13日は母の日。知人の弁護士が主宰する「第2回 日本の母を讃える講演と歌の集い」に参加いたしました。事前の案内文に、“母に関する歌の斉唱”というプログラムがあり、その中の『無縁坂』の三文字に目が留まり、出席の返事を出しました。『無縁坂』は、1975年に、さだまさしの作詞・作曲、グレープの曲としてリリースされました。年配の男性からは根強い支持があるようで、私のカラオケ第一選択曲でもあります。子育てを坂道になぞらえた歌詞が私の心を捉え、前述の母の通夜、葬儀・告別式でも、母への思慕・讃嘆の思いでBGMとして流しました。この集いに私は、帽子をかぶり微笑んでいる母の「遺影」と、実家のごみ屋敷(母に言わせれば「宝の山」)から発掘(?)した、私の氏名・生年月日が記された木の小箱に入った「へその緒」を持参しました。この集いを契機に、「遺影」と「へその緒」と「無縁坂」が、母への感謝の“三種の神器(じんぎ)”になりました。

5月17日は、本来ならば88回目の母の誕生日。残念ながら、満88歳に達して“八八(はは)”の記念日にはなりませんでしたが、花好きだった母に相応しく、“八七(はな)”の生涯の幕を立派に閉じた、と思っています。今頃霊界で、「一人息子が、佼成学園幼稚園長をしています」と自慢気に話をしているとしたら、それがせめてもの親孝行かなあ…、と。すべては仏さま、皆さまのお陰です!

松森憲二拝

園長の「給田だより」(2018年3月号)

2018/03/05 8:35:23

涙は、平(ピョン)昌(チャン)だけじゃない!

六角ホールの壁の真新しい3枚の賞状は、1月21日(日)、こどもの国(横浜)サッカー場での2018年カワイサッカー大会で、佼成学園幼稚園の子どもたちが頑張った証(あかし)です。「年長の部」は惜しくも準優勝、「年中の部」はA・B両チームがワンツーフィニッシュでした。この大会は、心温まるエピソードを二つ、私に与えてくれました。

一つ目は、「金子先生の涙」。佼成サッカー教室の金子徹先生は、大会終了後のミーティングで、ラストゲームを終えた年長組に、次のお話を…。   

みんなの学年は、去年の年長組や今年の年中組と違って、最初から人数が少なく、試合ができるギリギリの数。チーム形式の練習ができず、まともにサッカーができる状態ではなかった。そんな中でも、今日まで誰一人欠けることなく、「優勝しよう!」という気持ちで頑張ってきた。「せめて1勝を」と思っていたが、今日は1勝どころか2勝もして、準優勝することができた…。

そう話す声は震(ふる)え、涙を拭(ぬぐ)う金子先生。保護者たちは、ついもらい泣き。子どもたちの頑張りはもちろんのこと、先生の子どもたちへの思いの深さを知り、一所懸命指導してくださったことへの感謝の気持ちが込み上げてきた、とのこと。子どもたちも座って、じっと先生のお話に聴き入り、先生の思いをしっかりと受け止めていました。「佼成のみんなが頑張ったから…、先生は嬉しくて泣いたんだ。嬉しい時の涙は、“嬉し涙”って言うんだよ」、ある子どもの言葉です。ノンフィクション作家の柳田邦男氏は某著書で、「語る内容に強く共感した瞬間のことや、演奏に激しく心を揺さぶられた瞬間のことは、心にしっかりと刻まれて、いつまでも記憶に新しい。そのことを、私は『瞬間の永遠性』という言葉でとらえ、大事な考え方にしている」と述べています。先生が熱心に教えてくださったことや、自分たちへの温かい心を、子どもたちは決して忘れることはないでしょう。

後日談があります。冬の大会の「年長の部」優勝チームは、埼玉、千葉、神奈川、東京の代表による関東大会に進めることになっていて、もちろん準優勝の佼成は、関東大会に進めません。ところが、頑張った子どもたちに、何と、仏さまからのご褒美が!優勝園は2月25日(日)の大会当日に行事が予定されていて、関東大会に出場できないとのこと。そこで、準優勝園に出場の話が舞いこんできたのです。子どもたち、保護者は大喜び。後日、優勝園の日程調整により、最終的には、東京代表が2チームという前代未聞の関東大会になったのです。子どもたちの努力、保護者の願い、先生の深い思いが相まっての不思議な「お・は・か・ら・い」に、有難く合掌です。連日平(ぴょん)昌(ちゃん)から、嬉し涙や悔し涙のレポートが茶の間に届いていますが、涙は平昌だけにあるのではありません。大いに心動かされた、“佼成の涙”でした。

二つ目は、年中組保護者の手記が伝える、「一本のプレシャス・ゴォ‐‐‐‐ル!」です。

息子のチームは、1試合目は引き分け、2試合目は2-1で初勝利、3試合目は0-1で負けてしまい、残念なことに準優勝でしたが、2試合目に息子が ゴールを決めてくれました。いつもはマイペースなのですが、ゴールを決めた瞬間の嬉しそうな息子を見て、私は胸がいっぱいになりました。帰宅しても興奮は冷めやらず、本人にとって凄く良い経験になりました。一方、私の方は、試合を通して、息子に対する思いの間違いに気づき、恥ずかしさを感じる一日になったのです。大人しい性格、水泳が苦手、テストになかなか合格できない息子を、私はずっと「運動系は苦手な子」と見ていました。そして、テストがあるたびに前に進めない息子に、「次は頑張ってね」と言い続けていたのです。ゴールを決めたとき、「見てたぁ?」と言って、息子は私のところに駆け寄ってきました。その瞬間、ハッとしました。私は息子にプレッシャーをかけ過ぎすぎていたのではないか、と。息子は、私の「頑張って」を望んでいなかったのです。息子の雄姿は、「もう少し子どもを信じてあげよう。できないことがあっても、見守っていこう」という思いにさせてくれました。成功と失敗を繰り返しながら成長していく息子。今後も、経験とチャレンジを大切にしてほしい、と願っています。

子育てにおける古くて新しい言葉、それは「育児(いくじ)は育(いく)自(じ)」。子どもの姿を通して、親としての自分自身を振り返り、人間的に成長していくことを意味しています。単なる語呂合わせではなく、永遠の真理です。一本のゴールを、親子関係を見直す貴重なチャンスと受け止められた保護者としての真摯な姿勢に、心から敬意を表します。松森憲二拝